あちらを立てればこちらが立たず
ロニー君が頭を下げても子爵はすぐには動かなかった。
彼にしてみればその願いを聞く理由がないのだろう。私が渡した片栗粉で利益が見込めるといっても、それはロニー君と直接的なつながりはない。
それに片栗粉は孤児院と引き換えに渡したものだし、進めているパンの新しいレシピにしても今現在匿ってもらっていることに対する対価に過ぎない。
それが分かっているロニー君は顔を上げて子爵に目を合わせた。
「その機会さえ頂ければ必ずやイーレンハイツ公爵の地位を得ると約束します。その時はアイカさんが提案した件を勧めてみようと思います」
「俺を伯爵として引き抜き、ルーデンハイムあるいはどこかの街の与えると」
「はい」
エズラ子爵が立ち上がった。
窓辺へと移動して街の方に目を向ける。
自分の領地となるかもしれない街の品定めをしているのか、随分と時間をかけている。私ですらそう感じているのだから、ロニー君はもっと時間の流れを遅く感じていることだと思う。緊張で額に汗がびっしりと浮かんでいるのが見えた。
「公爵閣下に取り次いだとして、あの方をどうやって説得するつもりだ。ロニトリッセ殿が正当な継承権を持っていることは理解している。だが、それだけを理由に公爵会議の場に連れて行ってくれといっても動くことはまずないと断言できる」
「そんな! 兄は不正を働いてるのですよ」
「不正?」
「そうです。この街で僕を謀殺しようとしただけでなく、おそらく父上の死にだって兄が関わっているはずなんです」
「おそらく、はず、その言葉がどういう意味かはわかってるよな。所詮は可能性、証拠がないと認めるわけだ」
「そ、それは、そうですけど……」
「証拠がなければ何をもって不正を働いたと?」
二の句が継げなくなるロニー君に畳みかけるように子爵が言葉を紡ぐ。
「残念ながら閣下は現実的な考え方をされる。極論を言えば他公爵家の跡取りが誰であれ構わないと思っている」
「待ってください。公爵家には国王としての対外的な役目があるのですよ。国の顔となる者が身内に手を掛けるような人でもいいと?」
「それのどこが悪い?」
「えっ」
驚き過ぎて顔が硬直してしまった。ロニー君にとって子爵の言葉は予想だにしないものだったのだろう。
まあ、気持ちはわからなくはない。
国のトップが身内を手にかけても別にいいと言われれば衝撃を受けるというものだ。けれども、国のトップっていうのは時には非常な判断もできなければならないわけで、一見冷酷とも思えるような決断も必要なのだ。
果たして優しいロニー君にそれができるのか。
「この前も言ったはずだが、貴族の家において後継者争いなどよくある話だ。貴族と貴族家は全く別のものだ。
ロニトリッセ殿はイーレンハイツに名を連ねるものだが、今の君は貴族ではない。まあ、だからこそ俺もこんな風な対応をしていられるわけだからな。
貴族の地位を引き継げなくても、平民とは比較にならない生活は約束される。だが、貴族とそれ以外では根本から違う。それはわかるだろう」
「だからって」
「歴史の勉強は苦手か? 親、兄弟にとどまらず親族のほとんどすべてを手に掛けたと言われるカスガラ=ウェステリア公爵が民に何と呼ばれているか」
「……慈愛公。ですが、彼は――」
「マランドン王国の歴史を振り返っても彼ほど領民に愛された公爵はいないだろう。だが、彼の人生の歴史の1ページだけを切り取れば、血も涙もない化け物と呼ばれても可笑しくはない」
「つまり、兄が実際に父に手を掛けていたとしてもこの国を正しく導く可能性はあるから問題ではないと」
「事実、カルトラッセ殿の評判はエストリアの木っ端貴族の俺の所にも届いている。ありていに言えばきわめて優秀だとね」
「それは否定できません」
雲行きが完全に怪しいなってきた。
子爵に取り次いでもらって公爵に会う事さえできればそれで万事解決と思っていたのは大きな間違いだったらしい。それにロニー君のお兄さんも優秀とはビックリだ。てっきり、能力もないのに嫉妬だけしてるダメなやつを想像していた。
「あの、話に入ってもいいですか」
「わざわざ許可を取る必要がどこにある」
「そう言っていただけると助かります。えっとね、ロニー君。お兄さんの罪を問う方法は後で考えるとしてまずは公爵会議に乗り込む方法を考えよう」
「ですけど」
「うん。ロニー君が正当な後継者だってことで話を勧めるつもりだったけどさ、それが無理ならいつまでもそこにこだわっていてもしょうがないでしょ。で、エズラ子爵様に確認なんですけど、エストリア公爵様は現実的な人なんですよね」
「ああ」
「でしたら、子爵にお渡ししたように片栗粉のような現実的に利益をもたらすものだったら話を聞いてもらえるのでしょうか」
「そうだな。可能かどうかで言えば可能だ。だが、言っておくが可能性程度では閣下は動かないぞ。新しいパンのレシピだの、女性ならだれでも欲しがるものなど、形すらないもので話を聞いてくれるほど甘くはない」
そう言われてしまえば、不確かな話で私たちを匿ってくれた子爵には感謝しかない。実績とまではいかなくても片栗粉という前提があったから耳を傾けてもらえたけど、公爵に対してそれはない。いくらエズラ子爵に片栗粉の提供をしたのが私だといっても無駄ってことか。
「でも、公爵会議まで時間的猶予はあるわけですよね」
「お前は俺の庇護下で、公爵への献上品を準備するつもりなのか?」
「そ、それをいいますか」
「いまのお前は自由に買い物にも行けないんだ。何かを作ろうとしても俺のところの使用人に頼まなければならないのだろう。さらには場所も道具もすべてうちの物を利用するわけだ。その状況で用意するものは当然エズラ子爵家に帰属するとは思わないか」
「それはそうですけど」
思わず唇をかみしめる。
子爵の言わんとすることはわかる。わかるけども、どこにぶつけていいのかわからないモヤモヤに襲われて「あー、もう」と叫びながら地団駄を踏みならして首を搔きむしりたくなった。
「だ、だったら片栗粉の独占を公爵に譲れば――」
「それで俺が納得すると思うのか」
「でも、引き換えに伯爵になれるのだと思えば安いものだと思いませんか」
「確かに伯爵への陞爵 などそうそう認められることではないさ。魅力的な提案だとは思う。だが、公爵からの反対も考えられるし、イーレンハイツ領内からも突き上げあると言っただろ。片栗粉の販売で実績が積み上げていけば、いずれエストリア公爵領内で引き立てられる可能性もある。そう考えると冒険を犯す必要を感じない」
うーん。
下級貴族にとって爵位をあげたり、領地を持つことってかなり魅力的だと思ったんだけどな。確かに言われた通り確実に実行できるとは限らない。何だかんだで私の中でエズラ子爵の評価は「いい人」なんだけどね。片栗粉の製法と引き換えに孤児院を続ける必要はなかったのだ。もちろん、周りの目を気にはしたと思うけど、孤児院の経営を続けてもメリットはないのだから。
「じゃあ、もう、いいわ。協力してくれないなら、片栗粉の製法をバラまいてやる。いや、鍛冶ギルドに登録しようかしら」
「……お前な、なんでこれだけ貴重な技術を俺が登録してないと思っている」
「え、登録してるんですか。でも、それだと情報が表にでるんじゃ」
「アイカさん。鍛冶ギルドへの登録の場合、非公開情報として登録することもできるんですよ」
「そうなの」
「はい。情報の入った箱を鍛冶ギルドに納める形で登録とするんです。箱を開けるには鍛冶ギルドと登録者双方が持つ鍵が必要になるという仕組みです。技術が流出したときには、箱を開封することで以前から登録してあったことが証明され、真似をした店や技術者から特許料を貰うんです」
「へぇ、よくできてるのね」
「いろんなことを知っている割に肝心なことを知らんのだな。俺の雇った従業員が情報を漏らす可能性に考慮しないわけがないだろう」
もはや、ぐぅの根もでない。子爵ってなんだかんだで優秀だよね。
うーん。でもどうしたらいいの。
公爵を立てようと思えば、子爵に角が立つし、現実味のない話じゃ公爵を味方につけることはできない。
無茶だよ。
誰かがどこかで妥協しないと成立するはずがない。
ウィンーウィンなんていうのは机上の空論じゃないかしら。
「お前らの方向性はおおむね理解した。さっきも言った通り、時間はまだある。レムリアの屋敷で引き続き匿ってやるからその間に何か思いつけばいいさ」
簡単に言ってくれる。
その場合、思いつかなくても子爵だけは丸儲けなんだから質が悪い。聡いんだろうけど、嫌な奴だ。ああもう、この勝ち誇ったような顔に一発お見舞いしたいところだけ――
「あ」
閃いた。
「どうした?」
「アイカさん、何か思いついたんですか」
イケる。
これならイケる。
公爵も子爵も、そしてもちろんロニー君もみんな満足できる妙案が浮かんだ。
前言を撤回する。ウィン―ウィンは机上の空論といったけど、これならウィンーウィンーウィンだよ。
「ちょっと聞いてもらえる」
人払いしているのに、私はテーブルの上に身を乗り出すようにしてひそひそとそのアイデアを二人に打ち明けた。