10年の薬
アランがやっと登場です。
この結末に試行錯誤。
番外編としてお楽しみ下さい。
*バランティーノ家次女の名前が間違えてました…本当に申し訳ございません(汗)本編には一応大きく変化はございません。
白のシンプルなシャツを纏った決して裕福とは言えない男の子は彼女の話に目をキラキラさせた。ハニーブラウンの頭を忙し気に左右に振る令嬢は周囲の子供達から交互に話しかけられる。
「貴女の仰ってる通りにすると確かに面白いかもしれないね。
道の整備に予算を使うと、出来上がるまで先にお金が出ていくばかりだと思っていたよ。だけど作っている途中で人が集まるのだから確かに村は潤い出す可能性がある。」
「ポイントはお金を循環させるという点です。初期投資は私たちで。初めの儲けは少ないでしょうけれど、工事の人夫達や業者が出入りし始めればその街道が出来る行程でもお金が生み出されるでしょう。
飲食に医療。薬屋、日用品の店。
彼らの足掛かりを手伝って、場所代を最初に払った見返りをあげるのです。街道の完成が近付けば出店に対して優遇措置をはかります。お金の循環が早ければ平民であっても基礎体力がある限り目標を持って頑張れるんじゃないかしら?」
そう言うと、少し冷めた紅茶を一口コクリと咽喉に流し込んだ。
熱く語ったせいか、その頬は僅かに上気し彼女を中心に数人の子供達は議論を続けている。
「じゃあ、そこの土地に登録をした者達にお金では無く2割の付加が付く商品券を買わせたらどうかな?その地域で使える商品券だ。こちらも現金が手に入り、地域の者達は2割の恩恵を受けられる。」
ヒョロリと背の高い最年長の青年がそう言えば皆が
『良いですね!』
『でもばら撒き過ぎたらどうなるかしら?』
『そのお金で人員を増員すれば短期間の仕事で終わってより効率が良いんじゃ無い?』
と白熱した意見を交わしている。
問題提起したのは王子ルイガンス。
それに応えたのはアウラリア・バランティーノ。
被せて商品券の発案を出したのはマクラーレン・ドガ。
セシリア王妃はそれを遠目に眺めながら
『やはりバランティーノ家の長女はかなり頭がキレるわねぇ。』と感心したように頷いた。
ロイドが嫌がっていた為、バランティーノ家が長女、アウラリアは今日初めて正式に王宮の茶会に参加した。
年齢的にもそろそろ断れなくなってきたこともあり、ロイドは愛娘をやっと表に出す決心をしたらしい。アウラリア9歳、次女は8歳。ベアトリスと名付けられている。
セシリア王妃には10歳になる息子が居る。
王子ルイガンス。
月が少し足りずに生まれた子で随分と軽く産んでしまった。
セシリア王妃も陛下も小さく生まれた我が子をかなり心配したが、病がちであったのは6歳まで。今ではすっかり健康的に成長した。王宮内であまり外に出さず生活していたが、貴族学園に進む為にも友人を見繕う必要があるとこの度茶会を催した。
第三王子妃ヴィクトリアの息子ダイソンはルイガンスより一つ年下の9歳。
さらに下にマデリーンという幼い妹も生まれているが今回の茶会はダイソン一人で参加である。
ヴィクトリア妃とセシリア王妃は仲も良く教育に関しても共通の理念を持っていた。
アウラリアの側に陣取っているのは粗末なシャツを着たダイソンと、飾りのない上着のルイガンス。
2人とも見た目に僅かな王家の血を残しているが今日は『王族』だと名乗る気は更々ないらしい。
公爵家を筆頭に着飾った子供達は王家の人間を探してずっとキョロキョロしている。
きっと親からかなり言い含められているのだろう。
セシリア王妃はその様子に少しばかり気の毒さを感じてしまう。
子供の頃、自分も親から同じ発破を掛けられたからだ。
『王家のお子様たちと仲良くおなりなさい。我が家の為よ。』
結果的に王妃にまで上り詰めたがセシリアは王族に嫁ぐ気が無い令嬢であった。
その無欲さを買われて王太子妃になったのだから人生どう転ぶかわからない。
子供なのに貴族に生まれれば令嬢も令息も家のためにと奔走しなければならないのだ。
分かっているだけに遠目から眺めてその景色が憐れでもあった。
ヴィクトリア妃の息子ダイソンは社交界で既に多少顔も出してるが本人は今日は変装すると決めていたようで赤毛のカツラを被っている。人間髪の色を変えられると顔の雰囲気も変わる。子供達は記憶を辿ることも叶わないまま今日を、終わらせるだろう。
また、ルイガンスも随分雰囲気をメイクで変えていた。
少しだけ鼻の上にメイクで散らしたソバカスはちょっと親しみやすく田舎っぽい。
所作は美しいがあの古着の上着にやぼったい髪型はやり過ぎだと侍女達が悲鳴をあげていた。
アウラリアは彼らと会うのは初めてできっと王族だとは気がついていまい。
楽しそうにテーブルについた子供達と『もしも街道工事をしなくてはならなくなったら』トークで楽しそうにしている。
他の貴族の子供達はそのテーブルには見向きもしていない。
王族らしくない服装で、お菓子を頬張りながらケラケラ笑う子供には構っていられないのだ。
王妃は聡い子供に自分の視線が気が付かれては困ると、次は隣の親達のテーブルに視線を移した。
陛下は今頃遠視鏡片手に執務室からこの様子を眺めているに違いない。
結局子供のことは母親に多くを委ねてくるのだ。
茶会の付き添いは2人までは良しとしている為ほぼ全員の親がパーテーションの向こうで火花を散らしていた。
子供の様子は王族席からしか全貌が見えないように仕切られており、パーテーションと生垣のお陰で大人と子供の空間はきっちり分けられている。
その中でもセシリアが気になったのはクララベル・バランティーノとアラン・ドガの2人であった。
彼らが正面から顔を突き合わせるのは15年ほど振りであろう。
アラン・ドガ子爵はその昔クララベルと婚約していたが放蕩が過ぎ婚約を解消された黒歴史がある。
普通は婚約を解消など女性に醜聞が付き纏うものだがヴィクトリア妃がクララベルの才能を見出して自分の懐に入れて守り切った。
いや、クララベル自身が努力の結果醜聞を跳ね返した、の間違いだ。
その後バランティーノ侯爵家の次男ロイドと結婚し、今では夫婦で第三王子たちのフォローに回っている。
彼らに共通するのは真面目でヴィクトリア妃に恩義を感じて懐いているところである。学生時代の何が生まれるか分からない卵を上手に孵化させたヴィクトリア妃は、王家に迎えられるだけの資質が備わっているとしか思えない。
話は逸れたがバランティーノ夫婦は仲睦まじく上司にも恵まれ子宝にも恵まれ、全てが順調な家庭だと言えよう。
セシリア妃も彼らを見る度に幸せの在り方を考えることがある。
ロイドは嫡男でないことと、捻くれた性格からずっと婚約者が決まらない劣化品だと言われ続けた男だったが結婚してみればクララベルをいつも優先し、不器用なところもあるが裏切らない性格は男受けが良い。
婚約者と別れた令嬢と見合い連敗の次男坊の結婚はそれ程妬まれはしなかったが、10年経てば2人を見ているとその関係性を羨ましく思う。
『信頼しあっている夫婦よね。』ヴィクトリアは部下の夫婦を言い表す時にセシリアにそう言うが正しくそうだ。
そしてアラン・ドガ子爵は婚約を解消した後からは社交界で爪弾きとなった。
学園での成績は振るわず、他家の貴族達は素行の悪いアランから徐々に距離を置くようになった。
どんなに美青年であろうとも、貴族の令嬢達は知っている。
『良い殿方と結婚しなければ自分の将来は閉ざされるのだ』と。
学園での恋愛に浮かれていた令嬢達も18歳という現実味を帯びた歳を迎えれば、顔だけでは自分の望んだ生活が出来ないと理解できる。
ドガ子爵領の収益は羽振りの良い商家にも劣る。
浮気する男は家庭を壊すであろうとどの家の親も警戒するし、令嬢本人も彼の近くにいるだけで身持ちの悪い人間だと思われる。
婚期を逃したくない人間は蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
結局アラン・ドガが花嫁として迎えたのは寡婦となった男爵家の4つ年上の女性である。
彼女には息子が1人おり、ドガ家に養子として迎え入れられた。
アランとの間にも夫人は男子を儲けているが普通の子供だと聞いている。容姿はアランに似ており美しいようだが、特筆すべき才能はまだ見出されておらず、今回の茶会の選考には漏れた。
逆に連れ子の青年は今年で14歳。
ドガ子爵の血は当然受け継いでいないが非常に優秀だと聞く。細身で少し頼りなさげな表情の青年だがアウラリアとの意見交換を楽しんでいるようだった。
今回学園で畜産に関する論文が評価され茶会に招待されたがアランの事もあり欠席するのではと思っていたが彼は来た。
そして保護者としてアラン・ドガも来てしまった…………。
(波乱が起こる予感しかしない。)
セシリア王妃は仮面の微笑みを貼り付けながらクララベルが嫌な思いをしないようにと祈るばかりであった。
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アランは人生には『坂』があると祖父から子供の時に何度も言い聞かされた。
『いいか、アラン。金の流れで話すが人生には坂がある。
上り坂、下り坂、まさか、だ。
良い投資話で儲かっている時は上り坂、その商売が上手くいかなくなっている時が下り坂。
そしてその投資話がとんでもないことに繋がる時。それが『まさか』だ。
わしの『まさか』は投資先の船が転覆したことだ。あんなに凪いだ海を航海していたのに嵐に巻き込まれた。
人生は何が起きるか分からん。必ず備えておけ。』
そして人生の『まさか』がアランの目の前に座っていた。
クララベル・バランティーノ(旧姓リンドバーグ)である。
アランの4歳年下の前婚約者はその昔、実に芋臭い女であった。
いや本当に芋だったのではないかと思ってしまうほど食指の動かない娘で、父から婚約の報告を受けたときはとてもガッカリした。
小柄でいつもアズキ色か紺色のドレスを着ており、茶色の髪は無造作に束ねられていた。
大きな瞳に太すぎる眉毛。喋り方は子供っぽく外遊びのせいか一年中日焼けしているような女の子。
アランとしては斜向かいの領主の娘の方が金髪で美しかったから気になっていたし、その友人の同級生の方が美人で会話も楽しかった。
13歳になる頃初めて連れて行かれた王都でアランは商店の女達にとても誉められた。
『貴方とてもハンサムね。きっと高貴なお家の出なんでしょうよ。』
細身で整った顔立ちが女性達に持て囃されるのだと初めて知った日だった。
クララベルの家とドガ子爵家は隣同士で祖父はその昔リンドバーグ子爵にお金を借りたことがあったらしい。爺さんの『まさか』は借金のことだったのである。
婚約を整えたのも、その時の借りを返すためなのだと父親からは聞かされていた。
貴族は柵が多い。
何故自分が死んだ祖父の尻拭いをせねばならんのだ、と無性に腹が立ったことだけは覚えている。
茶色の髪をきっちり町娘のように三つ編みにし、本ばかり読んで猫背の小柄な少女。
アランを見つけると嬉しそうに歯を見せて笑っていたのも間抜けだと思っていた。
褒めるところなど本当に見つけられなくて婚約式の日
『君は福耳だね。食べ物に困らなさそう。歯も丈夫そうだもの。』と言ったら母親に物凄く睨まれた。
しかしクララベルは『アハハハ、その通りですね。福耳の効果が生涯続くと良いんですけど。』と答えた。
王都の少女達は扇で上手に口元を隠して『フフフ』と笑う。
『アハハ』と馬鹿みたいに笑う4歳下の女が自分の婚約者だと周りに知られたくないと学生時代はいつも思っていた。
学生時代はアランにとって上り坂だった。
女生徒はどんどん寄って来るし、誘われて始めた高級酒場のバイトでは沢山のプレゼントを貰った。
毎日が楽しくて田舎の領地のことも忘れたし、ダサい婚約者のことも放ったらかしでも何も言われなかった。
しかし、アルバイトがバレた。
あそこからが人生の下り坂だ。
婚約解消の話し合いの席でアランは目を見張った。
(本当にクララベルなのか?)
そこにはツヤツヤのハニーブラウンが印象的な清楚な少女が座っていた。
遊ぶには気が引けるが、妻にするにはピッタリの世間知らずな貞淑な印象の楚々とした佇まいが良かった。
『俺はクララベルのことは別に嫌いじゃない。だから婚約は破棄しないでいい。』そう伝えたのにクララベルは婚約を白紙にしてくれと言ってきた。
白紙になったのはアランの頭の中であった。
父親は『アランは俺に似た見た目だから、すぐに他の婚約者が見つかる。私たちのことは気にせず、少し金銭的に余裕のある女性を見繕いなさい。』と言って領地に帰っていった。
なんと返事をしたかは覚えていないがその後、父が望んだような展開にはならなくなった。
アランに寄ってくる女生徒が居なくなったからだ。
一緒に遊び回っていた赤髪のキャサリンも手のひらを返したように目の前から姿を消した。
ある日食堂でその姿を見つけた。アランは当然のように慌てて詰め寄ったが彼女はこう言った。
『ドガ様。すみませんが貴方と居ると私まで身持ちの悪い女だと思われるんです。申し訳ありませんが今後は話し掛けないで頂けます?』
『何気持ちの悪い喋り方してんだよ。キャサリン、俺たちの仲だろう?何で俺は皆から無視されてるんだ。』
『……………。』
そう言うとグイッと校舎の日陰に連れて行かれた。
「あのね……私18歳で今年学園を卒業なのに婚約者が決まらないんだ………。
アランのこと嫌いじゃなかったんだけどさ、貴方生徒会の皆に嫌われてるでしょう?それだけでも心証が最悪なの。
それに酒場で男娼みたいなことしてたって皆噂してるよ?」
………男娼だと自分のことを思ったことは無かった。そんな意識もなく未亡人や夫人達と戯れにベッドを共にしてきた。ただの社交だと思っていたし、お互いの利害が一致していただけだ。そう言いたかったが、口にしようとするとそれは『はい、私は男娼でした。』と同義だと気がついた。
「いや……それは………。え?生徒会の人たちが何だって?」
「クララベルさんて生徒会の執行役員を務めてるんだよ。知らなかった?だから、生徒会の人たちは皆クララベルさんの味方みたいで婚約破棄をよく思っていないのよ。あ、解消だったね、ごめん。」
「そ………そうなのか?ただの手伝いだって聞いてたんだけど。」
「いやいや第三王子の婚約者であるヴィクトリア様が気に入って執行部に入れた人がクララベルさんだよ。
アラン残念だったね。後5年もすれば王家と繋がりが出来たかも知れなかったのに。」
鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。
(クララベルは未来の王子妃のお気に入り?結婚していたら王家の人間と少しでも近づけたのか?)
呆然としているアランにキャサリンは追い討ちをかける。
「パパがね、アランと遊んだらもう絶対にダメだって言うの。
王家に睨まれたら修道院どころじゃ済まんぞって脅すんだ。私はあんまりよく分かんないんだけどパパの言うことは絶対だからホントごめん。もう関わらないでね。」
そう言うとキャサリンはアランの前から消えていった。
それが最初だったのか後だったのか……………
アランの前からドンドン人が消えて行った。恋人達も友人達も皆。
王都で花嫁探しをしたかったがそんな金はドガ子爵家には当然ない。卒業と同時に子爵領に戻され人間より羊の方が多い村に住むことになった。
一番近くに住んでいるのは前歯が無い婆さんと、猫を八匹飼っている村長のお爺さん。
隣の家と往復するだけで一時間かかるその村にアランは父親から家を充てがわれた。
耳の遠い年寄りとばかり話すので自然と声はデカくなり、洗濯や掃除を自分でするので手が荒れた。
『何で俺がこんな目に………』と泣き喚いていたが2ヶ月もするとその気力もなくなり、半年経つと夜空ばかり見上げていた。
友人に助けを求めようにも相手がおらず、父親に『そろそろ帰りたい』と文を出しても返事はなし。
お金を持たせて貰えなかったせいでその村から脱出することも叶わなかった。
醜聞を嫌がった父親がアランの身を隠したのだと3年経ってようやっと気がついた。
真っ白だった肌は日焼けし、そばかすが鼻や頬に出てきた頃、父親が縁談を持ってきた。
「ラベンドル男爵家の長女が夫を亡くして戻ってきたそうだ。我が子爵領に援助を下さる約束をしてくれたのでこの婚約は受けようと思う。
今年27歳のジャンヌ婦人だ。」
若い女と5年も距離があったアランは一も二もなく頷いた。
羊との生活はこれ以上耐えられそうになかったのだ。耳の遠い爺さんに『今度結婚するから家に帰る。』と告げると
『そうじゃのぉ、家の中でコンドルを飼うのは危険じゃぞ。』と返事をされた。
ジャンヌは取り立てて美人ではなかったが、落ち着いた性格で常識のある女であった。ドガ子爵家の決して裕福ではない暮らしぶりを立て直し、姑とも仲良くしてくれる。
彼女は自分の立場を弁えているし、態度が謙虚なので嫌われない。
ラベンドル男爵はジャンヌの兄だ。
それなりに裕福で全て見越した上でドガ家に嫁がせたのであろう。
連れ子の息子はマクラーレン。細身で内気な子供でアランには中々懐こうとはしなかった。
結婚して2年経ちアランの息子が生まれた。
アランにそっくりな容姿の息子はドガ家の祖父達から評判が良く祖母も『アランの子供の時にそっくりよ。』と何枚も手縫の服を送ってくれた。
アランはジャンヌとの関係は良好であったが息子が生まれたことでマクラーレンとは溝ができたような気がした。
王都には住まずに田舎の子爵領で穏やかな生活を送っていたアランだったが今年王家から手紙が届く。
正確にはマクラーレンに宛ててだ。
『王妃主催の茶会を催します。』
それは自分たちの世代の時にもあった『王家に仕える臣下選び』であった。
アランは驚いた。マクラーレンは優秀だと聞いてはいたが王家に招待を受けるほどだとは思ってもいなかったし、第一ヴィクトリア妃たちに自分が嫌われている。
クララベルはもうヴィクトリア妃の側に居ないのだろうか?と慌てて情報を探す。だが、クララベルは夫のロイドと共に王家にどっぷりと尽くしており相変わらずヴィクトリア妃殿下から可愛がられているようであった。
『俺のことを遂に許してくれたのかもしれない。』
アランはドキドキしながら、マクラーレンと妻のジャンヌに自分の婚約がその昔解消されたことを話した。
結婚生活は10年目に差し掛かる年だった。
父親の昔の行いにマクラーレンは呆気に取られ妻のジャンヌは『存じてました。』と静かに告げた。
『彼らは許してくれたのだろうか?』と口にするとジャンヌは少し考えてこう話した。
『マクラーレンは今年論文が学園で評価されたのです。入学前に認められることは異例ですし、セシリア王妃は公正な方だとお聞きします。多分旦那様のこととは関係なくマクラーレンに評価をくれたのでしょう。』
アランはガッカリした。
マクラーレンは王家そのものには興味は無いが、この国の神童と呼ばれる子供達が一堂に会す機会は滅多に無い!と母親に出席したいと申し出ていた。
アランは息子と希薄な関係ではあるが自分のせいで息子が大切な機会を失うことだけは避けたいと思い同じく妻に相談する。
ジャンヌは暫し考え静かにこう言った。
「バランティーノ夫人に正式に謝罪致しましょう。年月を経て、貴方も大人になりました。
許してもらうことが目的ではありません。自己満足で謝るのではなく彼女の気持ちを少しでも軽くするために謝罪するのです。」
アランは地味だが賢い妻の言葉に励まされ、王宮の門を潜った。
神の悪戯か何なのか………
座席は大当たりでクララベルの二つ後ろのテーブルにドガ子爵家は案内された。
昔見たハニーブラウンが陽光に照らされ眩しく輝いている。
(クララベル………)昔のアランにはあり得なかったことだが胸に熱い思いが込み上げた。
田舎で羊を数え、夜空の星を数え、暇すぎて婆さんの抜けた歯の数を数えているうちにアランは自分のしたことの重大さに気がついた。
自分が思うよりずっとずっと傲慢で愚かだったのだと……この現状は自分が蒔いた種なのだと下り坂の一番下で思い知ったのだ。
そして今『まさか』を体感している。
クララベルは誰もが理想とするような貞淑で美しく、賢そうな夫人へと変身していた。
年齢を感じさせないスタイルで、小柄な身長はそのままに。
学生時代は小麦色に焼けていた肌はすっかり白く抜けており、オレンジ色の口紅が映えていた。
ハーフアップに纏まった髪は緩く巻かれ耳には翡翠のイヤリングが揺れている。
昔は履いていなかった高いヒールが足を美しく見せ、胸元の膨らみが男心を擽った。
(あんな綺麗な子だったのか………。)呆然としてしまった。
『女は変わるものだよ』と祖父は言っていたがここまで変わるとは思っていなかった。
思わず見惚れていると肘にゴンッと衝撃が走る。
ジャンヌが扇子の後ろで突いてきたのだ。
周囲を見れば皆が着席しておりボーッと突っ立っているのは自分だけであった。
恥ずかしさを紛らわせるように椅子を引くとジャンヌが『わかってるわね?』と小声で話しかけてきた。
(う、うん)と頷いては見せたが動悸が激しくまともな思考回路は完全に断たれていた。
声を掛けて『昔は本当に済まなかった。許してくれとは言わない。ただ一言謝りたかった。』と脳内ではイメージするが実行に移せない。
ジャンヌも分かっているのだろう。困り眉のまま薄く微笑んではため息を溢していた。
お茶会の目的は王族との親睦である。
他の貴族は躍起になってお互いを褒めたり貶したりしていた。
見た目がすっかり昔と変わってしまったアランに気がつく人間は少なかったが席次表を抱えて歩いていたレモニティ伯爵夫人が小さな悲鳴をあげた。
「もしかして!貴方男娼だったアランでしょう?」
椅子から一度も立ち上がらなかったことが裏目に出て学生時代の『友人』に出会してしまった。
あの当時から『口から先に生まれたような女だ。』と思っていたが、彼女は当時と変わらない。
頭で考えるより先に口が動いているらしい。
レモニティ伯爵夫人の甲高い声にクララベルとロイドが後ろを振り返る。
お互いが『あ』というような口の形になっていた。
この場は子供のライバルを一人でも蹴落としたい人間で溢れている。
皆がドガ子爵を指差さんばかりの勢いで陰口を叩き始めた。
ジャンヌは更に困ったように唇を噛み締め夫の手を握った。
アランは自分の過去の行いが馬鹿げていると今はよく分かる。
やってはいけないことでお金を稼ぎ、楽をしたくて可愛い女の子たちと放蕩の限りを尽くした。
生活の為に仕方なく『酒場』で働いたのではなく、自分の快楽のために身を落としていたのだ。
それはこんな形で社交界に戻ってきた自分を痛めつけるのだと改めて悔やんだ。
ジャンヌは昔のアランを知らない。
だが、子供っぽい夫が昔馬鹿なことをしたのだけはラベンドル男爵から聞かされていた。『そのせいで苦労する場面もあるだろう。』とも聞いていた。
アランの告白にはマクラーレンと二人で呆気に取られたがそれを責める気は毛頭ない。
アランは顔はまあまあ美しい男であるが、大人しい性格だし寡婦の自分を受け入れてくれた。
それに今は日焼けして、垢抜けているとは言い難い容姿をしている。
男爵家からの融資により、金まわりも今は悪くないのに決して服に金をかける事もなく賭け事も酒も嗜まなかった。
唯一の楽しみはペットの牧羊犬を可愛がっているくらいだろう。
そんな男が口煩いレモニティ夫人にいいように言われているのは辛かった。
しかし、彼には今日最大の目的がある。
ジャンヌは黙って夫人を睨みつけることしか出来なかった。
「レモニティ夫人?声がボルネオオランウータンみたいに大きいですわ。貴婦人がそんな大きな声を出されてはね?お子様の品位も疑われますわよ。」
いつの間にか傍に来ていたクララベルが穏やかな声で話しかけた。
第三王子妃の筆頭乳母が自ら立ち上がったのだ。周囲の家族はピタリと会話を止めた。
レモニティ伯爵夫人は先ほどまでの勢いは一瞬で消沈し顔色を白くした。
「すみません……その………この場に相応しくない人間がいたので驚いて…………。」と唇を震わす。
「貴女以上に騒いでる方は見当たりませんけれど?」とクララベルが首を傾げる。
するとレモニティ伯爵が慌てて妻の手を取る。
「すみません。バランティーノ夫人!妻は初めて来た王宮で舞い上がっておりました。御前失礼いたします。」
そう言うと慌てて保護者席のパーティションから飛び出て行った。
時間にして2分ほどの出来事である。
ドガ子爵夫婦は大きく安堵の溜息をついた。
そしていち早く我に返ったジャンヌが深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。バランティーノ夫人。」
クララベルより10近く年上のジャンヌが丁寧に頭を下げているのだ。
クララベルも「いいえ。」と頭を下げる。
そしてそのまま前を向こうしたところアラン・ドガ子爵が少し眦に涙を浮かべて「クララ……」と声をかけた。
瞬間的にロイドがサッと立ち上がる。
アランはその様子に瞠目し再び俯いた。
「座りませんか?」
クララベルが自分達のテーブルへとドガ夫妻を手招きした。
二人は決意したようにバランティーノ家のテーブルに座る。
「バランティーノ夫人。その………一言だけ。
貴女に謝りたかった。
私はあの時『ごめんなさい』の一言も言えない馬鹿だった。今とてもそれを悔やんでいるんだ。それを今日は伝えたかった………。」
アラン・ドガ子爵は猫背のままクララベルに視線を送った。
その瞳は昔のような傲慢さはなく、ただの大人しい普通の男性だった。
(あんなに憎いって思ってたのに……ただの男の人だったのね……)
クララベルは拍子抜けしていた。
昔アランは自分の周りの誰よりも王子様のようにカッコ良く、強気で、ずっと年上の憧れの男性だった。
だが、目の前には日に焼けた肌に筋肉のない体。少しツヤの失われた癖毛強めな男の人がしょぼくれて座っているだけだ。
王族や煌びやかな貴族を見過ぎたせいか目が肥えたらしい。
アランからは『中ランクの三十路の男』以外の表現は全く見当たらなかった。
苦労したのだろう。昔は細長く伸びていた白魚のような手は日焼けし、節くれだっている。
兄のザカリーが10年前に一度だけ教えてくれたのだ。
『ドガ子爵があまりに社交界で嫌われているから息子を田舎の村に隠したらしい。』と。
ドガ子爵と対面で会ったのはザカリーの家の応接間が最後であったがそのようなことになっているとは全く知らなかった。
学生時代は親と絶縁状態だし、結婚後交流が戻りつつあってもドガ子爵とは疎遠のままだ。大きな夜会でたまに顔を見かけてもクララベルは近寄らずに無視を決め込んでいた。
逃げていた訳ではないが15年ぶりの対面は想像以上に複雑な心境である。
「本当にすまなかった…」
そうもう一度言って深く頭を下げたアランにクララベルはどう返してよいか分からなくなっていた。
ふと子供たちのテーブルを見ると先ほどと同じメンバーが今度は池に向かって走り出している。
何か見つけたのかもしれない。
それを見てロイドが
「あ!ダイソン殿下がアウラの後をついて回っている!!」と焦った声をあげた。
ジャンヌも自分の息子がそのグループに紛れているのを発見し絶句している。
「マクラーレンが……」と言い掛けてバランティーノ夫妻がそばに居ることを思い出し口を噤んだ。
そうか………
(年月とはやはり一つの薬になるらしい。)
クララベルはミランダの言葉を思い出していた。
婚約の解消が決まった後、王宮に上がるクララベルは『嫁に行けないから必死で侍女になろうとしている哀れな女』と陰口を叩かれた。
そんな時にミランダがクララベルを励ました。
『どんなに辛く自分が日陰を歩いていると思っていても明けない夜はないように一生日陰に居ることもないわ。女性はね、いつも太陽を目指して歩いていける生き物なのよ。時間という名の薬と、歩き続けることをやめない限り必ず状況は変わる。』
クララベルは歩みを止めず自分の思う生き方を邁進した。
そしてその結果今があり、時間の薬と共にアランをそこまでは憎んではいない。
アランがいたらロイドと結婚できなかったじゃないか!とまでさえ思った日もあった。
生まれてきた赤子を腕に抱いていると思う。
人を憎んだり妬んだりは疲れるのだ。
自分の人生が充実していくにつれて彼との嫌な思い出はかなり風化されていた。
そしてアランは既に自分が思っていた以上の罰を受けたらしい。
その姿を見ただけで簡単に想像がつく。
「はい、ドガ子爵。あの時の気持ちを少しでもわかってくれるようになったということで宜しいですか?」
そう言うとアランは大きく目を見開いた。
「ああ、田舎の村でずっと考えたんだ。あの時に君にした仕打ちと、自分の結果とを。幼い君をひどく傷つけたね。本当にすまなかった。」
クララベルは頬に皺を寄せ苦く笑う幼馴染に少しの未練も残っていないことがよく分かった。
「当時は辛かったんです。でも私を支えてくれる人たちによって私は立ち直れました。
許しますとは言いませんが、ドガ子爵が私の気持ちを少しでも分かってくれたなら私はもういいと思っています。
それに、子供たちを見ていて思いました。
自分たちの感情は自分達の世代で終わらせるべきなのだと。ドガ子爵もあの当時婚約を押し付けられて苦しかったのでしょう?」
その昔父親たちが盛り上がって決めた婚約にクララベルは振り回された。
親の感情が介入しても自分達とは人生も生き方も違う。
お互いに適切な距離が必要なのだ。
自分達はもう親である。子供には子供の人生を歩ませなければなるまい。
死んでも『あの親とは私は恨みがあるから付き合わないで』などと口にしてはいけないのだ。
「仲良くしましょうとは言いません。ですが、昔に囚われるのは嫌なんです。
ドガ子爵もあれからご苦労されたようですね。ですが、とても優秀なお子様がいらっしゃるとか。今度ぜひ彼の論文を読ませていただきます。」
ロイドは自然にクララベルの肩を抱き寄せた。
懐が異次元に繋がっているのではないかと思うほど情け深い妻を、本当に尊敬したからだ。
口撃する気満々であった周囲の友人たちもクララベルの様子に胸に温かなものが込み上げた。
人には生きていれば何かしらの『過去』が存在する。それに拘ったり囚われたりしていては完全に幸せとは言えない気がした。
自分の子供たちを少しでも家の役に立てようと躍起になっていた夫婦は下を向き自分を恥じいる。
自分が出来なかったことを子供に託しすぎることが急に愚かなことのように思えたのだ。
「さあ、我が子たちの活躍を見なければいけませんわね!今日は庭園に色々と仕掛けを作って楽しめるように工夫したんですのよ?」
明るい笑顔でクララベルは前を向く。
思い返せば彼女はずっと前を向いている人だ。
後悔したり、人間らしく落ち込んだり、恥ずかしくなって転げ回る日もあるのだろうが彼女にはそれを支えてくれる人々がいる。
それは自らが築き上げたものだ。
『彼らに恥ずかしくない人間でありたい。』
クララベルは変身を遂げても尚自分を前向きに進め続けるのであった。
*娘とロイドの絡み*
アウラリア「お父様。今日のお茶会とっても楽しかったわ。皆さんとても博識なのよ。驚いちゃった。あんなお友達今までの学校には居なかったわ。」
ロイド「そうかい。良かったね。それで池では何をしていたんだい。」
アウラリア「池にはお魚がいっぱいいるでしょう?」
ロイド「あぁ」
アウラリア「餌がなくても魚は釣れると言う方がいらっしゃってね、それでみんなで実験しましょう!と釣りをしたの。」
ロイド(お、王家の池で?!なんてことを!!)
「へ、へぇ〜まさか餌なしで釣れたりしないよね?」
アウラリア「それがなんと釣れたの!!すっごく綺麗な赤と白の大きな魚が!!」
ロイド「えっっっ!!それでその魚どうしたんだい!!」
アウラリア「丸々太ってて美味しそうだったから焼いてみた!!」
ロイド(ギャーーーーーー!!!それ東国から友好の証に送られてきた貴重な魚!!!金貨60枚分!!!)
アウラリア「けど美味しくは無かったわ。」(ガッカリ)
ロイド(食べたんかい!!!)
クララベル「骨は全部埋めて分からないようにしてきた?」
アウラリア「勿論!!」
(前向きに善処する妻?と娘?)