第2話 記憶の糸
「でも、私、そのエデル――なんとかっていう騎士の人と、面識がないと思うな。名前も、たぶん、今初めて聞いたし」
私の言葉に、誰もが言葉を失った様子だった。
でも、事実なのだから仕方がない。
「嘘――ではなさそうですね。カレン先輩の、嘘つくときの癖が出なかったので」
「え? 私、何か癖あるの?」
「まっ、待ちなさいよ。じゃあ、何? そのエデルウェイスって若い騎士は、見も知らぬアンタの名前を、誉れある騎士の大事な儀式の場で出したってこと!?」
「そんなわけないじゃない。カレンがうまいことやったのよね? ね、教えなさいよ。もうやることまでやっちゃったの?」
「あら~、もしかして、すでに結婚秒読みとか? 幼馴染くんとお付き合いしているリラちゃんより、カレンちゃんの方が先か~。さすが先輩……だけど、となると同い年のグリーちゃんはもちろん、ちょっぴり年上のオリーちゃんは立場が――」
「ンン!!」
所長の咳払いが響いた。
ぎくりとしながら、私は視線を送った。
私の左隣のグリーの、さらに奥――私達のデスクが並ぶ島から少し離れて垂直に、所長のデスクはある。
私だけではなく、みんなが、普段は物言わぬ所長を見ている。
「カレン」
「は、はい」
頭をフル回転させながら、私は所長の席の後ろ、壁の時計を見た。
14時20分。
いつもなら、午後の勤務が始まっている時間だ。
でも、今日は昼休憩をズラして取らせてもらったから、あと10分は猶予がある。
他のみんなはともかくとして、私はまだ休憩時間のはず。
でも、みんなの業務妨害をしたから有罪?
いや、口火を切ったのはグリーだったし、いやいや、でも、話題の中心は私だったわけで、でもでも、自分のあずかり知らないことだし――
「……結婚式の日取りは、いつだ?」
所長の一言で、どっとみんなが沸く。
一斉に巻き起こる笑い声と喧騒の中、私は必死に記憶の糸を手繰った。
エデルウェイス=ディアマンテ――
王国騎士団の見習い――
従騎士――
ダメだ。
やっぱり覚えがない。
「カレン先輩」
勝手に盛り上がるみんなを置いて、リラの細い声が耳に届いた。
「本当に、知らない方なんですか?」
「少なくとも、私が名前を覚えていられるような関係性の人ではないと思う」
「騎士団の中で、名前を知っている方は?」
「団長さんの名前は知ってるよ。アルトゥラムス=トゥルマリナ。ほら、みんなが私に騎士団の設備点検を押し付けるでしょ。場所が遠いからって。そこで、チェック後のサインをもらうから」
「そういえば――ということは、カレン先輩が認識していなくても、騎士の方のほうがカレン先輩のことを見知っている、というケースはあるっていうことですよね」
私は頷きながら言葉を紡ぐ。
「それはあるだろうけど……その程度の間柄で、儀式の場に名前を出すかな」
「いつも設備を直してくれてありがとうございます、とか」
「月に二回の定期点検だよ? それなら、毎日掃除や洗濯をしてくれている人の方がよほど感謝の対象になるよ」
「それは、そうですね……」
リラは小さな口元をすぼめて引き下がった。
私は後輩の珍しい表情に笑いながら、言葉を次いだ。
「考えて答えが出ることじゃないよ、きっと。さ、仕事、仕事」
私は午前中に頓挫していた魔導回路の回路図を取り出して、机上に広げた。
少し経って周りを見ると、みんな、ひと笑いも落ち着いてそれぞれの仕事に戻っていた。
しばらく図面と格闘していると、また、リラの声が耳に入った。
「カレン先輩。集中しているところ、恐縮なんですが……」
「ううん、いいよ。どうしたの?」
「新しい魔導回路を試しているんですが、思った通りにいかなくて……見てもらってもいいですか」
「実験室ね」
こくりと頷いたリラに笑って、私は部屋に向かった。
実験室の壁は、引き出しだらけの棚で埋め尽くされていて、私達研究者にとっては聖域とも言える場所だ。
白く無機質で広い空間の中央には、四角いグレーのテーブルがある。
さらにそのテーブルの真ん中には、クリアな粘土が歪な立方体に成形されて置かれている。
内部には『魔石』――赤黒い、人の瞳ほどの大きさの、魔物の骸から生成される石――が複雑に埋め込まれている。
“星が降ったら穴があく、穴があいたら獣立つ。獣立ったら気をつけろ、魔物になって人の敵”
ずっと昔からそんな文句が謳われている、人間の天敵として世界中に沸く異形の怪物――魔物。
私達が研究する『魔導』は、そんな魔物達の体の一部や、命の結晶である魔石を用いて様々な現象を引き起こし、人々の生活の利便性を向上させる技術の総称だ。