夏祭りの約束
七夕祭りが終わってから、いよいよ夏本番になった。
梅雨が終わったと同時にあちこちで蝉がけたたましく鳴き続け、鳴き声と一緒に震動が響いてくるような錯覚に陥る。
「あっつう……」
朝から掃除をして、少しでも暑さを和らげようと水撒きをするものの、これって本当に効くのかなあと心配になる。真っ昼間に水撒きをしてもサウナに水を撒くようなものだけれど、早朝の水撒きはさすがに効果があると信じたい。
「そういえば、もうすぐ夏休みだな」
相変わらず一緒に掃除を手伝ってくれる鳴神くんのポツンとした言葉に、私は頷く。
「うん。やぁーっと一学期終わったって感じ。このところ、おばあちゃんからアパート管理任されたり、現世とか幽世とか知ったりして、あれこれやってたから。やけに長くて濃い時間だったなあと思うよ」
「そうか。夏休みの予定は?」
「とは言ってもねえ……おばあちゃんのお見舞いくらいしか、特にやることなんてないんだけど……」
「ふうん」
鳴神くんはなにか言いたげにこちらを見てくる……そういう顔されると、話を聞き出したくなるよね。私はちりとりでゴミを集めながら尋ねた。
「なあに? なにかやりたいこととか、してみたいこととか、鳴神くんはあるの?」
「いや、俺は……」
「別に笑わないし、言ってみたら? 私も聞いてみたいし」
「いや、本当に……」
私が何度促しても、なぜか鳴神くんは必死に押し黙ってくる。さすがに嫌がってるんだったら、これ以上聞き出すのは駄目かなあ。
ゴミを回収して、そのまんま部屋に戻ろうとしたら。
「あら、おはよう。水撒きまでしてくれたの」
田辺さんだった。そういえば犬の肉球が火傷してしまうから、夏の犬の散歩は、早朝か夜がベストらしい。田辺さん家の犬は、私の水撒きでできた水たまりに興奮して、前足でパシャパシャやっている。
「おはようございまーす。先日の七夕のときはありがとうございます。おかげで楽しかったです」
「いいのいいの。皆も結構楽しんでたしねえ。それに、今度は神社でもお祭りあるみたいだしねえ」
「あれ、そうなんですか」
おばあちゃん家、この時期のお祭りは聞いてなかったなと思う。てっきりお祭りって、お盆に入る八月とかだと思ってたから、七月とは知らなかった。
それに田辺さんに替わって鳴神くんが答えた。
「七月は旧盆で、八月は新盆。どっちも先祖供養も兼ねて、地蔵盆する季節に祭りをするのはよくある話だから」
「はあはあ、なあるほど。だとしたら、近所の山神信仰の神社かな」
前に出会った日吉さんそっくりの山神様のことが、頭に浮かんだ。それに田辺さんは「あらあら」と笑う。
「詳しいのねえ、ええ。まほろば荘のあった場所から移転した神社、山神信仰なのよ。そこで夏と冬にお祭りしてるのねえ。今年の夏祭りも、屋台がたくさん出て、祭り囃子で踊って盛況だと聞いているわあ」
「なるほど。行ってみたいです」
私の言葉に、鳴神くんは食い入るように見つめてくる。
……もしかしなくっても。私は前に彼が行っていたことを思い返してみる。
「鳴神くんもお祭り行きたいの?」
途端に彼はピタッと止まった。そして視線を落としてしまう。
「いや……俺が行ったら、皆の迷惑になるような……」
「うーん」
鳴神くんは、ひとに雷を落としてしまう悪癖のせいで、周りに迷惑かけないようにって、人通りの多い場所にはあまり行きたがらないみたいだけど。前にも言っていたとおりお祭りには行きたいみたいなんだよなあ。そんなに行きたがっているのに「危ないから駄目」って言ってしまっていいものか。
私は田辺さんの手前、なんと言えばいいかわからず困り果てた末。
「じゃあなにかあったら私に落としたらいいよ」
「はあ……? 小前田、なに言って」
「他のひとに落とすのを躊躇うんだったら、私に落とせば問題ないよね。それじゃあ駄目?」
「え、う……おぉ…………」
田辺さんはわかっていないなりに、こちらの会話を聞いてにこにことしている。私は雷が私に落ちた場合って、日吉さんや扇さん辺りに相談したらどうにかならないかなあと思っている。鳴神くんは、自分のせいで私に雷が落ちたらどうしようと、あからさまに挙動不審になってしまった。
田辺産はわかってないまま、のんびりと口を開いた。
「仲がいいわね。一緒に行ってきたら?」
それに観念したように、鳴神くんは大きく頷いた。
「夏祭り……一緒に行くか?」
「うん」
どこかの家の軒先で、風鈴がチリンと鳴ったような気がした。
****
『今日は流しそうめんの水路をつくってみたいと思います』
七夕祭りのときにつくった流しそうめんの水路の作り方は、案の定日吉さんはしっかりと撮影して、動画に納めていた。
コメント欄も【なぜいきなり】【ひとりで流しそうめんするの??】という困惑の声から【すげえ、本当につくれるんだ】【相変わらずこの人楽しそうだな】という好評の声までさまざま。
そしてその動画はなぜか特定ランキングで一位になっていた。なぜなのか。
それはさておき、日吉さんはのんびりと私に茶色い飲み物を勧めてくれた。
「この間野平さんからいただいた梅シロップだけれど、飲むかい?」
「はあ……梅酒ではなくて?」
「未成年に酒は勧められないなあ」
匂いを嗅いでみてもよくわかんなかったものの、日吉さんが持ってきた炭酸で割ったのを出してくれた。それを飲んだ途端に、口の中がシュワシュワと一緒に梅の香りが弾けた。
「おいしいです……!」
「そりゃよかった。あとで野平さんにも好評だったと言っておくよ。さて、なにかあったかい?」
「ええっと……鳴神くんと夏祭りに行くことになったんですけど」
「ほう、そりゃよかったなあ」
なぜかものすごく温かい眼差しを向けられる。ご近所さんといい店子さんといい、一体全体なぜなのか。
それはさておき、私は話を続ける。
「ただですねえ。鳴神くん、前に本人からも聞きましたけど……なにかあったら不可抗力で雷を落としてしまうんで、自分が行って大変なことになったらと思ったら……躊躇って行けなかったみたいで」
「そりゃなあ。雷神っていうのは、基本的に夏の神だから」
「……そうだったんですか?」
「そういえば、今時の子は季語は知らないのかな?」
「季語は国語の授業でちょろっと聞いたことはありますけど、詳しくは知りません」
季語は春には春っぽいものを、夏には夏っぽいものを入れることで季節感を表すものとは聞いたことはあっても、なにがどの季語なのかまでは覚えていなかった。
それに日吉さんは「扇さんあたりが聞いたら卒倒しそうだねえ」と言いながら、自分も梅シロップを炭酸で割って飲みはじめた。小説にも季語って使うのかと、私は扇さんの純文学の内容を思い返して首を捻った。
「雷は、作物が育つ時期……つまり夏に落ちる。だから夏の季語だな」
「はあ……」
「雷は海に落ちたら海の中が活性化して、いろんな生き物が過ごしやすくなる。田畑に落ちたら養分が混ざり合って作物もよく育つ。森に落ちたら山火事の元とも言われて忌み嫌われてはいるが、一部の植物は雷の放つ熱がなかったら発芽しないものもあるから、雷は必要なものだと俺は思うよ」
その話は初めて聞いた。雷が鳴ったら怖いし、光るのも駄目だからできる限り見ないようにしていたけど。でもよくよく考えたら、発電施設とかにまで影響を与えるような雷が、海や山にも影響を与えない訳ないんだよなあと考えるに至る。
でも。
「それだったら、なおのこと、鳴神くん夏祭りに行きたがってましたけど、同時に躊躇しちゃう気持ちもわかります……落ちる雷を、私に集中させたらとは、言うだけ言ってみたんですけど」
「ほお!」
なんだそのリアクションは。私は重ねて尋ねてみる。
「私もさすがに雷に当たって感電するのは怖いんで、なんとかする方法ってないですかねえ」
「……ふーむ。難しいなあ」
「あれ、日吉さんでも難しい問題だったんですか、これって」
「……神は嫉妬深いからなあ。先祖返りの場合はどれくらいかは、本当に久々に会った先祖返りだから俺にも読めんが」
「えっ?」
どういう意味だ、それは。
私が困っている間に、日吉さんはなにかを引き出しから取ってきて、ちゃぶ台に置いた。白い紙だ。それを折りはじめる。
「一応形代はつくっておくから、多分それで身代わりにはなると思うが」
「形代ですかあ……」
「ああ……とりあえず十枚くらい折っておくから、それを出かける際に服なり荷物なりに入れておきなさい。それで、全部防ぎ切れるといいんだが……さすがにこればかりは俺も読めんなあ」
普段の日吉さんからしてみれば、どうにも歯切れが悪いけれど。要はこれでなんとかなるらしい。
私は形代を大事にもらって頭を下げる。
「ありがとうございます」
「あー……一応言っておくが、俺が形代をあげたことは黙っていたほうがいい」
「はあ。そりゃ感電対策してたなんて言われたら鳴神くん傷付くでしょうから言いませんが」
「それでいい。それで。楽しんできなさい」
「はあい、ありがとうございます! あと梅シロップごちそう様でした!」
私はお礼を言ってから、元気に帰って行った。




