第20話 流れに身を任せて
私は、リラの顔を見た。
その視線には、「本当?」というような意味を込めたつもりだったのだが、リラは目を少し大きく見開いただけで、それがどういう意味を持つのかは私には分からなかった、
「実際のところは――よく、わかりません。恥ずかしながらの周知の事実で、その、そういう経験がないものですから」
そっか、と小さく頷いて、マギーは微笑んだ。
そして頬杖をついて、私を見つめて言った。
「私はちょっぴり経験があるから、ひとつだけアドバイスしておこうかしら。もしも偶然が重なるようなら、その流れに身を任せてみて。それだけ」
私は言葉は紡がずに、静かに頷いて応えた。
マギーは満足そうに頷いて、デスクの上でとんとんと書類を整え、立ち上がった。
「さて、と……時間だから、私も退勤しようかしら。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
颯爽とオフィスを出て行くマギーの背中を見送って、私はリラを見た。
同じタイミングで彼女も私を見たらしく、しっかりと目が合った。
「やっぱり、マギーさんの言葉は重みが違いますね」
「人妻だからね」
そして、彼女の言葉の重みを味わうのは、翌日、ようやく迎えた週末の市場でのことだった。
私はいつも、朝の混み合う時間帯を避けて、昼というには早いけれど、朝というには遅すぎる時間帯に市場へ出向く。
理由は単純で、特価品があるからだ。
早朝ならば、売り切れる前の良質な野菜、果物をそれなりの値段で買うことが出来る。
しかし、この時間帯なら、翌日に店頭に並べるのは厳しいからさばいてしまおうという品々が投げ売りされるのだ。
16歳から始めた一人暮らしの中で身につけた、生活の知恵だ。
舗装された石畳の広場をプラプラ歩く。
既に閉まっている露店も半分ほどあるが、だからこそ掘り出し物もあるというものだ。
「今日は何が安いかな~」
料理が好きかと言われれば、趣味というにはおこがましいレベルだと思う。
ただ、自分が手がけた魔導器で、思った通りの料理が出来上がるのは、楽しい。
今の時期、この時間帯なら、目が出てきたようなジャガイモが残っているはずだ。
首尾よく手に入ったら、今夜は念願のパタタス・フリタスを――
「あ――」
市場を少し行ったところで、私の足はぱたと止まった。
「エデルさん」
「カレン殿?」
彼だった。
私が制服ではなく白いワンピースを着ているように、彼はくすんだ麻のズボンに襟付きの青いシャツという簡素な格好をしていた。
おはようございます、とほとんど同時に挨拶を交わした後で、私が先に言葉を紡いだ。
「こんなところで、何を?」
答えが分かっている問いを、口にせずにいられなかった。
「買い物を……していました」
照れくさそうに頬を掻いて、彼は言葉を紡いだ。
しかし、である。
「てっきり、騎士の方は宮殿内の宿舎に寝泊まりをするものだと思っていました」
あるいは各地の詰め所で、魔物に対応できるように待機している――それが騎士の在り方だと、スクールで習った記憶がある。
「おっしゃる通り、従騎士は騎士団内の寮で暮らすのが義務です。でも、正式な騎士になると家から通うことも出来るんですよ。もっとも、それは自前の邸宅がある、貴族のためのルールのようなものですが――」
私が小さく首を傾げると、彼は苦笑して言葉を次いだ。
「私が育った孤児院は15で出て行かなければならないことになっているので、従騎士時代から引き続いて寮で暮らすのが楽ではありました。ただ、自分の住まいが欲しいという思いがずっとあったので、近くの集合住宅の一部屋を借りて一人暮らしを始めたんです」
後ろ手を組んで、まるで上官への報告をするかのように彼は朗々と語った。
「お宅、この近くなんですか?」
「ええ、すぐそこの――カンタンテ通りを入ってすぐのところです」
私は、自分の目が何度か、はっきりと瞬きをしたのを自覚できた。
「じゃあ……ご近所さんなんですね」
えっ、と彼も目をぱちくりとさせた。
でも、市場で遭遇するというのは、当然、そういうことだ。
「偶然ですね」
そう言って、すぐにマギーの言葉が耳に蘇ってきた。
「偶然が重なるようなら、その流れに身を任せてみて」
身を任せるって……この場合は、いったい、どうすればいいのだろう。
見当も付かず、私は彼が手にしている手提げ袋をちらっと見た。
何かが入っているらしく、ずっしりと下がっている。
「エデルさんは、今日は何を買ったんですか?」
「えっと……ジャガイモを。この時間帯になると安くなる、と知人から聞いていたもので」