殿下がお子さまに……!
そうだ、たしかシンクリッドが勢いで違う薬品を飲んだのだった。
そして、なぜか殿下がいなくなり、代わりに五歳ほどの子どもが目の前にいる。
「おいめるてぃ、おれになにをのませた!」
「えっと……本当に殿下なんですか?」
「そうだといっている!」
たしかに、あどけないながらも整った顔立ちは、シンクリッドにそっくりだ。銀髪も金色の瞳も、まさしく王族特有のもの。
さらにはずれ落ちたズボンと、膝下まですっぽりと覆うぶかぶかの服。まるでシンクリッドがそのまま小さくなったかのような姿だった。
「か、可愛い……っ」
「かわいいゆうなー!」
口調はそのままでも、なんだか元気だ。声が高くなっていて、怒っているのに迫力がない。
両手を挙げて主張するが、袖が長すぎて手が出ていない。余った袖が下に垂れて、ぷらぷら揺れている。
「殿下、お可愛くなってしまって、うれし……非常に残念です」
「いまうれしいっていったか?」
「いえ、言ってません」
首を左右に振って、真剣な顔をする。……が、一秒後にはまた頬がだらしなく緩んだ。
ダメだ、深刻な状況のはずなのに、どうしてもにやけてしまう。
シンクリッドと出会った時にはすでに成長していたので、幼い頃は見たことがない。
社交界では令嬢や貴婦人から黄色い声援があがるほどの美形だ。幼少期もさぞ美しかったのだろうな、とは思っていた。
それが、こんなに可愛かったなんて……。
「めるてぃのくすりのせいか?」
「そ、そうだと思います……。あれはまだ試作のさらに前、実験段階の薬だったので……」
「どんなくすりだ?」
「若返りの薬です。まさか、殿下を可愛くしてしまうお薬だったなんて……」
「かわいく?」
「間違えました。こんなに危険な薬だったとは……」
舌ったらずのシンクリッドが可愛くて、にやにやが止まらない。
正直、どストライクである。
メルティには弟も妹もいないので、新鮮な気持ちだ。メルティを溺愛してくる兄の気持ちがわかった気がする。
「ほとんどどくじゃないか!」
「……はっ、そうですよね。私、大変なことをしてしまいました……。殿下に毒を盛るなんて……。しょ、処刑ですか?」
シンクリッドの言葉で我に返って、がくがくと震える。
第一王子に毒を盛る。確実に有罪だ。
「あああ、申し訳ございません! 今すぐ私も服毒して責任を取らせていただきます……っ」
「まてまて、めるてぃ! おれがかってにのんだだけだから!」
「で、でも、作ったのは私で……」
「ちょうど、こどもになりたいとおもっていたところだ!」
「まあ、そうなんですね!」
ぽん、と手を叩く。
シンクリッドも子どもになりたかった。メルティもシンクリッドが子どもになって嬉しい。良い事づくしだ。
「……だが、このままではまずい」
「そうですよね。その身体じゃお仕事がしづらいですし……」
「それだけではなく、いろいろともんだいだ。だから、もとにもどしてくれ」
「できません」
「なに?」
シンクリッドは腕を組んで作業台の足に寄りかかった。カッコつけた体勢だけど、身長とぶかぶかの服のせいで可愛くしかなっていない。
「まだ実験段階なので、解毒薬の作り方がわからないのです……。というか、どういう原理で殿下が子どもになっているのかすら、さっぱりわかりません!」
「いばるな!」
「でも、私としてはそのままのほうが……ではなく。そのままでもお可愛いので、いいと思います!」
「いいなおしてそれか?」
私情が多いに混ざってしまったが、今すぐ治せないのは本当だ。
若返りの妙薬は、歴代のエバーグリーン家当主が幾度となく挑戦し、そして失敗してきた。古今東西、権力者は若さを求めるものだが、そう簡単に実現するものではない。
だから、メルティにも治し方がわからないのだ。そもそも、先ほどの薬でさえ偶然の産物なので、再現することもできない。
「私だけではどうにも……お待ちください、お父様とお兄様に連絡して、すぐに解毒薬を開発します!」
「だめだ」
「え?」
「おれがこどもになったとひろまったら、おうたいしのたちばがあやうい」
難しい言葉を頑張って言っていて可愛い……という気持ちをなんとか抑え込んで、その内容に集中する。
第一王子と言えど、地位が万全というわけではない。
特に、第二王子派と呼ばれる貴族たちは、シンクリッドの立場が崩れるのを今か今かと待ち構えている。
そんな中で不祥事を起こしたり、弱みを見せたりすれば……すぐに攻め立てられ、王太子の立場を奪われることになるだろう。
そうなれば、彼は二度と表舞台に戻れなくなる。
「それはまずいですね……っ」
わさわさ。
「申し訳ございません……。私、大変なことを……可愛い……」
「おい」
わさわさ。
「では、私一人で元に戻す薬を開発いたします! ああっ、髪がさらさら……」
「おい、このてはなんだ!」
ぱしっ、とシンクリッドが頭の上に置かれた手を払いのけた。
「き、気が付いたら頭を撫でていました……。無意識って怖い」
「お、おれはおとこだぞ! あたまをなでるなど……っ」
「申し訳ございません! 殿下にご不快な思いを……」
「……いやだとはいってない」
シンクリッドは頬を赤く染めて、そっぽを向いた。
それを見て、また頬が緩む。
この胸の奥から湧き上がる暖かい気持ちはなんだろうか。これが母性……!
「撫でていいということですか!?」
わーっと嬉しくなって、再びシンクリッドに手を伸ばす。
「だ、だめだ!」
「ええ~」
「めるてぃはもうすこし、しんこくにかんがえろ!」
「た、たしかに」
メルティの罪うんぬんは置いておいても、シンクリッドを元に戻すのは急務だ。
ずっとこのままなのか? 時間が経てば戻るのか?
それすらも、なに一つわからない。
わかるのは一つだけ。
小さいシンクリッドは可愛いということ。
「こんやくしゃとしてめいずる」
「はいっ」
「いちはやく、げどくやくをかいはつしろ。そして、それまで、おれのことをかくしとおせ。そうすれば、めるてぃのことはゆるす」
「かしこまりました!」
元気よく返事する。
それって、治るまではこの可愛い生物とずっと一緒にいられるってこと? というセリフは、さすがに喉元で留めた。
トントン。
その時、ラボの扉がノックされた。
「殿下―? そこにいますー? もうすぐお戻りの時間ですけど」
若い男性の声だ。
気安い口調で、扉越しに要件を告げる。
「まずい」
小さいシンクリッドが青ざめた。
「りっくだ」
「リック様ですね」
ガーターリック・バーン。
第一王子付きの専属騎士である。