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しとど

作者: Yukimaru

 今日は大雨が降った。天気予報では滝のような雨が一日中続くとのことだったので、折り畳みじゃない方で、いつもより少し早く仕事に出た。

 天気も悪いし気温も低い。体質のせいで頭が痛い。途中で車が泥水を跳ねた。幸い靴にかかったくらいだったが、かかってしまったことに変わりはなく朝っぱらから散々だ。少し早く出たせいで見損ねた占いは、きっと最下位ではないが、半分よりは下だろうと考えた。

 オフィスに着くまでに、スーツはすっかり湿り、心なしかずっしりとしていて、働いているうちに空調とかで乾いちゃくれないか、とか、始業までそんなことを考えていた。

 それからも時々唸るような音が窓の方ではしていて、その度にそっちを向いた。雷が落ちる日は大抵、今のように真っ黒な雲がぐったり横たわっている。さすがに落雷で停電なんて今日日あり得ないはずだが、散々だった朝を思うと、避雷針がサボっていそうで不安だった。

 昼休みの頃にちょっと落ち着いた。それでも傘が要る程度には降っているから、普段は使わない社員食堂で適当に済ませた。味は悪くないが、値段相応ではないと思った。

 あとは、定時を過ぎ、ちょっと残業してから会社を出た。

 雨は、朝ほどではないがまだ降っている。しとしと、ざあざあ、みたいな雨音は優しい。しかし、これから帰宅しようという人に、アスファルトのヒビを水で埋めたこの環境は優しくない。仮に靴底に裂け目があれば、あっという間に水浸しだろう。走ってしまえば踵の上あたりの裾は、軽く泥をかぶって臭いに決まっている。だから丁寧に歩いて帰った。

 その途中だった。

 傘を差していると視界が狭まってしまうし、あまり強い風が吹けば煽られてしまう。

 その時吹いた突風が、隣を歩いていた誰かに俺を突き出して、その人と運悪くぶつかってしまった。ずぶ濡れの傘を押し付けてしまったのだ。

 これで、本当の本当に赤の他人が相手なら、まず謝るところから始まったのに、その相手というのが喧嘩別れしたやつだった。おかげで「す」から先が口に詰まって出てこない。あっちは「すみませ」と言って止まった。こいつも気付いたんだ。

 雨音は止まっていない。車の道路を行く音も消えていない。だから、「時が止まってしまった」なんてことはない。雨音すら秒針の代わりだ。しかし、まさにそのようだった。

 何がこの体を縛ったか。コイツとの忌々しい思い出だ。5w1hを一々描いている余裕はない。まとめろと言われても無茶だ。さっきより雨脚が強い。さらさらと思考を洗って流してしまう。ストレスで茹だった中身のない頭は、焦りを煽られる。濡れるのは嫌いなんだ。ただ今ばかりはそれ以上に、ここで釘を刺されて歩けやしないのが嫌だ。

 コンクリートを覆う水面は波を打つ。湿気か汗か、靴の中や背中が蒸れている。

「いや、ごめんなさい。お怪我はありませんか?」

 こいつの言葉と愛想笑いは、何も変わらない顔つきをしていた。こっちのことを知らない人とするらしい。別に良い。それで構わない。

「ええ、はい。大丈夫です。こちらこそすみません。ぶつかってしまって」

「いや、全然。気にしないでください。どうせすぐ捨てますし」

 からから笑っている。セリフからして馬鹿にされている気がした。見た感じどこかのブランド物のようで、心なしか、この服を捨てるのはお前のせいだと言われているようだった。何かいけ好かない。

「ええ? もったいないですよ。似合ってるのに」

 適当に合わせて撤退する気だったのに何を口走っているんだと自分を責めた。こういうことを言い始めると、こいつは途端に面倒くさくなるのを脳裏に過らせるのが遅かった。熱くなってはダメだ。

「そうですか?」

 こいつ、眉は八の字に下がって口角はわずかに上を向いている。別れ話が出た日もこの顔をしていたな。腹が立つ顔だ。

「そうですよ。もったいないですって」

 で、何だったか、あの話のきっかけは。本気で怒るような話題じゃなかったはずだが。

「えー? 本当ですか?」

 巡る会話を終止したいが、糸口が無い。こいつとの会話なんて、切り上げ方があっただろうか。どこかでピリオドを打つような文法らしいものなんてあっただろうか。適当にスタンプでも送ったか? 

「はい。あ、雨強くなってきましたね」

「あ」

 スマホを見て苦い顔をしている。電車に乗り遅れそうなのだろう。

「ヤバ」といって去って行った。小刻みに跳ねる姿がビルの端に消えたくらいで、やっと足が動いてくれた。ついでに、終わり方がだいたいこうだったのを思い出した。

 会話も、関係も、今のように誰がそうさせるでもなく、さっと流れて終わったのだ。

 何一つすっきりしない。晴れやしない。そりゃそうだ、雨が降っているんだ。

 何か聴こうか。気分転換だ。曇りも少しは抑えられるだろ。気温差を是正するんじゃなくて、ガンガン鼓膜をつんざくイヤホンを通した雷がわりの絶叫で、手のひらで、乱雑に拭っていくんだ。

 イヤホンを取り付けた拍子にまた吹いた突風が、骨から砕いて傘を飛ばしていった。ニュースでしか見ない光景の体験者となった衝撃は、あいつの馬鹿笑いを置き土産にしていった。あいつの声は、ふとした時にショートするような、通り魔みたいな思い出させ方をした。

 ああ、そうだ。あいつは、この曲を聴いて「なんか違う」って言ったんだ。言いやがったんだ。破局の原因はそれだ。

 くだらない事だった。知ったところで、さっきに増して気分はどん底だ。

 ずぶ濡れで家まで帰ったが、何もかもきっと明日までには乾かない。


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