「大きくなったらお兄様と結婚する」という言葉を真に受けた義兄が迫ってくる
「カンナ嬢。俺と結婚してほしい」
私……カンナ・アリエットの身に起こっていることは、誰もが羨む場面だろう。
高貴な王子殿下が私の目の前で跪き、求婚しているのだ。
他のご令嬢であれば喜んで受け入れているかもしれないが、もちろん私は違った。
「色々と話が飛びすぎて状況が掴めないのですが……あの、とりあえず貴方はアイビーお兄様ですよね?」
そう。跪いている金髪赤眼の男性は、私の兄であるアイビー・アリエットお兄様なのだ。
物心ついた時から侯爵家に生まれた私の兄として、一緒に育ってきた。
そんなお兄様は三年前に王都へ行き、離れ離れになったのは寂し……くはなかったけれど、むしろお兄様が出発前に『カンナと離れたくない! やっぱり俺は王都に行かない!』と騒いで大変だったり、離れてから頻繁に送られてくる手紙やプレゼントは鬱陶しかったけれど、まさかこんな形で再会するなんて。
何を隠そう、お兄様は重度のシスコンだった。
私のことが大好きで大好きで、いつも付き纏われていた。
お兄様が家を出た三年後、成人した私は社交界デビューを果たしたところに第二王子殿下が現れ、その人物がなんとお兄様だったのだ。
パーティーが終わり、なぜか私と父が第二王子殿下に呼び出され、現在の求婚に至る。
「そうだ! 俺はカンナの大好きなお兄様だぞ!」
「……相変わらずで良かったです」
パーティーでは令嬢たちの視線を集め、麗しいと騒がれていたが、以前と変わらぬシスコン全開の姿に安心する。
「カンナは冷たいなあ……まあそれも愛情表現だって俺は知ってるからな!」
「それより、どうしてお兄様が第二王子殿下として現れているのですか⁉︎」
疑問を解決するべく、お兄様の話を遮って質問する。
元々第二王子殿下は産まれた直後に母子共に亡くなっていて、存在しないはずだった。
「それは俺が第二王子だからだ」
質問の答えになっておらず困惑していると、私の隣に座る父が説明してくれた。
「実は、身分の低い側室だった殿下の母君が殿下を妊娠した時、命を狙われていたんだ。極秘で殿下を産んだのだが、どこからか情報が漏れてしまい、お二人は追われていた。そんな殿下の母君は、私たちを頼ってきた」
「じゃあ……私とお兄様は血が繋がっていないのですか?」
「そうだ。実は同じ時期に我々夫婦の子も生まれたのだが、すぐ亡くなってしまって……その事実を隠し、殿下を我々の子として育てたのだ」
私の質問に父が頷き、兄だと思っていた相手が義理の兄だということが判明した。
だからお兄様は……いや、お義兄様は私に求婚が可能なのだとようやく納得した。
「ですがなぜそこで結婚になるのですか?」
「困惑しているカンナも可愛いなあ。よし、俺が説明しよう!」
先程まで重い話をしており、もっと空気が重くなってもいいのだが、お義兄様は元気でうるさかった。
「俺は幼い頃にすぐ侯爵家の子ではないことがわかり、どうしても疎外感があった」
確かに私も疑問に思っていたことがあった。
それはお父様もお母様も茶系の髪や瞳の色をしていて、私もその色を継いでいたけれど、お義兄様は違った。さらに両祖父母や親戚にも金髪赤眼の人はおらず、お義兄様が羨ましく思った時もあったものだ。
「どこか心が満たされず、苦しかった俺の心を救ってくれたのがカンナだ」
ようやくまともな話をされ、少しは耳を傾けようかと思ったけれど。
「そんな俺にカンナはこう言ったのを覚えているか? 『大きくなったらお兄様と結婚する!』って。その時のカンナが本当に可愛くてな」
「お義兄様……」
「それで思ったんだ。俺はカンナと結婚するために生まれて来たんだって」
いや、いきなりぶっ飛んだな? と思わず心の中で突っ込みを入れる。
少しずつ惹かれていくならまだしも、いきなり結婚は飛躍しすぎではないだろうか。
「そこから俺は必死で努力した。誰にも負けない、カンナの夫として恥ずかしくない男になるために!」
すごく嬉しくない方向に努力されている気がする。
確かにお義兄様は身体能力が高く頭も良いと言われていたが、才能の無駄遣いとはこのことをさすのかもしれない。
「あの、お義兄様と結婚なんて絶対嫌ですよ」
「なっ……なぜだ⁉︎ なぜなんだ!」
この世の終わりのような声をあげているけれど、当然だ。
兄と思っていた相手と結婚できるわけがない。
禁断のように思えてしまい抵抗がある。
「カンナが結婚してくれないと俺は死ぬぞ! いいのか!」
「勝手にどうぞ」
「ぐはっ」
ズバッと言い切ったことで義兄にダメージを与え、わざとらしく心臓あたりを押さえていた。
「第一、私よりもっとお義兄様に釣り合うご令嬢がいらっしゃると思いますが……」
私より身分の高い令嬢や、力のある家門の令嬢もいるのだ。
国のためにもそのような令嬢と結婚した方がいいだろう。
「カンナ……実はな。殿下にはこの世の女性の区別がつかないらしい」
「……はい?」
お父様は言いにくそうに話していたが、意味をすぐには理解できなかった。
「俺にとって女性とは、カンナかカンナ以外だ。相手がカンナじゃないとぼやけて見えるんだ」
「一度医師に診てもらった方がよろしいのでは?」
あまりにぶっ飛びすぎて、突っ込みが止まらなくる。
「ふ、ふふ……」
しかし突然お義兄様が不気味に笑い始める。
「残念だったなカンナ。どれだけ嫌がろうが、この結婚は王命なんだ」
「おうめい……王命⁉︎ そ、それは本当なのですかお父様!」
「……そうだ。確かに国王陛下はこの結婚を命じられた」
信じられない……こんなことがあっていいのかと思った。
「どうして国王陛下が……理由はあるのですか?」
私の問いに父は気まずそうに視線を外し、答えてくれる様子はない。
代わりにお義兄様に視線を向けると、笑顔で答えてくれた。
「俺が陛下を脅したんだ」
この人は何をしているんだ。
真っ当な理由があるのかと思いきや、お義兄様が脅したって正気なのか。
「ほら、陛下は俺の産みの母親を愛していたから、母親を守れず死に追いやった責任を取れと迫ったんだ」
「いや本当に何をしているんですか? バカなのですか?」
「全く厳しいなあカンナは。そんなところも好きだぞ俺は」
自分のしたことの大きさを全く理解していないようで、呑気な顔をしているお義兄様に頭が痛くなる。
「さすがのカンナも王命には逆らえないだろう。それでも嫌と言うのなら……さっき俺にバカと言ったことに対して不敬罪に問うからな」
「最低ですねお義兄様」
ここにきて私まで脅そうとは。
残念ながら私を脅そうなんて百年早いけれど。
「……ああっ、残念ですお義兄様」
私は悲しむフリをしながらお義兄様を見つめる。
「私と結婚したいというのは建前で、本当は私を罰して痛めつけたかったのですね」
「なっ……」
「だから不敬罪などと……」
「ち、違う! 俺がカンナを傷つけられるわけがないだろう! 罰するつもりなどない!」
「ええ、知っています。お義兄様は私のことが大好きなので」
だから私を不敬罪で問わないのはわかりきっている。
しかし厄介なのは王命……お義兄様が脅したのであれば、どうにかして説得して取り下げるよう国王陛下に頼んでもらうしかない。
「くっ、俺の心を見透かしているカンナ……俺を全てわかっているということは、最高のパートナーになれるということじゃ」
「もし結婚してしまうと、私は二度とお義兄様と呼べなくなるのですね。実の兄としてお慕いしていたので、そんなの悲しいです」
「い、痛いところを……だがしかし、俺は『お兄様』よりも『旦那様』と呼んでほしい……いや、むしろ名前で呼ばれたい!!」
ダメだなこいつ、と諦めモードになる。
お義兄様は本気だった。
「……こんな人に育て上げたのはお父様とお母様ですよね? どう責任を取るおつもりですか?」
「いや、残念だがカンナが殿下をこうさせたのだ」
「うん、コソコソと話しているつもりかもしれないが、しっかり俺にも聞こえているぞ」
何か手は……とりあえず、まずは結婚までの時間を稼ぎたい。
そのあと考えたらいい。
「お義兄様、いきなり結婚だなんて心の準備ができません。なので一度、婚約という形にするのはいかがでしょうか」
「それはすぐに俺と結婚するのは恥ずかしいだけで、結婚したいという解釈で」
「拒否権がないだけであって、断れるのなら今すぐ断りたいのですがよろしいのでしょうか」
「嘘だごめん! 必ず俺が相手で良かったと思ってもらえるように頑張るから見ててくれ!」
今の私にはお義兄様がシスコンの延長線にいるようにしか思えず、絶対に男として見られそうにない。
確かに顔は良いと思っていたけれど……パーティーでは多くの令嬢たちの視線を集めて騒がれていたが、この性格を知っても尚、お義兄様を好きでいられる人がどれほどいるだろうか。
こうして私とお義兄様の攻防が始まろうとしていた。
◇◇◇
「カンナ! 愛しい俺のカンナ! 俺はカンナ以上に可愛くて綺麗で美しい女性を知らない!」
「お義兄様は他の女性がぼやけて見えるんですから、知らなくて当然でしょうね」
「カンナ、いつまで俺をお義兄様と呼ぶんだ。名前で呼んでくれ!」
「お義兄様」
「カンナ……名前で」
「お義兄様」
私の圧に屈したお義兄様は、その場に泣き崩れる。
「うっ、カンナが中々心を開いてくれない……」
「結婚は諦めてくださいましたか?」
「いいや全く」
諦めの悪いお義兄様は、どれだけ私が冷たくあしらおうとも折れることがなかった。
「第一、こんな頻繁に会いに来て大丈夫なのですか? 王子ともあろうお方が」
「俺を心配してくれているのか! ついにカンナにも俺への愛が芽生え……」
「はあ……」
「嘘! 嘘だ嘘、わかっているぞカンナが俺を愛していないことぐらい」
お義兄様は自分で言っておきながら自分で傷つき、ひどく落ち込み出す。
「それで? 今日は何のご用でしょうか」
「デートしよう!」
「わかりました。では今から王子宮まで行く馬車デートはいかがでしょうか」
「もしかして、朝まで俺と離れたくないという意思表示か……⁉︎」
早く帰れという意味だ。
どうしてこれほどポジティブになれるのだろう。
結構突き放しているつもりなのだが、お義兄様のダメージはゼロのようだ。
「カンナの引き顔も可愛いなあ。見ているだけで癒される」
どういう趣味だ。
日に日にヤバさが増している気がするのだけれど、勘違いだと思いたい。
「今日のデート先はなんと! 予約困難と言われる王都で有名なカフェだ!」
「え……も、もしかして女性たちに大人気の『スズラン』というカフェですか⁉︎」
「そうだ!」
お義兄様の言葉に思わず食いついてしまったのは、ずっと行きたいと思っていたお店だったからだ。
「行きたいです! ですがどうして予約が取れたのですか?」
「それはもちろん金と権力があれば余裕だ」
あ、これは王族の立場を利用したな……とすぐにわかった。
けれど行きたい欲が勝ってしまい、つい王都でのデートを受け入れてしまった。
「俺はカンナがデートに乗り気になってくれて嬉しぞ!」
「くっ……お店で釣るのはずるいです」
「この世界は金と権力が全てなんだ」
すごく悪い顔をしていて、こんなお義兄様に乗せられる自分もまだまだ未熟だと思ったが、このデート自体は嫌ではない。
なぜなら──
「うん、すっごく美味しい!」
「君が喜んでくれてよかった」
お義兄様は外面がよく、人前では紳士的な姿を見せているためだ。
第二王子としてふさわしい振る舞いをしている姿を見ると、不覚にも胸が高鳴……りはしないな。ずっとその姿で接してくれたらいいのにと心から思う。
「見て、第二王子殿下と婚約者のカンナ様ですわ」
「お二人が並ぶと美しくて絵になりますね。素敵ね」
そんな私たちを見て、同じく店に来ていた令嬢たちが騒いでいた。
「お義兄……いえ、殿下。なぜ貸切にしてくださらなかったのですか」
このままだと周囲に仲睦まじいと誤解され、ますます結婚回避が遠のいてしまう気がした。
「それは俺たちの仲睦まじい様子を周りに見せつけるためだ」
わざとなのか! と思わず叫びそうになるのをグッと堪える。
やはり断るべきだった。けれど……頼んだスイーツはとても美味しくて、後悔はない。
「そういえば、殿下は普段何をされているのですか?」
お義兄様が家を離れて三年。
第二王子は亡くなったと思われていたが、生存が公になって以降、その地位を固めているようだった。
もしかして王位でも狙っているのだろうか。後継者争いに巻き込まれてお義兄様の母親は亡くなり、お義兄様も殺されかけたというのに。
「ああ、今は敵の力を削っているところなんだ」
「……っ⁉︎」
義兄の言葉に衝撃を受ける。
敵……ということは、本気で後継者争いに参加するつもりなのか。
「なぜ殿下がそのようなことを……危険に晒されるだけです」
「しかし黙って見ていれば君に危険が及ぶだろう」
「え……」
「すでに君を狙おうとしている情報が入っているから、早く片付けないとね」
「お義兄様は……で、殿下は私と無理矢理結婚しようとした上に命まで危険に晒すのですか?」
「そうならないために動いているから安心してくれ」
周りに誰もいなかったら、できるか! と叫んでテーブルを強く叩いていたことだろう。
これから死と隣り合わせで生きろというの?
「絶対に嫌!」
「待ってくれカンナ」
思わずカフェから飛び出したけれど、すぐお義兄様に追い付かれてしまう。
「ついてこないでください!」
「一人で行動しては危ない。すでにカンナは狙われている。こんな人通りのない裏道は避けて、今すぐ大通りに戻っ……」
「残念だがもう遅い」
その時、お義兄様の言葉が現実となってしまい、突然刺客が現れた。
それも一人ではなく、複数人に囲まれてしまう。
「そ、んな……」
「護衛もつけずに婚約者とデートとは呑気なものだ」
「え……お、お義兄様、護衛はつけていないのですか⁉︎」
「もちろん。君との時間を邪魔されたくないから」
まさかの展開に頭を抱えたくなる。
これはもう終わった。私の命はお義兄様によって呆気なく消えていくのだ。
「ま、これぐらい俺一人で大丈夫だよ」
「はあ⁉︎ 何を言って……」
「すぐ終わらせるから待ってて。怖いだろうから、自分の手で耳を押さえて目を閉じるんだ。できるか?」
「……っ」
迫り来る死を前にだんだんと恐怖心が募っていき、お義兄様の優しい声音につい安心してしまう。
お義兄様の言う通り、自分の手で耳を押さえ、ギュッと目を閉じた。
どれくらい時間が経っただろうか。
微かに聞こえる声や剣の音が怖くなって足が震え、立っているのもやっとだった。
敵は複数人。こんなの勝敗はわかりきっている。
それでも望みをかけてしまう自分がいて、ただ全てが終わるのを待った。
そして……突然肩に手が置かれ、恐怖のあまり足の力が抜け、間抜けな声と共に尻餅をついてしまう。
「お義兄、様……?」
咄嗟に目を開けると、そこには顔や服に血を浴びたお義兄様の姿があった。
「怖かったね。もう大丈夫だよ」
ニコッと柔らかな笑みを浮かべる義兄に安心感を抱くのではなく、鼓動が速まる。
何だろう、この感じ。
刺客はどうなったの? お義兄様の顔や服についている血は……誰のもの?
「く……そおお!」
恐る恐る周りを確認しようとした時、突然お義兄様の背後から怪我を負った刺客が襲いかかる。
しかし義兄は驚く素振りすら見せずに手に持っていた剣で相手を斬りつけ、その血が私の頬にまで飛んできた。
今、何が起こって……?
刺客は倒れてしまい、ピクリとも動かなくなってしまう。
他の刺客も同様に血を流して倒れていて、嫌な汗が流れた。
「せっかくカンナとのデートを楽しんでいたのに、邪魔してくるなんて本当に空気が読めないなあ。ねえ、誰の差金?」
お義兄様は斬りつけた刺客に声をかけたが、息絶えているのか反応がない。
「あー、死んじゃったか。じゃあお前でいいや」
「ぐっ……」
義兄は近くで倒れる別の刺客の元へ移動し、同じ質問をした。
「誰の差金か教えてくれる?」
「そ、なの……言う訳が……ぐああ」
目の前の光景は信じ難いものだった。
人を傷つけることができなさそうなお義兄様が、刺客の手を踏みつけていた。
「うるさいなあ。早く話してくれない? これ以上カンナとの時間を邪魔されたくないんだけどな」
さらにお義兄様は手に持っていた剣で、踏みつけていた部分を刺した。
刺客はさらに痛みの声をあげ、痺れを切らしたお義兄様が気絶させていた。
「あとで責任を取ってもらうからね? 知ってること全て話すんだよ」
それは私の知っているお義兄様ではなかった。
今、私の目の前にいる男は一体誰だろう。
「カンナ、待たせてごめんね」
「ひっ……」
ようやく義兄が私に視線を向け、思わず怯んでしまう。
「カンナ……頬に血がついちゃったね。ごめん、こんな汚いやつらの汚い血をつけてしまって」
申し訳なさそうに私の頬についた血を拭うようにして、お義兄様の手が触れてきた。
「だけどもう大丈夫だよ。こんな風に、俺たちの仲を邪魔する奴らは全部排除するから」
一切曇りのない笑顔を向けられ、さらに鼓動の高鳴りが増す。
これは恐怖から来るものなのか、それとも──
「あれ、少し顔が熱くなってるね。カンナには刺激が強すぎたかな」
「……っ」
違う、これは恐怖によるものだ。
そう何度も自分に言い聞かせたけれど、なぜか初めて見るお義兄様の一面から目が離せなくなる。
「安心して? カンナは絶対に俺が守るから」
そんなお義兄様が一番危険な気がしてならなかったけれど、あまりに妖艶なその姿に、私はそれ以上何も言えなかった。