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弓の軌跡  作者: マイト
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初めての一射

全ての授業が終わり、俺と綾音はいつものように弓道場へと向かった。教室を出て、並んで歩きながら話すのも、もうすっかり日常になっていた。


 「今日も基礎練習かな?」


 「さあな。でも、そろそろ弓を使わせてもらえるといいんだけど」


 そんな会話をしながら道場へ入ると、既に何人かの部員が集まって準備を始めていた。俺たちも道着に着替え、いつものように準備体操を済ませる。


 すると、顧問の先生が道場へ入ってきた。


 「今日は今までの基礎練習の成果を見てみようか。二人とも、試しに矢を放ってみなさい」


 その言葉に、俺も綾音も思わず顔を見合わせた。


 (ついに弓を引けるのか……!)


 期待と緊張が入り混じる中、俺たちは先生に指示された通り、練習用の弓を手に取った。


 「落ち着いて、今まで習った射法八節を意識するんだ」


 先生の言葉を胸に刻みながら、俺は弓を構える。


 (大丈夫、今までの練習を思い出せ……)


 足を肩幅に開き、背筋を伸ばしながら弓を引く。指先に力を込め、弦を引き絞ると、心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。


 そして──矢を放つ。


 「っ……!」


 矢は一直線に飛んでいく──はずだったが、思ったよりも勢いが弱く、途中で失速して的のはるか手前に落ちてしまった。


 「……あれ?」


 俺は呆然としたまま、的に届かなかった矢を見つめる。


 「ふふっ、残念だったね」


 隣で見ていた綾音が、くすっと笑いながら言った。


 「お前もやってみろよ」


 俺が言い返すと、綾音は「もちろん!」と元気よく返事をして、弓を構えた。


 しかし──。


 彼女の矢も、俺と同じように途中で失速し、的にはかすりもしなかった。


 「……あれ?」


 綾音も呆然と矢が落ちた場所を見つめる。


 その様子を見ていた先生が、優しく微笑みながら言った。


 「最初から上手くいくわけがないさ。今は的に当てることよりも、正しい型を身につけることが大事なんだ。今日の結果を気にせず、これからの練習を頑張りなさい」


 俺と綾音は顔を見合わせ、苦笑しながらも頷いた。


 (簡単にはいかないか……でも、だからこそやりがいがある)


 そう思いながら、俺は次の練習への決意を新たにするのだった。


俺と綾音が初めての矢を放ち、その結果にがっかりしていると、道場の奥から静かな足音が響いた。


 「ふむ……二人とも、初めてにしては悪くないわね」


 振り返ると、そこには弓を持ったままの部長が立っていた。相変わらず凛とした佇まいで、その存在だけで場の空気が締まるような気がする。


 「ただ、力みすぎてるわ。弓は力任せに引くものじゃないの」


 俺と綾音は思わず顔を見合わせた。


 「力みすぎ……ですか?」


 俺が尋ねると、部長は頷いて弓を掲げた。


 「ええ。見てなさい」


 彼女は一歩前に出ると、自然な動作で弓を構えた。その動きはまるで水が流れるように滑らかで、俺たちがこれまで学んだ射法八節が完璧に体現されているのが分かる。


 「弓を引くときは、全身の力を均等に使うの。特に、肩や腕に無駄な力が入ると、矢がぶれやすくなるわ。息を整えて……」


 部長はゆっくりと弦を引き絞った。彼女の指先から腕、肩、そして背中へと力が均一に伝わっていくのが見て取れる。


 (すげぇ……)


 俺と綾音は思わず息をのんだ。


 そして──部長が矢を放つと、矢は迷いなく一直線に飛び、的の中心に突き刺さった。


 「っ……!」


 俺も綾音も、言葉を失ったまま的を見つめる。


 「こんな感じね。まあ、いきなりは無理だと思うけど、意識することが大事よ」


 部長はそう言って、俺たちに視線を向けた。


 「じゃあ、二人とももう一度やってみなさい。今度は無駄な力を抜いて、全身で弓を引くことを意識するの」


 「は、はい!」


 俺と綾音は気を引き締めて、再び弓を構えた。


 (無駄な力を抜いて……全身で……)


 今度は肩の力を抜き、呼吸を整えながらゆっくりと弦を引く。部長のように滑らかにはいかないが、さっきよりはスムーズに弓を引けた気がした。そして、意を決して矢を放つ。


 ──スッ。


 矢は先ほどよりも安定して飛び、的の近くまで届いた。まだ的には当たらなかったが、確実に先ほどよりは良くなっていた。


 「おお……!」


 俺が思わず声を上げると、隣で綾音も矢を放った。彼女の矢も俺と同じように、前回よりも的に近づいている。


 「うん、少しずつ良くなってるわね」


 部長は満足げに頷いた。


 「最初から上手くいく人なんていないわ。大事なのは、正しい形を意識しながら練習を続けること。焦らず、ひとつひとつ積み重ねていきなさい」


 「はい!」


 俺と綾音は声を揃えて返事をした。


 (弓道って、やっぱり奥が深い……)


 部長の言葉を噛みしめながら、俺は次の矢を放つため、再び弓を構えた。


部長からの指導を受け、俺と綾音は再び弓を手に取った。


 「お互いの構えを見て、どこが悪いか確認し合うのも大事よ」


 部長の言葉に頷き、俺たちは向かい合う形で立つ。


 「じゃあ、私が先に構えるね」


 綾音がそう言って、ゆっくりと弓を持ち上げる。


 俺は真剣な表情で綾音の姿を見つめた。


 (……すげぇ)


 綾音の動きは、まだぎこちない部分はあるものの、彼女なりに射法八節を意識しているのが伝わってくる。肩の力を抜き、弓を引く姿はどこか神聖な雰囲気さえ感じさせた。


 特に、弓を引き絞った瞬間の表情が印象的だった。普段はどちらかというと柔らかい雰囲気の彼女が、今は凛とした眼差しで前を見据えている。その姿は思わず息をのむほど美しかった。


 (綾音って、こんな顔するんだ……)


 思わず見惚れてしまいそうになり、慌てて目をそらす。だが、意識すればするほど視線が綾音の方に向かってしまう。


 「……ど、どう? 変なところない?」


 綾音が矢を下ろしながら、少し恥ずかしそうに尋ねてきた。


 「あ、ああ……すごく綺麗な構えだったと思う」


 俺は正直な感想を口にした。


 「えっ……」


 綾音は一瞬きょとんとした後、頬を赤らめて少し目を逸らした。


 「そ、そういうのはもっと冷静に言ってよ……」


 「いや、でも本当にそう思ったんだって」


 俺が慌てて弁解すると、綾音は咳払いをして気を取り直したようだった。


 「じゃあ、次はあなたの番ね」


 「お、おう」


 俺は気持ちを切り替え、弓を構える。


 すると今度は、綾音の視線がじっと俺に向けられた。


 「……うん、力みすぎてないし、さっきよりはいいかも」


 「そ、そうか?」


 こんなに真剣に見つめられると、少し緊張する。


 「でも、もうちょっと背筋を伸ばした方がいいかも。ほら、こうやって」


 綾音が近づいてきて、俺の背中に軽く手を添える。


 (ち、近い……!)


 綾音の指先が俺の肩をそっと押し、自然と姿勢が正される。


 「……うん、そんな感じ」


 俺が動揺していることに気づいていないのか、綾音は満足げに頷いた。


 (やばい、なんかめちゃくちゃドキドキする……!)


 俺は必死に平静を保ちながら、もう一度矢をつがえた。


綾音の指導を受け、俺はもう一度弓を構えた。


 (さっきよりは、姿勢を意識して……)


 弓を引き、息を整える。腕の力だけではなく、全身を使って弓を引き絞るイメージを持つ。部長や綾音の姿を思い出しながら、慎重に狙いを定めた。


 (……いけ!)


 矢を放つ。


 スッと風を切る音がして、矢は真っ直ぐに飛んでいった。


 「……あっ!」


 的に当たった――ただし、中心ではなく端の方だった。


 それでも、さっきまで全然当たらなかったことを思えば、大きな進歩だった。


 「やったね!」


 綾音が嬉しそうに声を上げる。


 「……まあ、まだ端の方だけどな」


 俺は照れくさそうに頭をかいた。


 「でも、最初の頃と比べたらすごい進歩だよ!」


 綾音は笑顔で言う。その顔を見ていると、なんだか自分の努力が報われたような気がして嬉しくなった。


 「ふふ、初めて的に当たった記念日ね」


 「記念日って……大げさすぎるだろ」


 俺が苦笑すると、綾音はクスクスと笑った。


 「でも、こういう小さな成長を大事にしないとね。これからも一緒に頑張ろう!」


 「……ああ、頑張ろうな」


 そうして、俺たちは再び弓を構え、練習を続けるのだった。


「じゃあ、次は私の番ね」


 綾音はそう言って、弓を構えた。


 俺と同じように息を整え、真剣な眼差しで的を見つめる。先ほどの俺の姿勢を思い出しながら、慎重に弓を引く。その姿は凛としていて、やはりどこか美しかった。


 (綾音なら、きっと当てるだろうな)


 そんなことを考えていると、綾音の指が離れ、矢が一直線に放たれた――


 が、矢は的を逸れ、虚しく地面に突き刺さった。


 「……あ」


 綾音が小さく声を漏らす。


 俺は驚いた。綾音は運動神経が良いし、すぐに俺よりも上手くなると思っていた。しかし、まさか当たらないとは思っていなかった。


 「……うーん、外れちゃった」


 綾音は苦笑いを浮かべながら、肩をすくめた。


 その表情には、まるで気にしていないような軽やかさがあった。


 「まあ、最初はこんなもんだよな」


 俺はそう言って、少しでも綾音を慰めるつもりで声をかけた。


 「だね。まだまだ練習が必要ってことだよ」


 綾音は笑って言う。


 だけど、俺はふと感じた。


 ――綾音の笑顔は、どこか無理をしているように見えた。


 彼女は本当は悔しいのかもしれない。でも、それを俺に見せたくなくて、いつも通り振る舞っているのかもしれない。


 (綾音……)


 俺はそう思いながらも、それ以上は何も言えなかった。


 綾音は「もう一回やってみる!」と明るく言い、再び弓を構える。


 俺もそれに負けないように、もう一度弓を手に取った。


 俺たちはそれぞれの想いを胸に、再び弓を引き始めるのだった。


「結局、今日は全然当たらなかったな……」


 部活が終わり、道場を後にした俺は、ため息交じりに言った。


 「うん……私も、全然ダメだった」


 隣を歩く綾音も同じように肩を落としていた。最初に矢を放ったとき、俺はかろうじて的の端に当てることができた。でも、その後はまったく当たらず、綾音も同じく外れ続けた。


 「でも、最初から上手くいくわけないしな」


 そう言って、俺は綾音の方を見た。


 綾音は少し俯きながらも、ふっと小さく笑って「うん、そうだね」と言った。


 「明日も頑張ろうな」


 俺がそう言うと、綾音は俺の方を見上げ、笑顔を見せた。


 「うん! 明日も頑張ろう!」


 そうして俺たちは、それぞれの家へと帰った。


「ただいま……」


 玄関の扉を開け、靴を脱ぎながら呟く。家の中は静かで、母はまだ帰ってきていないようだった。


 リビングを通り過ぎて自分の部屋に入ると、カバンを椅子の上に置き、そのままベッドに腰掛けた。


 今日の練習を思い返す。


 ――彼は、最初こそ外していたけど、すぐに的の端に当てることができた。


 それに比べて私は、最後まで一度も当てることができなかった。


 「……なんで、私だけ……」


 小さく呟くと、胸の奥が苦しくなる。


 彼は、着実に成長している。でも、私は……。


 焦りと悔しさが込み上げてくる。


 (私は、ちゃんと成長できてるの……?)


 そう考えると、急に泣きたくなった。


 「……バカみたい」


 自分を奮い立たせるように、そう呟いて目を閉じる。


 (明日こそ……絶対に的に当てるんだから)


 そう心に誓いながら、私はそっと拳を握りしめた。

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