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短編

始まりはとっくに終わっていた

作者: 猫宮蒼



 顔を真っ赤にしたり真っ青にしたりして凄まじい勢いで走り去っていった少女を見送って。


「あの子、明日から学園に来れると思う?」


 ベリルは近くにいた友人に声をかけた。


「どうかしらね……数日は休むんじゃない?」

「まぁ、ほとぼり冷めるのを期待する気持ちはあるでしょうね……退学、はどうかしら。学園を卒業できないとなると、今後の人生に関わってくるから流石にしないとは思いたいけど……」


 気づかわしげに言ってみるけれど、多分、あの様子というか調子じゃ、勢いに任せて自主退学しちゃいそうだなぁ、とベリルは思っていた。



 何てことはない。


 この世界はベリルの前世にあった乙女ゲームなる物の一つととてもよく似通っており、そして先程授業をさぼって学園から逃走した少女はそのゲームではヒロインの立場だった。


 ヒロインがそんな逃走するような事、本来のゲームではなかったけれど。

 それでもヒロインは逃走したのだ。ほんのついさっき、大勢の前で馬鹿にされた、とはまた違うが、まぁクスクス笑われるような事になってしまったので。


 これが、悪役令嬢だとかにそういった嘲笑を、とかであれば虐められたってヒロイン、負けない! とかそういったムーブをして乗り越えたかもしれない。

 けれど、そういうヒロインに嫌がらせをしてやろうとか、そういう意味合いでのクスクスではなかったので。


 どちらかといえば……その年になってまだそんな事を? みたいなもの、と言えばいいだろうか。


 精神性の幼さを笑われた、が近いだろうか。

 かといって、別に周囲に「えーっ、ヒロインちゃんはおこちゃまでちゅねぇ」とかそういういかにもな口調で馬鹿にされたとかでもない。

 ごくごく当たり前の指摘をされただけ、と言える。


 多分ヒロインちゃんも転生者なんだろうな、とは思ったもののベリルがヒロインと関わりを持つ事はなかった。というか、関わる以前にヒロインは玉砕したので。



 ベリルが知る限り、自分とヒロインを除いて転生者は他にもいる。

 そして、その転生者は同年代に現れたわけではない。

 ベリルが生まれるよりも前にこの世界に生まれ落ちていた転生者は、この世界の事をどうやらとてもよく知っていたらしい。


 だからこそ、もしかしたらゲームと同じような事がこの先起きるのではないか、と危惧したようなのだ。



 ゲームの内容は、当時流行ったウェブ小説の悪役令嬢ものを逆輸入した代物、とでも言えばいいだろうか。

 ウェブ小説上でなら、親の顔より見たとか言い張れるくらいにありふれた内容である。


 平民だったヒロインが、ふとした事から実は自分は貴族の娘だったと知り、そして貴族たちが通う学園に行って、そこで出会った王子様と恋に落ちる。

 王道ルートはそれだ。乙女ゲームなのでそれ以外のルートも勿論あったけれど、王子様が別の高位貴族の令息になるくらいで、大まかなシナリオは大体同じ。

 ヒロインの前に立ちはだかる悪役令嬢、それらを乗り越えて結ばれる二人。


 ありきたりと言えばありきたりで、それをとても良く言えば王道というのだろう。



 とはいえ、それはあくまでゲームだから楽しんで見られるものであって。

 現実でそんな事になったら大惨事なのは言うまでもない。


 ヒロインが貴族の娘であった、というのはまだいい。

 だが、決して高貴でやんごとなき身分だった、とかまではいかない。

 実はとても尊い方の血を引いた、などというどんでん返しはなかったのだ。


 貴族と言っても下位の身分。一部の高位貴族から見れば、平民に限りなく近しい存在だと言われるようなもの。乙女ゲーム内でヒロインが珍しがられたのは、本当に平民として暮らしていたという事実からだ。


 ゲームでなら、そんな身分差を乗り越えて結ばれるのは王道恋愛ストーリーとして受け入れられるのかもしれないが、しかし現実で考えてみれば。


 色んな意味で問題が出てくる。


 ゲームでなら結ばれて二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしで終わる内容でも目くじら立てて怒る奴の方が少ない。だってただのお話だし。創作物の内容が気に入らないからと怒ったところで、その話がその人に合わないだけであった、と思われるだけだ。むしろそんな創作物に本気になってどうするのとまで言われる可能性すらある。


 だが現実となれば。

 王子にしろ高位貴族の令息にしろ、将来国の中枢で働く事になるだろう、ある意味重要人物だ。


 その妻に、何か難しい話はわかんないけど頑張るね、みたいなヒロインがおさまったところで。

 努力家で健気に頑張るヒロインなら最初は躓く事があっても、いつかは立派な貴族夫人として認められるかもしれない。

 だが、ただ頭の中がお花畑なヒロインであったなら、色んな意味で国がヤバイ事になる。


 下手に外交の場や社交の場といった、誰かと関わる場所に出て、そこでうっかり失言でもされてみろ。それだけで後始末含めて考えたらとても頭の痛い状況でしかない。


 まかり間違っても、乙女ゲームと同じような未来を起こしてはならぬ、とベリルが生まれる前にいた転生者は考えたわけだ。


 だがしかし、国をどうにかするにしても、原作の修正力とか強制力みたいなのが仕事したら一個人にどうにかできるわけもなく。

 国中の人間に協力してもらうにしても、前世でこの世界の事が~なんて荒唐無稽な話、極一部が信じてくれればいい方だ。


 それに何より、その転生者の時代にはまだヒロインたち乙女ゲームの登場人物は生まれていなかった。


 遠い未来の話なら、いっそ諦めてその時代の人生をエンジョイすればいいだろうに、しかしその転生者は諦めなかった。


 考えに考え抜いた結果、その転生者はやり遂げたのである。



 結果として。


 ヒロインの乙女ゲームは始まらなかった。



 この国では一昔前に、とある演劇が流行った。


 その内容が、まんまベリルの知るこの世界を舞台にした乙女ゲームそのものだった。


 いつか、遠い未来で起こるかもしれない出来事を、一足先に劇という形でその転生者は形にして、この世界で既にそれが起きましたよ、と世界を欺きにかかったのである。

 まぁ実際世界に意思があるかは知らぬ。だが、もしそれでも、原作補正力だとか、そういった何かがあったとするのであれば。

 劇という形で既にこの世界でそれは起きた、と見なせるのではないだろうか。


 劇は王道の王子と結ばれるルートであったが、数日に一度、結ばれる相手が違った場合のパターンも演じていた。攻略対象と呼ばれる彼らは皆イケメンで、当時の観客――特に女性――の心は彼らに夢中だったのである。

 王子は確かに素敵だけど、でも途中まで出番があったあちらの誰それも素敵でしたわぁ、とかそういう声は常にあった。もしそちらと結ばれるような事になっていたら、どうなっていたのかしら、なんて言葉もちらほら聞こえていた。


 そしてそれら観客の要望に応えるようにして、他ルートも少しではあるが舞台で演じられたのだ。


 結果として舞台はますます熱狂し成功をおさめた。

 今では王道中の王道の恋愛演劇として知られている。


 この国の女性の大半の初恋は、当時攻略対象者たちを演じていた者たちである、と言っても過言ではないくらいに知られるようになったのだ。



 そしてその演劇に出てきた登場人物の名前は、乙女ゲームのキャラそのまま。

 当時はまだ攻略対象者たちもヒロインも悪役令嬢も生まれる前の話だったので、何も問題がなかったのだ。


 むしろ、今年、学園にいざ通ってみればあの演劇で有名になった登場人物たちと同じ名前の令嬢や令息、果ては王子とほとんどの生徒が既視感に見舞われたほどだ。


 中にはあの演劇が大好きすぎて、生まれた子に同じ名前を付けてしまいました、なんて家もあったくらいだ。


 王子の名前がかぶったのは流石にどうなのか? と思われたが、しかしその名前がとてもしっくりくる、と思われてしまっているので。


 一躍人気になった劇の王子と同じ名前でも流石王子、名前負けなんてするはずがなかったんですね! なんて感じで本来の王子の人気と演劇による補正で王子の周囲にはより一層人が集まるようになったのである。


 本来はこちらがオリジナルだというのに、まるで二次創作のような立ち位置になってしまうという逆転現象が起こってしまったけれど、名前のおかげで演劇関係の話題から話に入りやすかったというのもあって、この世代の学生たちは周囲が思った以上に交流が増えた。


 王子の名前だって王子を産んだ時に王妃がおぎゃあと泣く王子を見て、ピシャンと雷に打たれたみたいな天啓を得た、なんて言ってその名前にしたくらいだ。

 国王もまた、赤子を見てその名を聞いて、この子にはその名前しかない、と思ったらしい。


 なんていう王室エピソードが暴露されたりもした。


 その他の攻略対象者たちも似たようなものだ。


 妙にその名前がしっくりくる、なんていう理由や、もっと御大層な感じでつけられたものもあったけれど。


 その演劇から名前をとったんだなぁ、と多くの生徒が思ったところで、別段何か問題があるわけでもない。これで名前負けしているとかであれば陰で色々言われたかもしれないが、皆やけにしっくりきているのだ。むしろ皆さまで一度あの劇をやってみてほしいくらいですわ、なんて女子生徒の間では囁かれていたくらいだ。


 一応演劇の方では身分違いの恋に関してハッピーエンドであるけれど、しかし実際はこういう展開になる事はほぼありません、と平民たちの間でも広められていた。むしろそうなった場合、国の政治がめちゃくちゃになって結果として平民の人たちの生活が脅かされる可能性がとても高まります、という本当は怖い身分差恋愛の現実を突きつけられたりして、やっぱ劇は劇で現実とは違うってこったな、と民衆にもそこら辺浸透させていった。


 憧れるのはいいけれど、しかしいざその立場になったら仕事がとても大変な事になるし教養のない平民が下手に王妃になったなら、それこそ睡眠時間削っての淑女教育から王妃教育コースだし、どうにかそれを終えたとしてそうなると一生死ぬまで王妃としての仕事があるのだと、とても嫌な現実を劇団は平民たちに突きつけたのだ。

 仕事なんてしなくても綺麗なドレスを着て宝石を身に着けて好きなものを食べて好きなことをしていればいいのだ、と夢を抱いていた平民はシビアな現実を突きつけられた事で、お話はお話、現実とは別物、と大半が強制的にわからせられた。


 実際、いざ貴族の家に嫁いだとして、今まで平民だったという事実から裏で馬鹿にされたりして陰湿ないじめにでも遭おうものなら、果たして本当に生きていけるかも疑わしい。

 やっぱ地に足つけた生活が一番だな、と劇団は身分違いの恋を演じながらも、現実では真似すんなよマジで地獄だから、と嫌という程伝えてきたのだ。



 その甲斐あって、と言っていいのかわからないが、ともあれ学園に王子や攻略対象の令息たちが名前も一致した状態で存在していたところで、周囲の生徒たちは露骨に表立ってきゃあきゃあ言うような事もなく、ひっそりこっそり相手の邪魔にならないようにきゃあきゃあしていたのだが。



 唯一空気を読まない存在がいた。

 そう、ヒロインである。


 彼女もまた実際平民から貴族になって、その名前が劇のヒロインと同じものだったから。


 周囲はそれを見て本当にあの劇のキャストがそろっちゃったよ……なんて偶然ってすごい、みたいな感じで驚いていたのだけれど。


 ヒロインは困ったことにその演劇を知らなかった。というか、興味がなかった。

 平民向けにもその劇はやっていたのだけれど、ヒロインは演劇というものに前世から興味がなかった。宝塚ファンの友人の言葉も大体聞き流し、映画でどの俳優が~なんて話題もほぼスルーしていた。


 三次元だと演者によって役の見た目が異なるので、前世のヒロインは誰がどの役かを把握するまでに時間がかかって、話の内容が序盤ほぼ入ってこない、という欠点がありそれ故に三次元のドラマにもほとんど興味を示さなかったのである。


 ギリギリ原作のキャラに似せてやってる2.5次元はどうにか。

 前世と比べて娯楽が少ない世界であっても、演劇にはこれっぽっちも食指が動かなかったのだ。


 だから普通に自分は前世で遊んだ乙女ゲームの世界に生まれ変わったのだと思っていたし――正解である――ヒロインなのだから、好きになった相手と結ばれることができると信じて疑っていなかった。


 ゲーム通りにシナリオを進めていけば、攻略など楽勝だと思っていた。


 ところが既に王子も攻略対象者も、その原作とも呼べるゲームの内容を知っていた。乙女ゲームの単語は知らずとも、演劇で散々公演されていたのだ。恋愛ものに興味がなくても流行りものは最低一度くらい触れておけ、と親が見せたりしたのもあって、誰もがその乙女ゲームの内容を把握していた。


 自分と同じ名前の役。

 自分の境遇に近しい部分が多く、まるで自分のようだ、なんて思った者も中にはいる。密かに抱えていた悩みも、劇の中でふとした解決策が見えて、なんとヒロインに攻略されなくとも精神的な傷を自力克服した者も出る始末。


 更に、劇の中の悪役令嬢を見て、いずれ自分もああなってしまうのでは? と思う令嬢がいたりして、下手にすれ違って拗れるくらいなら……! と思い切って腹を割って話し合うなんて事になった者もいた。

 結果として、ヒロインが入り込む余地がなくなったのである。


 劇ではハッピーエンドだけど、実際にこんな事になったらハッピーエンドどころか王子は下手したら廃嫡になるかもしれないし、他の令息たちだって家の後継者から外されるかもしれないからね、と現実を説いた劇団によって、実際の攻略対象者たちは婚約者との仲も悪くない。

 


 そう、だから本当に、その状態で何も知らなかったのはヒロインだけだったのである。



 ヒロインはゲームの内容そのままに行動しようとしたけれど、既にそれらは劇という形で知っている者たちばかりである。


 同じ名前だし、生い立ちも劇と同じだし、だからちょっと憧れて、なりきってるのかしら……?

 なんて、周囲の令嬢たちはむしろ微笑ましく見ていたのだ。最初は。


 だがしかし、どうやらヒロインは本気でやらかしているようだぞ……!? となってからは。


 周囲の目も微笑ましいものではなくなってくる。


 そりゃあ、多くの生徒たちはあの演劇に出てくる登場人物と名前が同じ者たちが一堂に会しているようなものなので、彼らが実際に演じたらどうなるのかしら、とは思っていた。

 一度くらい見てみた~い、なんてキャッキャしながら話したりもした。


 だがそれは、あくまでも願望であり流石に面と向かって本人たちにやってみてくださいよ! なんて言えるものではなかったのだ。

 当然だろう。

 いかに名前と立場が同じであろうとも、彼らは演者ではない。学園での無礼は多少目こぼしされる事があっても、だからといって無礼な事をバンバンやらかしていいわけでもない。


 学園での出来事であろうとも、あまりにも失礼な言動を繰り返せば学園を卒業した後になっても彼らの記憶に「あぁ、あの時の……」と悪い意味で覚えられてしまうだろうし、そうなれば今後の人生に色々と不利な事が出てきてしまうかもしれない。


 だからこそ周囲はあくまでも陰でキャッキャするに留めていたのだ。


 なのにヒロインだけが全力でやらかしていたので。


 あいつ、創作と現実の区別ついてないのか……? と周囲は見るようになっていったのである。


 確かにあの演劇とほとんど一致してるから、こんな偶然ある? なんて思う者もいた。

 あの劇は、もしかして未来を予知していたのでは? なんて思う者も出たけれど、しかし当時、この演劇を作り上げた人物は言っている。

 もし未来でこれと同じような事が起きたとしても、劇中と同じ終わりを迎えられるかはその人次第だと。

 劇のようにハッピーエンドにたどり着けたとして、その先の未来もずっと幸せが続くかは本人たちの努力次第だと。


 それと同時に実際にやらかしたらこんな不幸があるかもしれない、というのも広めていったからこそ、あの劇はあくまでも劇として成り立ち知られている。

 実際あの劇の通りに今から事を進めても、内容を知っている者からすればそれは劇をなぞっているだけの――ぶっちゃけて言えばなりきりごっこ遊びである。


 幼い頃は物語の主人公になりきって、勇者だ魔王だとその時々で役柄を変えて友や使用人を巻き込んで遊んだ令嬢や令息たちは一定数いる。

 いる、けれど、それはあくまでも幼い頃のもので。


 流石にそろそろ成人間近な年齢になりつつある現在、仲間内で遊ぶのに昔そういやこんな事やったよな、とかで懐かしんで、とかでもなく突然こちらの了承も得る事なくいきなりなりきりごっこに巻き込むような事をされても……正直とっても痛々しい気持ちにしかならない。


 友人が相手だったらまだ、ノッてあげるくらいはしたかもしれない。

 だが、ヒロインが仕掛けたのは言うまでもなく攻略対象者である王子や高位貴族の令息たち。

 突然見知らぬ女に劇の内容を振られて実演しろとばかりにやられたら、運命的な出会いだとか恋に落ちる以前に、


「え、何こいつ」


 としかならなかったのである。


 知り合いであれ友人であれ、突然のアドリブに対応できない事なんてよくある話だというのに、赤の他人からやられたらなおの事対応などできようはずもない。

 だからこそ、王子含む攻略対象者たちのヒロインに対する感情は、ちょっと変わった女の子、とかですらない。乙女ゲームであったなら、ヒロインの第一印象は他の貴族たちとは異なる雰囲気の、ちょっと気になる女の子だったかもしれない。


 だがしかしここでは突然演劇に巻き込もうとする変人である。


 せめて事前にここまで劇と一致するキャストがそろってるので是非一度だけでも、と頼まれたなら王子たちとてまぁ、考えたかもしれない。

 劇中と同じく、学園の生徒であり、また登場人物と同じ名前、肩書まで同じとくればここまできたら学生のうちに一度くらいやってみようか、とか思ったかもしれない。一生に一度の記念とか思い出とかそんな感じで。


 だが、あくまでもそれは劇としての話で、実際にヒロインと恋愛をしようと思う者はこの中にはいなかった。

 既に劇で見ているので、リアルヒロインと同じことをしたからとて、自分たちが恋に落ちるか、となると……まぁ、微妙だったのだ。


 お互いの婚約者との仲がちょっとぎくしゃくしていた、とか政略だからお互い相手に興味がない、とか。

 そういった、ヒロインが付け入る隙があったのであればともかく、演劇効果で王子もその他の攻略対象者たちも、婚約者との仲は良好なのだ。それなのにそんな婚約者を捨ててまでヒロインと恋に落ちて結ばれようと思うか、となると……

 ヒロインと出会ってその瞬間恋に落ちた、なんてわけでもないので、将来の事を考えたらヒロインと結ばれるのはむしろデメリットが大きい。


 劇中でヒロインと結ばれたのは、婚約者との不仲や自分と同じ名前の登場人物がヒロインに恋に落ちたからであって。

 恋に落ちたわけでもなく、婚約者との仲も良好となれば、仮にヒロインと仲良くなったとしてもそんなものは一時的、学園にいる間だけの学友どまりがいいところだ。


 しかしその学友になれたかもしれない状況であっても、初対面にも等しい仲でいきなりの演劇ムーブかまされたとなれば、ヒロインは変人枠。

 お話と現実の区別がつかない可能性も考えられて、ヒロインの第一印象は乙女ゲームと異なりあまり良くない。


 それでもめげずにヒロインムーブしてきた彼女に、王子や攻略対象たちは可哀そうな生き物を見る目を向けて、滾々と説いたのだ。


 劇は劇であって、現実がその通りになるとは限らないよ、と。



 そこでヒロインはようやく、自分が知る乙女ゲームの内容がこの世界では既に過去、演劇となり国中が知っているという事実を知ったのだ。

 確かに何か人気の恋愛劇があるとは聞いていたけれど、それが自分の知る乙女ゲームの内容そのものだとは想像もしていなかった。


 劇の内容を聞けば聞くほどそのゲームの内容で。しかも王子と結ばれるルート以外の話も公演されているとまで聞かされて、王子以外の相手に言い寄っても無駄であるとも暗に言われた。


 劇の内容を知らないままであったなら、まるで劇のシナリオのような恋をした、と思えたかもしれない。

 けれどもヒロインが言う言葉のどれもが既に演劇で周囲に知られているし、攻略対象者でもある彼らもまた知っている。


 知らなければときめきを覚えたかもしれないが、知っているところでやられてもだ。


「あの劇と同じ展開……なんてドラマティックなのだろう」


 などと果たして思うだろうか。

 答えは否。


 余程頭の中身がロマンチックなお花畑なら違ったかもしれないが、最低でも一度、下手をすれば婚約者や姉に連れられて二度三度と見る事になってしまった演劇と同じ内容をなぞられても、いや自分役者じゃないんでとしかならないのである。

 それどころか、それと同じ方法で言い寄られても、自分は劇の登場人物ではないのであれと同じ展開にされても劇と同じようにしてやる義理はない、としか言いようがないのだ。


 どうしてもあの展開と同じようにしたいのであれば、それこそ役者になって舞台に立てばよろしい。役者でもない、ただ名前と肩書が同じだけの偶然にしては一致率高いとはいえ、一般貴族令息や王子に突然そんな役を振られても……となってしまう。

 役者を目指すならどこぞの劇団に所属してこい、としか言いようがないのだ。


 ヒロインが目指したのは役者ではないのだが、周囲はそうとしか見れなかった。



 結果として、ヒロインは自分が乙女ゲームのヒロインとして行動しただけのつもりだったのに、実際はあの劇と同じことを現実で周囲を巻き込んでやろうとした痛々しい女扱いをされて、そしてそれすらも王子たちに滾々と説明され――気付いたのだ。

 それがどれだけ痛々しい行動になってしまっていたのかを。


 周囲には大勢の生徒がいた。

 別に大勢でヒロインを糾弾しようとか、そういう意図は一切ない。

 ただ、授業の関係で教室を移動する事になった者たちが次の授業に向けてその教室に移動しようとしていただけに過ぎない。


 ヒロインも、王子たちも移動の途中であった。


 そこでヒロインが突然乙女ゲームのイベントを起こそうとしたものだから。

 次の授業までまだ多少時間に余裕がある事もあって、王子はそういうのやめた方がいいよ、ととても言葉を選んで説いたのである。ついでに他の令息たちも。


 彼らの目は、とても生ぬるかった。

 なんというか、いい年してお友達でもないただ同じ学校にいるだけの相手を丁度いいキャスト扱いして勝手に巻き込むのはやめてくれないかな、という感情がたっぷりあったし、そもそも同年代のはずの相手にまるで幼子相手に諭すような言い方をしなければならない、というのもなんというか生ぬるい気持ちにさせられたのだろう。


 自分より年上じゃなかっただけマシかもしれない。

 だがしかし、ここできちんと諭してくぎを刺しておかないと、懲りずにやらかす可能性もある。既に王子相手にやらかしてるので不敬も何もあったものではないけれど、学園の外で、何も知らない人を巻き込んで学園の品位を下げるとか、同じ学園の生徒にまで迷惑がかかるような事をされてはたまったものではない。

 学園の評判が下がるとなると、つまりそれは、そこに通う貴族たちの評判も下がる結果になるし、果ては王家の評判にも関わってくるのだから。


 この学園に通う生徒たちは貴族で、大なり小なりいずれは国のために働く事になる。

 しかしそんな貴族たち全般が、平民たちから迷惑な何か、という認識を持たれてしまえばどこから国が綻ぶかわかったものではないのだ。弱小としか言いようがない低位貴族であっても、民草にとって貴族とはこうあるべし、みたいな見本となる事だってある――というのを胸に、何をするにもきちんとしなければならない。


 勿論貴族だって人間なので、時として悪ノリしたりふざけあったりする事もあるけれど、それはそういう事をしてもいい相手と、そういう事をしてもいい場所でやるわけで。

 決して何も知らない第三者を勝手に巻き込んで、とはいかないのだ。



 だがヒロインはそういった事をわかっているのかいないのか、勝手に周囲を巻き込んで自分がヒロインだとばかりにやらかそうとしていたから。


 王子たちはそれはもう一から丁寧に丁寧にじっくりと説き伏せたのである。


 下手をすると親に叱られるより気まずい。

 年配の方からの注意は若気の至りで年寄りのたわごとうるせぇなぁ、なんて思う者も出るかもしれないが、同年代からのマジレス説教とか、年下からの「なんで自分より年上のおにーさんおねーさんなのにわかんないの?」という無邪気な疑問は時として心の柔らかい部分にぐっさりと刺さるのだ。


 えっ、まじめぶっちゃってウザいんだけど、とか言い逃れするにはそういった言葉がやっと。

 だがその言葉を口にするにも、使いどころを間違うとあの人常識も何もない人だから……とやんわり周囲のコミュニティからハブられるので注意が必要である。


 ヒロインは、そういった言い逃れるような言葉すら出せなかった。


 よりにもよって自分より家柄が上の高位貴族の令息だけではなく、王子にまで諭されているのだ。これで聞く耳持たなかったら他の貴族まで敵に回しかねないし、もしそうなればヒロインの学園生活は今後暗雲たちこめる代物になるどころか、学園卒業後の生活も危うい。



 物語に憧れるのはいいけれど、なりきりごっこをするならいきなり周囲を勝手に巻き込むんじゃなくて、そういうのに付き合ってくれるお友達と遊びなさいね、という成人間近な年齢には色んな意味できっつい言葉を王子に言われ、ヒロインはこれから次の授業だというのにあまりの恥ずかしさに学園から逃走したのである。



 去っていくヒロインをわざわざ追いかけて授業を受けるように引っ張ってくれるほどの友人は、ヒロインにはまだいなかった。

 というか、学園に入学してまだほんの数日である。

 乙女ゲームならようやくチュートリアルが終わるかな、といった程度にしか進んでない。

 乙女ゲームならここで攻略対象たち全員が登場して、それからようやく本番なのである。


 つまり、ヒロインはゲームを開始する以前に終了したのだ。

 チュートリアルにも選択肢は出てきていたけれど、ゲームだったらその部分では好きに選んでも特に攻略に支障はでなかった。だがここでは既にそんなヒロインの言動のいくつかも演劇で知られているので。


 始まる前から詰んでいた、と言えばいいだろうか。


 ヒロインは、ヒロインになれなかった。



 ベリルもまた、ヒロインをわざわざ追いかけて慰めて授業に復帰させてあげようと思う程の仲でもないので、当然ヒロインの事など授業中は頭の片隅に追いやっていたし、思い出したのは授業が終わってからだ。

 多分相当気まずいとは思う。

 思うけれど、ヒロインが明日からの授業も休み続けるようであれば、下手をしたら卒業できなくなる可能性も出てきてしまう。

 この学園は将来国を背負う立場の貴族たちが通う場だ。

 前世のなんとなく行っときゃいいだろ、みたいなノリで通うだけでは卒業などできはしない。

 入学前にベリルは父に頼んで家庭教師を増やしてもらって予習復習に励んだけれど、体感的には自分の偏差値で行ける学校のワンランクどころかツーランク上の学校で、苦手分野の授業で常に単位をとり続けないといけない……みたいなものがあるのだ。


 つまりそれは、下手に授業をさぼったりするとあっという間についていけなくなる事を意味する。


 別に授業なんて出なくたって問題ないし……と言えるほどの天才であるのならまだいいが、あのヒロインはきっとそこまでお勉強ができるタイプではないだろう。できたとしても平均の前後あたりに位置していればいい方だとベリルは勝手に思っている。



 まぁ、数日休んだとしてその後復帰してくるようなら、今後のヒロインの態度次第では皆一応温かく迎えてあげようね、と周囲で話し合っていたし、ベリルもそれについて否やはない。

 きっと、あまりにあの劇の役柄と一致しすぎる人たちばかりで、しかも自分もヒロインと同じ名前だから舞い上がっちゃったのよ、なんて、周囲の令嬢たちはすっかり年下の妹に向けるような感情すら持ち始めていた。


 貴族ってもっと気位の高い人ばかりかと思ったけど、皆なんだかんだ優しいなぁ、とベリルはほっこりしていたくらいだ。前世の学校だったら間違いなくイジられるし最悪登校拒否コースである。



 もし、とベリルは考える。

 もし、あのヒロインがどうして演劇という形で既に乙女ゲームの内容が、という疑問に至ったとして。

 既に自分たちより前に生まれていた転生者の存在に気づくとは思う。


 だが、もしその転生者に対して憎しみを募らせたとしたならば。


(馬鹿な事、しないといいんだけど……)


 その転生者は既にこの世にはいないけれど、血縁関係者は普通に存在しているので。

 恨み、というより八つ当たりでもってそちらに噛みつくような真似をしないといいのだけど……と思った。


 既に演劇は有名になりすぎていて、調べればこの話を劇にした人の名前は簡単に知ることができる。


 その身内に対してヒロインが言いがかりをつけたとして、その場合ヒロインが危ない。


 何故なら、この劇を広めたのは数代前の国王の弟にあたる人物だからだ。

 彼は臣籍降下し公爵の地位を賜り、演劇を広め貴族や平民の間にも、平民が思う貴族と実際の貴族の違いを教え、夢見がちな貴族相手に実際こんな事したら最終的にこういう破滅する未来が待ってるぞ、と教え、平民たちには彼らの中でできる範囲での出世方法を教えるなどしていた。


 戦争があれば武勇でもって立身出世も可能だろうけれど、武力に長けた平民以外やそもそも戦争中ですらない時はどうするべきか、というところで、ある程度の道を示したりもしたのだ。

 そして実際に功績を出して出世し、爵位を賜った者も出た。


 公爵家は未だ存在しているので、ヒロインが八つ当たりしようとするととんでもない事になる。


 最悪その場で処分されてもおかしくはない。

 だからこそ、馬鹿な真似はしないといいな、とベリルはそっと祈るのだ。

 ロクに話した事もないけど、同じ転生者だ。まだ何かをやらかしたわけでもなく、むしろちょっと痛々しい黒歴史になってしまっただけだ。

 だから、流石にその流れでもって死ぬような事になったら、色んな意味で寝覚めが悪いなと思うから。


 そっと、ベリルは何事もありませんようにと祈るのである。


 同時に、当時の王弟殿下になってしまった転生者の気持ちもわからないでもないので。

 ベリルは原作崩壊してんじゃん、と恨むつもりもない。


 だって、王族としてそれなりに功績を出してきたのに、何代か先の子孫の代で台無しにされてみろ。

 自分たちの頑張りは将来子孫によって台無しにされます、とかわかっていて放置などできるはずがないのだ。下手したら国が傾くわけだし。

 そうなるかもしれない可能性の芽を潰す事を、悪いとはとてもじゃないが言えなかった。


 もし、王弟という立場でなければ放置した可能性もあったかもしれない。

 けれども転生先が王家となってしまった以上、見過ごすわけにもいかなかったのだろう。


 当時の彼は故に乙女ゲームの登場人物に似たビジュアルの役者を集め、演劇を広めたのだろうから。


 既に当時の役者は亡くなっているけれど、今なお公演されている劇の役者たちは、当時から似た見た目の役を与えられているのだとか。パトロンとなっていた王弟殿下によって、何十年か先までは役のイメージを壊さないでほしいと言われていたとかいないとか。


 きっと当時は当時で色んな苦労があったんだろうなぁ、とベリルは思う事にしている。



 ちなみに。


 ヒロインは一か月後に復学した。


 案外早く立ち直ったんだなぁ、と思いきやこれ以上休むと間違いなく授業についていけなくなるから、しぶしぶ家族に送り出されたらしい。

 もうどこに視線を向けていいかわかんない、とばかりにヒロインの視線は泳ぎまくっていた。


 休んでいる間に、ヒロインは巷で知られまくったその劇を改めてみる事となったのだ。

 そして内容はまんま自分が知る乙女ゲーム。

 あまり受け入れたくなかったけれど、ヒロインは嫌でも理解したのだ。


 学校でやらかした事がどれだけ痛々しかったかを。


 例えるならば。

 学校で、たまたま同じアニメを見ている相手に前回放送していたシーンをノリで再現しようとしてアニメのセリフを言ったはいいものの、相手はそこまでそのアニメにのめりこんでるわけでもなく、真顔で「なに?」と逆に聞かれたときのような。

 しかも立場的にこちらが陰キャで相手が陽キャだった時の痛々しさ。


 その後間違いなく向こうは友人たちと「あいつマジで空気読めないオタクだったわ」とか世間話のように語られるところまで想像してみれば。


 間違いなく黒歴史である。


 それに近い事を、ヒロインはよりにもよって王子たちにやらかしたのだ。


 むしろよく一か月で戻ってこれたなとベリルは内心で称賛すらしている。

 ヒロインが授業をボイコットしていなくなったあの日、もし戻ってきたら当面は見守ってあげましょうね、と言っていた令嬢たちは言葉通り優しく見守る方向性にしたようだ。

 ヒロインがとても気まずい状況であるというのは見ればわかるので、何もここでわざわざ追い打ちをかけるような真似をする必要はないと判断した結果だった。これが全然反省も後悔もしていないようなら、違ったかもしれない。

 けれど、ヒロインは以前のやらかしを巻き込もうとした相手にどうにか謝罪し、王子たちも次はないと言いつつ快く許したので。


 とりあえずヒロインが貴族としてやっていけない、という最悪の展開だけは回避できたようであった。


 なのでまぁ、ベリルとしては。


 自分はあの乙女ゲームでもほぼ出てこないモブみたいなものだけど。


 良かったねヒロインちゃん! これから頑張れ!!


 と、ひとまずのエールを心の中で送るのであった。

 ヒロインちゃんの今後の頑張りにご期待ください(◜◡◝)


 次回短編予告

 聖女と王子のおはなし。

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― 新着の感想 ―
いわゆる「乙女ゲーム」をやるタイプの子って、本来なら肉食系女子じゃないことが多いし、一般的な日本人の感覚だと、我に返った時羞恥に悶えるくらいの黒歴史になっちゃいましたね。 御愁傷様です。
[一言] ついでに電話口のかーちゃんみたいな声で大根演技してそう
[良い点] 逆に物語に縛られることもなくなったので、いい意味でやりたい事が好きにやれる環境だよ、ヒロインちゃん。頑張れー。
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