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まほろば荘の大家さん  作者: 石田空
まほろば荘の七夕祭り

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29/30

私がここにいる理由

 おばあちゃんの退院日。

 私は荷物を一旦玄関に置いておいた。説得する気はあるのに、ネガティブな私は駄目と言われた場合について考えてしまっている。

 そのまままほろば荘の大家室の戸締まりをして出かけようとする中、「小前田」と声をかけられた。


「大家さんの退院、今日だっけ?」

「そう……そういえば、鳴神くんだけ会ったことなかったっけねえ」

「うん」


 私はまほろば荘を眺める。

 ここの大家代行を任されるまでは、ここについてちっとも知らなかった。ここに住んでいる温かいひとたちのことも、ここの成り立ちも、百鬼夜行や現世や幽世のことまで、なにもかも。

 知る前と知った後だったら、見え方なんて全然違ってしまっている。


「じゃあ行ってきます」

「別に」

「はい?」

「小前田が大家を辞めることになっても、死ぬ訳じゃないし」

「うん?」

「下手に落ち込まなくっても大丈夫だと思う」


 鳴神くんは相変わらず、言いたいことしか言わない。でも多分、慰めてくれているんだろうことはよくわかった。そういえば彼の前で何度も泣きじゃくったから、余計に気にしてくれているんだろう。


「ありがとう」


 私がそう答えると、鳴神くんは小さく頷いた。


「それでも……俺はここの大家さんに会ったことがないからかもしれないけど、小前田がここの大家さんだったらって、ときどき思う」

「ありがとう……その話、してみるよ」

「うん……行ってらっしゃい」


「また」とか「じゃあ」じゃなかったことが、今は少し嬉しい。私は鳴神くんに小さく手を振った。


「行ってきます」


****


 病院は相変わらず独特の匂いがする。

 お医者さんや看護師さんがせわしなく仕事している中、せっかちなおばあちゃんは既に自分のベッドを空にして、荷物をまとめていた。


「お義母さん、あんまり急がなくっても……」

「でも先生が待っていると申し訳ないでしょう?」


 おばあちゃんのせっかちさで、キビキビ仕事をしてまたぎっくり腰にならないかと、お母さんは気が気じゃないみたいだ。


「おばあちゃん、最後にお医者さんとお話しするの? まだ悪いところが?」

「そうねえ……リハビリももう終わったことだけれど、ご家族とお話しと言っていたんだけれど」


 おばあちゃんもお母さんも、来ていたお父さんも本気でわかっていない様子だった。代表として、おばあちゃんと一緒にお父さんもお医者さんの診察を受けに出かけていった。その間、私たちは食堂にいた。

 食堂とはいっても、今は食事の時間から外れているし、入院患者の人たちやお見舞いの人たちが、ここの自販機を利用して飲み物を飲んでいるだけのようだった。私たちも待っている間、コーヒーを飲んでいた。


「そういえば三葉、宿題はちゃんとやってる?」

「そこまで量なかったから、もう終わってるよ」

「そう……おばあちゃんのアパートの店子さんたちにご迷惑かけてない?」

「かけてないかけてない。楽しくやってたよ」

「そう……」


 そんなとりとめもない話をしていたところで、おばあちゃんとお父さんが戻ってきた。


「お帰りなさい。どうだった?」

「それがねえ」


 お父さんはちょっと途方に暮れた顔をしている中、おばあちゃんだけはいつも通りだった。


「ドクターストップがかかっちゃったんだよ」

「はい?」

「今回のぎっくり腰、一度目じゃないだろうって大目玉。まさか息子の前でものすっごく注意されるとは思ってなくってねえ」

「え……? 一度目じゃなかったの?」


 それは初耳だった。それにお父さんは困った顔で言う。


「ぎっくり腰は癖になるし、お母さんの年のことを思ったら、もうアパート経営は家族に任せて隠居したほうがいい。次ぎっくり腰になったら本当に取り返しが付かないって、何度も注意されてねえ……家族同伴で診察しろというのも、これだったみたいで」

「あらあ」


 お母さんはあんまり驚いてない様子だった。


「お母さん?」

「前にお義母さんが倒れたとき、お医者様から注意されたことがあったから。あのときは仕事をもうちょっとスローペースにだったら問題ないとは言われてたんだけど……」

「でもスローペースだと、周りが勝手に心配するからねえ。そのまんまキビキビ仕事してたらまあ、失敗しちゃってねえ」


 おばあちゃんがいつものように笑って言うので、私は脱力した。

 でもそうだった。おばあちゃんは動いてないと落ち着かない人だから、人より何倍も頑張ってしまう。だから、お医者さんにストップをかけられてしまったのだろう。

 その中お父さんが告げた。


「ええと……だから、一旦アパートの人たちには報告して……」

「あの……お父さん」


 私が小さく手を挙げた。


「なんだい、三葉?」

「私、大家代行ちゃんとやれてたよ? 店子さんたちが困ってるのに話聞いたり、逆に助けてもらいながら、おばあちゃんが入院期間中ずっと頑張ってた」


 もしここで「高校生だから駄目」と言われても、「学校行ってるのになに言ってるの」と言われても、「今までは代行だったんだから、遊びとは違う」と言われても、私は引く気にはなれなかった。

 ここで意地を通さないと、やれる訳がないじゃない。


「だから大家、お父さんやお母さんが大変なら、私がやるよ? 今までとやることは変わらないんだから、やれると思う」

「三葉……」


 お父さんはなにか言いかけたけれど、「よく言った!」とおばあちゃんが遮ってしまった。お父さんとお母さんが振り返る。


「ちょっと、お母さん?」

「この子はちゃんとやれてたし、お見舞いに来たときもずっとまほろば荘の話は聞いていたしね。大丈夫だと思うよ」

「お父さん、お母さん。私、大丈夫だと思うよ? 頑張るから。ねっ?」


 それにはお父さんもお母さんも顔を見合わせてしまったけれど、お母さんが先に口を出した。


「アパート経営に夢中になって、成績を落とさないこと」

「うん?」

「ちゃんとご飯は食べること。変な遊びを覚えて羽目を外さないこと。店子さんたちと仲良くしてトラブルを抱え込まないこと。自分だと解決できないと判断したことは、きちんと周りに相談すること」

「お母さん?」

「……それらができるんだったら、お母さんは文句言いません」


 それで思わず、お母さんに抱き着いた。


「頑張る!」


 こうして、私たちはおばあちゃんと退院していったのだ。


****


 おばあちゃんが死んだおじいちゃんと経営していたアパートを離れるから、荷物をまとめるのに大忙しだ。


「三葉、これとこれはゴミの日に捨てておいてね」

「うん」

「あと冷蔵庫の中はかなり綺麗に食べてくれたねえ……傷んで駄目にしなかったかい?」

「大丈夫。おばあちゃんの常備菜おいしかったから、綺麗に食べちゃわないともったいなかったから」

「そうか……ちょっとだけ寂しくなるねえ……」

「でも、おばあちゃん。私が大家を引き継ぐことになったけれど、おばあちゃん出て行かなくってもよかったんじゃないの? おばあちゃんがここのアパートに住むのだって」

「駄目だよ。そしたら、私が三葉のやっていることを見て、あれこれと口を出しちゃうし、大家がふたり状態だったら、ここの店子さんだって混乱するだろう? それに、三葉は新しい店子さんを見つけてきて招き入れているじゃないか。充分やっていけるよ」

「……うん」


 おばあちゃんは、私の家……つまりはお父さんとお母さんの家に引っ越すこととなった。つまりは私とおばあちゃんが入れ替わって住むことになった訳だ。ここからは少し時間がかかるけれど、徒歩で来られない訳じゃない距離だから、遊びに来たくなったらいつでも遊びに来られるだろう。

 そうやって荷物をカートひとつにまとめ終え、私がおばあちゃんを家まで送ろうとしているとき。


「花子さん」


 まほろば荘の前にはちょうど、皆が揃っていた。

 野平さんは「お花、荷物になりませんか?」と心配していたものの、おばあちゃんはコロコロと笑う。


「ありがとう、野平さん。今日も元気だね」

「まあ……私、花子さんがここに招いてくれて、本当にすごくすごく嬉しかったんですよ」

「そうだねえ……また花を買いに来るから、そのときはブーケに入れる花を選んでおくれ」

「はいっ!!」


 普段は頼れる野平さんが、本当に珍しく少女のような受け答えをしていた。私がそれに驚いていると、「は、なこさん」としくしく泣いている声が響く。更科さんはさっきからずっと泣いていて、ただでさえつっかえつっかえな口調だというのに、まともにしゃべれなくなっている。

 それにおばあちゃんは「あーあー」と更科さんの背中を撫でる。


「ほら、泣かない泣かない。せっかくの別嬪さんが台無しだよ?」

「お、別れが……悲しくて……お、げ、んきで……」

「うん。私は元気でやっているからね、ここは三葉が頑張るから、支えてやっておくれね」

「はいぃ……」


 そのまましばらくの間、更科さんはわんわんと泣いてしまっていた。それを日吉さんと扇さんが見守っていた。


「さて、扇さん。私がいない間も、またスランプ中に皆に迷惑かけてないかい?」


 おばあちゃんの鋭い言葉に、扇さんは珍しくうろたえて明後日の方向を向いてしまった。そういえば、もうすっかり慣れてしまったけれど、最初の頃は扇さんのスランプのときの騒音やら暴風やらに困ったっけと思い至る。

 とうとう観念したらしく、扇さんは頭を下げた。


「ぜ、善処する。三葉さんは許してくれるから、つい……」

「こらこら。扇さんは本当にいい作家さんなんだからね、店子さんたちと仲良くやっておくれよ」

「はい」


 こちらも本当に意外だった。扇さんは常々ひねくれた言動をするから、こんなに素直な受け答えは珍しいのに。

 最後に、日吉さんが「花子さん」と声をかけた。

 そういえば。まほろば荘の店子第一号はこのひとだった。


「本当に長い間、ここを守ってくれてありがとう」

「やだねえ……大したことなんてしちゃいないよ。あんたも、ここに長いこといて、店子の皆を守ってくれててありがとねえ。おかげさんで、ご近所さんにも幽世に迷い込んだって被害もなさそうだったし」

「ははは……全部できていたかは、俺もわからないけど」

「そんなことないよ。皆の神様だったじゃないか……今度は、うちの子をよろしくね」

「ああ」


 皆でおばあちゃんとのお別れの言葉を言っている中、コンビニ帰りらしい鳴神くんが、おばあちゃんを遠巻きに眺めていた。私が手を振ると、鳴神くんはそろりとこちらに寄ってきた。


「おばあちゃん……大家引退することになったんだ」

「そっか」


 鳴神くんは、おばあちゃんに無言でペコリと頭を下げた。それに気付いて、おばあちゃんは顔をくしゃくしゃに綻ばせる。


「ああ! 新しい店子の鳴神くんだね! うちの子を、どうぞよろしくね」

「……あ、ああ……」


 おばあちゃんにいきなり両腕を掴まれてブンブン振り回され、鳴神くんは顔を真っ赤にしてされるがままになっていた。それに私はなんとなく笑ってしまった。

 最後に、私はおばあちゃんの荷物を抱える。


「それじゃあ、おばあちゃん送ってきます」

「ああ、気を付けて」

「はーい」


 荷物を抱えて、ふたりでのんびりと歩いた。


「いい店子さんたちだっただろう?」

「うん。本当に」

「あの子たち、他の場所だったらなにかと大変だったみたいでねえ……皆が皆、楠さんみたいに器用じゃないから」

「……そうみたいだね」

「もしなにかあった場合は、日吉さんに相談しなさい。扇さんは少々癖は強いけれど、悪い天狗ではないから。更科さんは打たれ弱いけれど、情には篤いから。野平さんはちゃっかりしているようでいて意外と寂しがりだから、適当に遊びに行きなさい。あと、三葉が招き入れた店子さんだけど」

「え、うん……」


 おばあちゃんはにっこりと笑う。


「あの子はいい子だから、仲良くしておきなさい」

「そりゃ仲良くするけど……おばあちゃん、それどういう意味?」

「そのまんまの意味だよ」


 そんな話を、私たちは家に着くまでずっとしていた。

 夏の日は長くて、到着した頃も日が落ちる気配がない。私がまほろば荘に帰り着くまで、明るいまんまのようだ。

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