混戦極まる
雷神っていうと、大昔に絵で見たことがある。風神雷神ってワンセットだったような気がするけど……。普段ダウナーな鳴神くんが、その雷神の先祖返りっていうのがピンと来なかった。というより。
「神様の子孫ってことなんですか……?」
そりゃ日本には『鶴の恩返し』とかあるし、大昔から異類婚姻譚ってあったのかもしれないけれど、さすがに神様の子孫っていうのはいまいちピンとこなかった。
私はおろおろと一階まで駆け降りるものの、風がびょうびょうと吹き荒れ、雷がバチバチと火花を散らして大変なことになって近付けない。
なによりも。
「ひどい……」
野平さんの店は、ひどいことになってしまっていた。
野平さんの店先のブリキのバケツに生けられていた花は、雷を落とされたのかブスブスと音を立てて焦げていた。今は甘苦い匂いばかり放っている。
彼女は普通に花を売っていただけなのに。
野平さんはというと、背中が火傷を負っても、必死に花を守っていた。
「やめてください……花は……売り物は……」
「どうして現世を荒らす? どうして人間に干渉しようとする? 弱い妖怪は弱い妖怪として、大人しく暗闇で燻っていたらいいのに。どうして勝手に幽世の法を現世に押し付けようとする?」
普段ダウナーの鳴神くんとは思えない、低い威圧するような声を上げ、私はそれで身が竦んでしまった。だが。
そんな鳴神くんの傍に、修験服を着た扇さんが飛び降り、いつの間に持っていたのか錫杖を振り下ろす。
それを鳴神くんは手持ちの木刀で受け止め、錫杖の輪がシャランッと音を立てた。
「……ずいぶんと勝手な言い草だなあ? 最近ここいらの妖怪を狩って回っていたのは君かい? そんな目立つような真似、陰陽師が登場して処理して回ってもしょうがないじゃないか」
また扇さんまで物騒なことを言ってる。
扇さんの言葉に、鳴神くんは激高して「黙れ!!」と木刀を一閃させる。しかしそれを扇さんは飛んで避けてしまった。
私はふたりがやり合っている中、どうにかこうにか店先で火傷してしまっている野平さんの元に寄って行った。
「野平さん野平さん……大丈夫ですか?」
「……三葉さん」
野平さんは顔のパーツこそないものの、どこからか水が溢れて流れている……泣いているんだ。
「……ごめんなさい野平さん。私のせいで」
「ええ……? 三葉さん、なんにも悪いことしてませんよね?」
野平さんはきょとんとした様子で顔を上げる。私は鳴神くんと扇さんがガンガンとやり合っているのを見て、思わず顔を背けてしまう。
鳴神くんはバチバチと雷を出すものの、扇さんはそれをすり抜けて錫杖を叩き込んでいるようだった。それが物々しくて雄々しくて、まほろば荘に来てから初めて「恐怖」や「畏怖」を覚えた。
私は野平さんに懺悔するように言う。
「鳴神くん……あの雷神の先祖返りの子、私のクラスメイトなんです。あの子がここを嗅ぎつけたの、どうも私のせいみたいなんで……」
「それは気にしなくてもいいですよ?」
「……へっ?」
野平さんは「いたたた……」と言いながら立ち上がると、ふらふらした足取りで冷蔵庫まで体を引きずっていく。
「昔からです。『こんなところに妖怪が住むな』って言われるのは。それは仕方ないんです。大昔から、大妖怪が人間に大量に迷惑をかけていましたし、それを陰陽師や退魔師が追い払うということはよくありましたから。でも……私たち弱い妖怪は、住むところがありませんから」
「そんな……」
野平さんは冷凍庫から氷嚢を取り出すと、あまりにも慣れた様子でタオルにくるんで、火傷した背中を冷やしはじめた。
「……まほろば荘で過ごすの、楽しかったんです。ここで暮らしはじめて十数年、花子さんも皆も優しくて、念願だった花屋も開けて、楽しく商売できて……自分が妖怪だって忘れたつもりはなかったのに、受け入れてもらえたなんて思い上がって、馬鹿だったなあと反省してるところです」
「どうして……どうしてそんなこと言うんですかあ……」
たまらず私は目に涙を浮かべてしまった。
私は妖怪じゃないし、日吉さんや扇さん、野平さんや更科さんが現世についてどう思っているのかとか、人間についてどう考えているのかは、全部をわかっているとは言い切れない。
でも。今住んでいる人を、こちらの理屈で「間違っている」と糾弾して追い払うことはしていいことなんだろうか。
なによりも、鳴神くんはなにかあるたびに私の匂いを嗅いでいた……今だったらわかる。あれは私からあやかしの匂いを嗅ぎ取って、不審に思って探し回っていたんだろう。
知らないと見ないふりして、姿も知らない妖怪が殺されたり、野平さんが火傷を負ったのも……私のせい。
なんとかして、鳴神くんを止めないと……でも。
私は鳴神くんと扇さんがやり合っているのを、恐々と見て、再び視線を逸らしてしまう。
バチンバチンバチンと雷が落ち、そのたびに扇さんが避けていく。扇さんの周りはだんだん風が強くなってきたのは、彼がスランプのときに巻き起こす風を意図的に起こしているんだろう。
……この中に割って入るのは、正直勇気がいる。そもそも野平さんが火傷するような雷だ。人間の私が雷を受けたらどうなるのかわからないし、はっきり言って怖い。
『いくら大家だからって人間だから、できないことはできないし、できないことを無理にやる必要はないよ。危ないからね』
ふと、今日お見舞いに行っておばあちゃんとしたやり取りが頭をよぎった。
『いくらまほろば荘の店子さんたちだって、あんたが泥棒を追い払おうと戦おうとしたら止めると思うよ?』
でもおばあちゃん。どうしよう。雷がいっぱい落ちるから、このままじゃ野平さんのお店だけでなく、まほろば荘が燃えちゃう。
『餅は餅屋。それに任せりゃいいんだからさあ』
「餅は餅屋……あ」
私は野平さんのほうを振り返った。
「あの……少しだけ出ていいですか?」
「別にかまいませんけど……どうしました?」
「ちょっと電器屋まで走ります」
そう言ったら、野平さんは笑ったような気がした。顔のパーツがないからわからないけど。
「行ってらっしゃい。気を付けて」
「はい、ありがとうございます!」
私はそのまま野平さんの店から出て、走りはじめた。
たしかあのひと、パソコンを自作するために出かけたんだったな。この辺りで電器屋は三軒だけれど……パソコンを自作するためのパーツが買える店なんて一軒しかなかったはず。
日頃から体育でも、そこまで気合を入れて走ったことはないけれど、今日ばかりはひとの命やアパートがかかっているんだから、頑張らない訳にはいかない。
「日吉さん…………!!」
餅は餅屋。
神様相手に大妖怪が苦戦している以上、神様を呼び戻すしかない。私は必死で走っていた。
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うちの町にあるちょっと大型の電器屋さん。最近は電化製品だけじゃなくってリフォームやら生活用品やらもセットで売っていることが多い中、ここは昨今じゃ珍しいジャンク屋も兼ねている。
電化製品のトラブルのときに、「これを買ったほうがいいよ」と業者さんが言っているようなパーツも大概手に入るため、電化製品を買いに来るお客さんと一緒に修理屋さんも足を運んでいる店だ。
私はパネルを見て、パソコンパーツの場所を確認すると、そこまで走っていった。
「日吉さーん、日吉さん日吉さーん!!」
私が必死に名前を呼んで走っていると、周りから怪訝な視線が集まる。私はそれを無視して、きょろきょろとしていると。
「申し訳ございませんお客様。当店で駆け込みはご遠慮くださいませんか?」
不審者めいた行動のせいで、とうとう店員さんまで飛んできてしまった。私は必死に「ごめんなさい!」と謝ってから、急いで訪ねる。
「あの、私は日吉さんのアパートの人間なんですけど……日吉さんってお客さんはおられませんか? 今日ここに来られてると聞いたんですけれど!」
「アパートの?」
「アパートが火事なんで、ちょっといるかどうか確認したいんですよぉー!」
まさか私が日吉さん家のアパートの大家とも、まだ火事にはなってないけれど、このまま放っておいたら本当にそうなることもわかってないだろうけれど。私は野平さんのことで目尻の涙がまだ乾いていない。その上で必死に手振り身振りで訴えたら、とうとう店員さんが折れた。
「お呼び出ししますので、そちらでお待ちください」
「はい、急いでくださいー!」
私が必死にせがんだら、本当に店員さんが店内呼び出しをしてくれた。
程なくして、サービスカウンターに本当に日吉さんが走ってきた。
「三葉さん、どうしたんだい? いきなり……」
途端に、日吉さんは私の匂いを嗅いだ……鳴神くんといい日吉さんといい、どうして人の匂いを嗅いで状況判断するんだ。
「……走ればいいかい?」
「お願いします! うちのアパートが!」
「わかった」
そう言った途端に、日吉さんは私を俵抱きして走りはじめた。
速い速い速い速い。
地面に足が付かずにブラブラするのが怖いし、風が髪を乱していくのがおっかないし。しかし日吉さんの走り方は不思議と揺れないし、振動も感じない。
端正な顔つきのひとが女子を担いで全力疾走していたら、普通はなにごとかと視線が集まるはずなのに、不思議なことに私が叫んで日吉さんを探し回っていたときのようには、誰も一目もしない。
「あの……重くないですかっ!?」
「人間は軽いからなあ、あんまり気にしなくていいぞ。それに俺だけ行ったところで、話が収拾するとは思えないから、三葉さんがいたほうがいい」
「私が……ですか?」
日吉さんの言葉の意図がわからず尋ねるものの、流されてしまう。
「お前さんから、どこぞの神の匂いが強くしたが、まほろば荘でなにがあった?」
「えっと……実は」
私は鳴神くんとの関係から、野平さんの店が襲われたこと、扇さんが今対応しているところまでを一部始終、どうにかまとめて伝えた。




