第7話 カレンの名
「いやぁ、お忙しい中、わざわざご足労いただきまして申し訳ありませんな、騎士団長殿」
「どの口でおっしゃってるんですか、クラヴェル様。今朝方詰め所に押しかけて私を名指しし、「ウチの部下の名前を出した経緯を説明しろ」と詰め寄ってこられておいて」
苦笑する騎士団長と対照的に、所長はニヤニヤと楽しそうだ。
「所長って、騎士団長より偉いの?」
出来るだけ声を抑えてリラに問う。
「あちこちの役職を歴任してきたおかげで宮廷内なら王妃以外には顔が利く、と豪語してますけど……騎士団長を呼びつけるほどとは思ってませんでした」
「さて、向こうに応接室がある。騎士団ほどじゃねぇが、それなりだ」
所長はそう言うと、私とリラの方を見た。
「カレン、行くぞ。リラ、湯茶頼む。三つな」
「はい」
「分かりました」
私はデスクを離れ、所長、騎士団長に続いて応接室へと向かう。
私にとっては、掃除をするとき以外はほとんど足を踏み入れない場所だ。
部屋にはシックな黒いテーブルを挟んで、黒い革張りの椅子が二脚と二脚、向かい合う形で置かれている。
所長の促しを受けて、所長の隣の席に私が、向かい側に騎士団長が腰を下ろした。
そして、私をスッと見て、静かに頭を下げた。
「まずは、カレンドゥラ=ピエドラデルナ女史にお詫び申し上げます。この度は、我が団の者があなたに心労をおかけして、申し訳ありませんでした」
「えっ、いえ――そんな、心労なんて別に……」
もごもご言いながら、私は目のやり場に困って隣の所長を見た。
そのバツの悪そうな顔を見て、さすがの私も察した。
この上司は針小棒大に、おそらく「所員が憔悴して仕事が手につかなくなっているから詫びに来い」くらいのことを語ったのだろう。
「クラヴェル様のいつもの軽口……とも思ったのですが、それでもエデルが宮中にさざ波を立ててしまったのは事実。渦中のあなたには詫びねばならないとは思っていました。本当に、申し訳ない」
「あの、大丈夫です。所長が何を口走ったのかは分かりませんけど、見ての通り、たいして影響も受けていませんし」
どうにか笑顔をつくって、私は言葉を紡いだ。
「そう言ってもらえると助かります。何せ、貴女にはいつも、設備の点検修繕を丁寧にしていただいている。他の方の仕事ぶりは存じあげないが、貴女が優秀であることはよく分かっているつもりですから」
耳が熱くなる。
リラ以外の人から、こんな風に褒められることはまずない。
「社交辞令はそこまでにして、だ」
所長が腕を組んで言った。
「さ、聞かせてくれや。そちらさんのエデルウェイス=ディアマンテくんが、なんだって面識のないカレンの名前を出したんだ? そもそもにして、どうやってカレンの名を知った?」
「その原因は私にあり、遠因はあなたにあるのですよ、クラヴェル様」
「へ? 俺?」
素っ頓狂な声を所長があげ、私は反射的にそっちを見た。
分かりやすく焦った様子で、所長が夕日色の髪を掻く。
「俺が、騎士団に、カレンの名を? ――あっ!」
「なんですか、所長」
「思い出した。毎晩遅くまで塔に明かりがついているのは何故だ、っつっていつだかの予算委員会でつっつかれたんだよ。そんで俺は、夜間でなければならない研究だとか適当言って有耶無耶にしたんだが、その後、アルが聞きに来てたな」
アル――さっきもそうだったが、所長は、騎士団長を愛称で呼び捨てにするほどの間柄らしい。
団長は苦笑して、言葉を継いだ。
「ええ、そうです。私はその会議が終わってすぐ、クラヴェル様に、それほど熱心に研究している人材が揃っているのですか、と尋ねました。すると、いや、実際には一人だ、と答えられ、そこでカレン女史の名が出たのです」
はぁ、と気の無い相槌を打ちながら、私は頷いた。
しかし、である。
「でも、騎士団長様は、元々、私の顔と名前をご存じでしたよね。宮殿内でお会いした時に、声をかけていただいたこともありましたし」
私の言葉に、騎士団長は笑顔で頷いた。
「――であれば、あらためて私の名前が出たところで、驚く何物もないように思うんですが」
「それもそうだし、お前がカレンについて知ったことと、騎士団の坊ちゃんがカレンの名を知ることと、どう繋がるってんだ?」
「いつも丁寧に仕事をしてくれている女史が、遅くまで研究に打ち込んでいるその人であるということが繋がり、私はこれを騎士団の訓示に使えると思ったのです」
訓示――
確か、目上の人間が部下などに対して心得などを伝えることだ。
王魔研にはない文化だが、騎士団にはきちんとあるらしい。
「ちょうどその頃、巷では、ハンター業を営む双子の勇士が話題になり始めていました。恥ずかしながら、そのことに心を乱す団員が少なからずいました」
「ま、騎士の連中はほとんど貴族の身分の出だからな。名誉や名声には惹かれるだろうよ」
「返す言葉もありません。しかし、謙虚に粛々と民衆と王家を守る盾になることこそ騎士の本懐。そこで、私は女史の名を出し、陰に日向に尽力することの尊さ、華やかな世界の裏で民衆を支える素晴らしさ、そしてその人物が極めて身近に居るという事実を伝えたのです」