第1話「傷物令嬢」
一台の馬車が森林の中をひた走る。
車輪が道に転がった石に乗り上げるたびに大きく揺れる車体。
侯爵令嬢シャルロット・ラドフォルンは膝を抱えながら激しい揺れに耐え続けること6時間。
ポニーテールに束ねていた金色の髪は乱れ、碧い瞳からは光が失われかけていた。
「さすがは辺境の地ウォルトレーン領⋯⋯一向に辿り着く気配がない」
こんな気が遠くなりそうなとき、私、シャルロット・ラドフォルンは決まってあの日の出来事を思い出す。
あれは14年前、私が7歳のときのことだ。
王宮で開かれた晩餐会の席で、熱湯が入ったポットが王子の上に落ちてきて、それに気づいた私は咄嗟に王子に覆い被さった。
『熱いッ!』
私は右上半身に大やけどを負った。
今でも右腕全体と胸、背中に痛々しいほどのやけどの痕が残る。
自分の姿を鏡で見たときは愕然とした。
お気に入りだったドレスもかわいい洋服ももう着ることはできない。
14歳ーー
他国の侯爵家の嫡男との婚約が決まる。
月あかりに照らされた婚約者との初めての夜。
私のやけど痕を目にした婚約者は顔色を変えてその場で婚約破棄を申し渡した。
こんな傷物の私では貰ってくれる貴族などいない。
婚約者のベッドの上にへたり込んだまま頬に涙が伝ったのを覚えている。
それからの私は隠されるようにラドフォルン家の屋敷に閉じこもって生活をしていた。
有益な貴族や王家に嫁いで子を成してお家の権威を高めることが貴族令嬢に求められる役割。
貰い手のない私はただの穀潰しだ。
母なんて、“こんな穀潰し”はどこぞの下級貴族の家でも構わないから、使用人としてさっさと売るべきだと父に迫ったくらいだ。
それから7年が経ってようやく母の願いが叶った。
これから私が仕えることになるウォルトレーン家とは深い因縁がある。
かつてデューハースト王国は王家内の本家と分家による家督争いにより激しい内乱が続いていた。
我がラドフォルン家は本家派、一方のウォルトレーン家は分家派と対立関係にあり、ウォルトレーン家とは2度に渡り交戦をした。
戦いはいずれもウォルトレーン家の勝利。
王国で圧倒的な兵力を誇っていたラドフォルン家をその半分にも満たない兵力のウォルトレーン家が
2度に渡り退け、その勇ましく戦う様から“王国一の兵””戦闘民族“と恐れられ、本家派を震え上がらせた。
しかし、王族内の家督争いそのものは本家派が勝利した。
分家派が担いだ分家の頭領が突然の病で亡くなったのだ。
長く続いた内乱はあまりにも呆気ない幕引きとなり、実質勝利した本家派は戦後処理の裁定を父、クラウス・ラドフォルンに託した。
本家派内でも敵でありながら多くの武功をあげたウォルトレーン家だけは恩赦されるだろうとの見方が優勢だった。
だが、父が下した裁定は王国中が驚くほどの非情な判断だった。
爵位こそ辺境伯が与えられたが、領土は以前の3分の1ほどの面積しかない未開の地への改易。
そして数十年かけての開拓が命じられたのだ。
そこは人が住むことが叶わない死の大地。
険しい山々に囲まれ作物も育たないような養分の乏しい土地として知られ、王国も手をつけてこなかった領土だ。
かつてはドラゴンが飛び交い魔王が棲んでいたとされる伝承があることから魔界と揶揄する者もいる。
この処遇に王国内では魔界送りと囁かれた。
実践で2度も勝利したのにも関わらずこの不遇な処置にウォルトレーン家のラドフォルン家に対する怨みは相当根深い。
私は殺される覚悟でいる⋯⋯
”ガタンッ“
馬車が急に大きな物音を立てて停車する。
『開けるぞ』
馭者の男性がドアを開けて顔を覗き込む。
茶色の短髪にパッチリとした目と黒い瞳、使用人とは思えないほどの清潔感のある男性だ。
歳も私と変わらないくらいか少し歳上。
「陽が落ちた。今夜はここに泊まる」
馬車を降りると土手の上に小さな掘立小屋が建っていた。
「あそこが泊まる場所? 宿屋には見えないのですが」
「あんなでも3日は寝泊まりできるくらいの食糧と布団がある。行くぞ」
「は、はぁ⋯⋯」
正直、獣が棲みついてそう外観に抵抗感を覚える。
「昔、兵士が戦の傷を癒すために作られた隠し湯だ。ちょうどあの小屋の裏手に露天の湯治温泉がある。先に入るといい」
“温泉⁉︎“
『遠路はるばるよくお越しくださいました』
小屋の中から紫の長い髪に大人の雰囲気を漂わせた女性が出てくる。
「私ウォルトレーン家で侍従長をしていますドーラ・テオラルと申します。以後、お見知り置きを。
シャルロット・ラドフォルン様。今夜はこちらでごゆっくりお過ごしください」
「あ、ありがとうございます⋯⋯」
今宵は温泉の水面に三日月がうつる綺麗な夜ーー
全身を湯に浸からせていると緊張感が和らぐ。
ここはもう敵地だというのに。
明日の今ごろには首と胴が離れているかもしれないのに⋯⋯
3日前ーー
『ウォルトレーン家の動きが怪しい』
白い口髭を蓄えて白髪をオールバックに整えた糸目の父は一見すると穏やかな老紳士。
しかし、家族と接するときは厳しい一面を持つため、父と対面するときは緊張が走る。
「まことですか⁉︎」
「何やら戦争の気配を感じる。見張らせていた監視役からの連絡だと領主が息子の代に変わってから1年、人目のつかないところに謎の施設を建造したり、
何かと黒い噂が絶えないコルネロス商会と頻繁に接触を繰り返しているとのことだ」
「では、私はーー」
「人質としてウォルトレーン家にお前を差し出す。ウォルトレーン家の内部から状況探り戦争を企てている証拠を見つけ出せ」
私が婚約破棄されてお屋敷に戻されて以来、父は私に他の領主と渡り合えるように経済学、治世学、兵法などを叩き込んだ。
そして密かに暗殺術までーー
父は女として使えなくなった私をウォルトレーン家に送り込む刺客として育てあげたのだ。
娘がどんな状態になったとしても最後まで道具として使おうとする父の非常さにショックを受けたが、
ラドフォルン家の”穀潰し“として過ごすよりは幸せなことだと納得してしている。
入浴している今も毒針だけはしっかり身体の中に仕込んである。
湯浴みを終え、脱衣場で明日の行動を考えながら濡れた身体を拭う。
ウォルトレーン家が戦争の準備をしているなら、私が到着して早々に首を刎ねて、その首を父のところに送りつけるだろう。
それが開戦の合図だ。
考えすぎ? いや、ウォルトレーン家は世に名高い、野蛮な戦闘民族。
ウォルトレーン家の領主ならそうするはず。
「着替えどこかしら」
濡れた髪をタオルで拭いながら、着替えを探して振り向くと⋯⋯
「な、なぜ男湯に⋯⋯」
いつのまにか馭者の男性が半裸で立っていた。
『きゃああああッ!』
静まった夜に、私の悲鳴と頬を叩く音が鳴り響いた⋯⋯
太陽が昇り朝がやってくる。
侍従長のドーラ様も馬車に帯同して出発する。
「シャルロット様、ウォルトレーン領までもう少しです。お話を楽しみながら参りましょう」
「そんな気分ではありません」
「あらら」
暗殺術まで叩き込まれた私があんな男の気配に気づかなかったなんてあの馭者何者なの?
やはり私を殺すための刺客?
裸を見られたぐらいであんな悲鳴をあげるなんてはしたない。
『きれいだ⋯⋯』
しかもあんな真顔で⋯⋯思い出すたびにこちらの顔が熱くなる。
「どうかされましたシャルロット様? お体の具合でも?」
「いえ、だいじょうぶです」
「シャルロット様が身悶えしているうちに見えてきましたよ。ウォルトレーン領」
そこは人が住むことが叶わない死の大地。
かつてはドラゴンが飛び交う魔物の地とも恐れられ人間は近寄らなかった。
住むことを強いられた領民たちは寒さと飢餓に耐えながら身体を鍛えて、武器を密造し、
王国に反旗を翻す機会を虎視眈々と狙っている。
これがデューハースト王国内に広まるウォルトレーン領のイメージだ。
だけど私が窓を覗き込んで見えてきた光景は木の下で領民たちが酒を手に歌い、騒ぎ舞踊る、まさにそこは地上の楽園だ。
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