第1話 剣の誓い
「騎士叙任式の誓いの場で、アンタの名前が出たってホント!?」
遅めのランチ休憩を終えて研究所に戻った私に、同期のグリーが血相を変えてまくし立ててきた。
広い宮殿敷地の東端、黒曜石の塔の上、狭いオフィスに、彼女の高めの声はよく響く。
所長を含めた他4人の同僚は、みんな少し顔をしかめながらも、私を見ている。
私は、耳慣れない単語をそのまま反復した。
「騎士叙任式?」
グリーがわざとらしく大きなため息をついて――といっても、これはいつもの彼女の癖だけれど――言葉を次ぐ。
「騎士見習いの従騎士が、3年間の修練期間を終えて正式な騎士として認められるための儀式よ。そこで新たな騎士が3つの誓いを立てるってことくらい、聞いたことあるでしょ」
私は自分のデスクに向かい、バッグを下ろした。
肩にかかるくらいに伸びた髪を撫でつけながら、小さく何度か、曖昧に頷いて応える。
私のそんな様子を見て、向かいのリラと、その左隣のマギーがクスクス笑う。
「カレン先輩、お顔に「実は知らない」ってはっきり書いてますよ。魔導研究に関しては天才的なのに、それ以外はからっきしですもんね」
「10年も王魔研に在籍していながら宮廷事情に疎いなんて、カレンちゃんらしいわよね~。顔立ちはクールで声もハスキーだから、そんな感じには見えないのにね~」
私は同僚達の優しい嘲笑に――これもいつものことだけれど――口を尖らして反論した。
「だって、私が18で研究助手から研究員に昇格したときは、そんな儀式なんてなかったし――」
「アンタね――王国騎士団といえば、国中に沸く魔物から人々を守る大規模組織よ。長い歴史の中で多くの英雄を輩出してる民衆の憧れ、花形集団。一方、この王立魔導研究所は、由緒と歴史こそあるけど、人数は手の指で足りる、職場は細い塔の上の小部屋、業務は最先端の魔導技術開発――だったはずが、民間企業に押され気味、いよいよ一部からは宮殿内の設備修繕部隊だと揶揄される始末。立派な式なんてやってもらえるわけないでしょ」
即座に、そして口早にグリーが言う。
「……で、3つの誓いってなんなの?」
私が問うと、グリーがまたひとつため息をついてから口を開いた。
「一つ目は矛の誓い。騎士として魔物を倒します、ってやつ。二つ目は盾の誓い。王家と民衆を守ります、ってやつね。でも、この二つは形式的なもので、文句も決まってるの。重要なのは三つ目、剣の誓いよ」
「剣の誓い」
私はまた、グリーの言葉を反復した。
知らない言葉がたくさん出てくる。
「そ、剣の誓い。騎士になるまでに支えてくれた大切な人の名を挙げて感謝を形にするっていう、言ってしまえば叙任式における最重要シーンね」
「支えてくれた大切な人……じゃあ、親とか?」
「普通はね。でも、中には将来を誓い合った恋人の名を挙げる人もいるらしいの。素敵よね……」
途中からうっとりした愛で中空を見上げ、グリーが指を組んで言った。
私は要領を得ないまま頷いてから、疑問を口にする。
「そこで私の名前が出ることはありえないかな。騎士団に親しい知り合いなんていないし、今日正式な騎士になったってことは、18、19歳くらいってことでしょ? 6,7歳は年下ってことになるから、スクール在籍期間もかぶってないし」
指折り話す私に、グリーがぐっと顔を近づけ、ピッと指をさす。
「で、も。アンタがお昼を食べに街に出てる間に、あちこちから聞こえてきたのよ。エデルウェイス=ディアマンテっていう子が、剣の誓いで「カレンドゥラ=ピエドラデルナ女史に捧げます」って宣言したって。こんなけったいな名前と苗字、アンタ以外にいないでしょ」
「けったいな、って……それに、同姓同名の人がいないとも限らないんじゃない?」
「ところがどっこい、その子は式の後で「月の色の髪と瞳の女性」とも発言したらしいわ。そこまでいったら、どう考えたってアンタでしょ」
そう言うと、グリーは私の左隣にある自席に、どすんと勢いよく座った。
私も座って、何度か頷いた後、それでもやはり首を傾げざるを得なかった。
小さい頃から、私の髪の色と瞳の色は月の色と表現してもらえることが多い。
容姿に関して、唯一自分で気に入っている部分だ。
なぜなら、宮殿の各部署で着られている制服が黒で、色の相性がいいように思うから。
――あらためて、その人が口にしたのは、私のことなんだろう。
でも、やっぱり、その人物の名前に心当たりはない。
人の名前を覚えるのは苦手だけれど、親しい間柄ならフルネームでちゃんと覚えているし――
リラ=アマティスタ――薄紫色の綺麗なストレートヘアと紫水晶のような瞳が特徴的な、唯一の後輩。まだ二十歳前で、小動物みたいにかわいらしいのに、私よりずっとしっかりしている優等生だ。
グリーこと、グリシナ=エスメラルダ――若葉色のミディアムボブに翠玉のような瞳をもち、声が大きな私の同期。少し口は悪いけれど、その実、いつも周りを気遣っている良い人だ。
オリーこと、オルテンシア=サフィーロ――深い海のような色の巻き毛に青玉のような瞳をもち、いつも制服を着崩して胸元をはだけさせている先輩。「王魔研に就職したのは金持ちとの玉の輿狙い」と公言し、自分の年齢は絶対に明かさない。
マギーこと、マグノリア=クアルソ――銀色といって差し支えないきれいなロングヘアと瞳をもち、ゆったりした喋り方が特徴的な人生の先輩。五歳の息子さんの子育てに奮闘しながら、事務的な作業を一手に担う。
そして、クラヴェル=グラナータ――夕日を濃くしたような短髪と無精髭と瞳をもつ、王立魔導研究所の所長にして唯一の男性。勤務中はいつも成人向け雑誌を眺め、今も私達に見えないようにページを繰っている。
「まさか、私が組んだ合コンを断り続けていた理由が、若い騎士の子との逢瀬だったなんて、カレンもしたたかね。魔導研究以外には興味ありません、なんて顔しちゃってさ」
オリーが、リラの右隣の席で、紺色の髪をくるくると遊ばせて言う。
手間暇かけてるのよ、といつも自慢する髪をいじっているのは、彼女が上機嫌である証拠だ。
私は、同僚達の視線を一通り受け止めてから、ふぅ、と小さく息をついて言葉を紡いだ。