ご近所さんの噂
ときどきご飯をつくり、皆と交換しながら和やかに生活をしている。その中で、大家としての仕事も少しずつ行う。
まほろば荘の掃除や、備品が壊れてないかのチェック。特に廊下の外灯が切れかけていたらさっさと変えておかないと、夜になったら危ないからとしっかりチェックしておく。この辺りは日吉さんが教えてくれた。
「俺たちは人間よりは目がいいからなあ。夜でも問題ないが、でも三葉さんは違うだろう?」
「まあ、私も百鬼夜行に巻き込まれたくないんで、早めには帰りますけど。でもたしかに夕方のちょっと暗くなって目が利かなくなるタイミングで手元が暗かったら、困りますもんねえ」
そう言いながら、私は朝、新聞屋さんが新聞配達をしているタイミングよりちょっとあとくらいに起き上がって、まほろば荘の清掃やら、外灯のチェックをしているのだった。
まほろば荘周りを掃き掃除し、ポスト周りを拭き掃除しておく。あとは外灯のチェックをして、作業は完了だ。
ちりとりでゴミを集めて回収して、家に帰ろうとしたところで「花子さんの」と声をかけられた。たしかおばあちゃんの知り合いのご近所さんだった。
「おはようございます。早いですね」
「犬の散歩があるからね。あんまり遅い時間だと、通勤通学時間と被っちゃうから今の人の空いている内に」
たしかにご近所さんは、尻尾がふさふさとしている柴犬にリードを付けていた。目がくるくるとしていて可愛い。たしかにこれだけ可愛かったら通学中の子たちに捕まって撫で回され、なかなか散歩もできないだろう。
私は「先日は煮豆ごちそうさまでした! 入れ物返しますね!」と慌てて取りに行くと、ご近所さんは「お気遣いなく」と笑う。
「ここの生活は慣れた?」
「一応は。まだ店子さんたちに教えてもらってばかりで、大家らしいことは全然できてないですけど」
「こんな朝から掃除しているだけ、ずいぶんと立派だと思うけどねえ」
ご近所さんはしみじみとした様子で、まほろば荘を見上げる。
昨日は百鬼夜行でわちゃわちゃ騒がしくもなかったから、近所でも騒音被害は出ていなかったと思う。
「最近ねえ、なんか電気の事故みたいな音が響いてるから、大丈夫かしらと思ってね」
「あれ……そうなんですか?」
口ではそう言ったものの、内心私はギクギクとしていた。
頭に浮かぶのは、クラスメイトの鳴神くん。結局彼がなんなのかがいまいちわからない上、日吉さんもまほろば荘の外のことには下手に手出しできないみたいに言っていたから、放置するしかなかったけど。
ご近所さんまで聞いてたんじゃ、さすがにまずいんじゃないかなあと思う。
私の内心を知ってか知らずか、ご近所さんは続ける。
「バチンバチンって季節外れな静電気の音がするから、あれはなんだろうって周りでも言ってたのよ。三葉さんは知らない?」
「ええっと……私はちっとも……でも危ないですね?」
「そうなの。騒音被害じゃないかって、交番に相談に行ってくれた人もいるんだけどね、近所をおまわりさんが見て回ってくれたけど、原因がわからなかったの」
その言葉に、私はますます背中がじっとりと冷たくなるのを感じた。
知らないうちに大事になってる……やっぱりこれ、もう一度日吉さんに相談したほうがよくないかな。
そう思いつつも、口では全然違うことを言う。
「それは大変ですね。そんなバチバチ言う音が聞こえたら怖いですもんね。気を付けてくださいね。ええっと……」
「あらごめんなさいね。名乗ってなかったわね。私は田辺。三葉さんも気を付けてね」
「あ、はい。ありがとうございます、田辺さん」
私はペコリと頭を下げて見送った。
学校が終わったら、急いで日吉さんに相談しようと思いながら。
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その日の授業が終わり、急いで下校すると、そのまままほろば荘の二階までカンカンと音を立てて走って行く。
そしてブーッとチャイムを押した。
「日吉さん日吉さん。ちょっと相談が……」
「んー……ちょっと待ってくれ」
そう言って出てきた日吉さんは、相変わらずパソコンを付けていたようだ。
「あれ、動画の実況中でしたか? すみません」
「いやいや。今ちょうど動画の実況映像の編集作業をしていたところだよ」
「そのまんま流すんじゃないんですね?」
「もちろん面白い人だったら、そのまんま流すけど。少しカットしたり少し解説を足すだけで、動画の伸びも変わるんだよ」
写真の加工アプリを使うようなもんなのかな。私はそう納得すると、日吉さんは編集していた動画を保存してから振り返った。
「さて、今日はなんだい?」
「ええっと……今日、大家の仕事をしてたら」
「最近頑張っているようだね、偉い偉い」
「ありがとうございます……そうじゃなくってですね。最近ご近所でも交番に相談が入ったみたいなんですよ。バチバチ言う怪現象のこと。ご近所さんはさすがにあやかしの話がわからないから、騒音被害の相談みたいな形ですけど」
「ふうむ……そこまで話が大きくなっていたのかい?」
日吉さんはパソコンを置いている机から、ちゃぶ台まで移動し、ちゃぶ台に電気ポットと湯飲みを二着、急須持ってきた。
「梅昆布茶とほうじ茶、玄米茶とあるけど、どれがいいかい?」
「ええっと……じゃあほうじ茶で」
「そうかわかった」
日吉さんは本当に急須にほうじ茶の茶葉を入れて、お茶を淹れはじめた。
「うーん、難しい問題だなあ。これは」
「難しいんですか? だって、危ないひと……あやかしか陰陽師かわからないひとが迷惑かけているから、やっつけたらいいんじゃないですか?」
「こらこら。正当防衛は、一度攻められてからじゃないとただの暴力だろう? たしかに弱い妖怪たちがやられているみたいだが、俺もさすがに自分のところ以外の妖怪が、まほろば荘に逃げてきたら助けてやれるが、外で起こったことには手を出せない。あるだろう? 隣の家の敷地から、木の枝が漏れてきても、自分の家の敷地に入ってきたからと言って勝手に枝を切ったらトラブルになる」
「そういえばそんなの聞きますね……でもご近所トラブルと正体不明のひとが暴れてるのは、一緒にしていいんですかあ?」
「似たようなもんだよ。こちらからはそう簡単に手を出せない」
そう言いながら、日吉さんは湯飲みに淹れたほうじ茶を注いでくれた。
私はそれでもまだ納得できないでいる。
「でも……うちに住んでるひとたちになにかあったらどうするんですかあ……」
「むしろそのためにだよ」
私が納得してないのを見ながら、日吉さんが言い含めるように語る。
「うちにはのっぺらぼうやらお菊さんやらがいる。はっきり言って大妖怪や陰陽師に遭遇したら手も足も出ないだろうな。だがなあ、そういうあやかしだって普通に存在しているんだよ。どうにか安全な場所を求めてな」
「だったら、なおのこと、その正体不明のひとのこと……」
「下手に騒ぎまくって、そろそろ地元で暮らす人間たちだって様子がおかしいことに気付きはじめる。そこで騒動の舞台になったら、どうなる?」
「どうなるって……騒ぎが大きくなる……ですかねえ?」
「そうだ。皆が皆、人間社会に混ざりながら生活している。あやかしだとばれないようにひっそりとな。ここで万が一、彼女たちがあやかしだとばれたらどうなる? 大妖怪は無視するかもしれないが、陰陽師だったらそうはいかないだろう?」
「あ……」
前々から言っていた。弱いあやかしは皆ひっそりと集まって暮らしていると。でも……陰陽師が退治しに来た場合は、逃げるしかなくなる。まほろば荘が安全な場所じゃなくなっちゃうんだ。
「ごめんなさい、私……野平さんや更科さんのことを、ちっとも考えてませんでした……でも、ならご近所さんにまで漏れている音、どうしましょう?」
「ふうむ……こればっかりは、俺が定期的に近所を見回りに行くしかないかもなあ。俺が留守の間は、出不精の扇さんになんとかしてもらうにして、その音の正体自体は突き止めたほうがいいかもしれんな」
「あ、あのう……それでですね。少し相談したいことがありまして」
「相談?」
「はい。うちのクラスメイトのことなんですけど」
私はほうじ茶をいただいてから、鳴神くんのことについて話をした。
私からあやかしの気配を感じ取っているらしいこと。彼がやけにバチバチと不審な音を立てること。そして近所の弱い妖怪が退治されたらしい怪音……。
そこまで聞いた日吉さんは「ふうむ……」とまたしても唸り声を上げてしまった。
「おそらくだが。彼が犯人だろうが、正体まではちょっと確証が持てないな」
「あのう……でもあやかしって普通に学校に通うもんなんでしょうか? 私、彼が陰陽師なのかあやかしなのかさっぱりで……」
「こりゃ彼は陰陽師ではなさそうだがなあ。しかし……今のご時世にいたとはなあ」
日吉さんの最後の言葉は、まるで独り言のようだった。
結局私は動画編集を邪魔しただけで、相談になったのかどうかはわからなかったが、一応伝えることはできた。
私は何度か挨拶をしたあと、家に帰ることにした。
鳴神くん、なにをしたいんだろう。なんで妖怪をやっつけるんだろう。胸騒ぎがしてしょうがないけれど、ひとまずその不安は飲み込むしかなかった。