引き抜き
「お初にお目にかかります。ユーズレイ=エズラ子爵殿。私はイーレンハイツ公爵家が次男、ロニトリッセ=イーレンハイツと申します」
ロニー君が立ち上がり、貴族らしい仕草で丁寧なあいさつをする。それを受ける子爵は座ったまま。子爵である彼と、公子という跡継ぎでは向こうの方が上ということなのだろう。
「やはりか。何をどうしてこのようなことになっているのやら」
顎をさそり薄く笑う子爵だけど、私の中にはまだ疑問が残っている。
「どうして気付かれたんです。銀髪は帽子で隠していましたし、顔もよく見えてなかったですよね。そもそも貴族の馬車ということで私たちは頭を下げていました。なのに馬車を止められました。まさか、あの時点で気付かれていたわけではありませんよね」
「確信があったわけじゃない。ただ、そこらにいるような子供の立ち方じゃなかったからな」
「立ち方?」
「足をきちんと揃え、手は指先まで伸びている。その上、お辞儀の角度も貴族のそれだ。ユーデンハイムでの事は妹から手紙をもらっていたからな」
「つまり消えたロニトリッセ様じゃないかと」
「あくまでも可能性だがな。街から離れていく怪しげな一行に、貴族の子らしいものが同行している状況で何とも思わないものがいれば只の阿呆であろう」
つまり目に留まった時点で詰んでたわけか。それにしても立ち方とはね。小さいころから叩きこまれた教育は簡単には崩せないか。
ロニー君の存在に気付かれたのはわかったけど、それでもまだ疑問は残る。
「でしたら、なぜ?」
「匿おうとしたのか、か」
「はい」
「ロニトリッセ殿を見れば、無理矢理連れられているわけではないのは明らかだった。それに一度しか会ってないとはいえお前の人となりは想像できる。不正をした神父を糾弾し、孤児院を救うために市場を席捲できるほどの商材をあっさりと手放すほどのお人よし。
公爵家でのお家騒動などよくあることだ。巻き込まれたか、自ら飛び込んだかはわからんが、少なくとも耳にしたような誘拐ではないと想像するのは容易だろう」
こいつ。
あの一瞬でそこまで考えたのか。でも、だからってこっちの味方をする理由には足りないと思う。誘拐という犯罪でなくても目の前に行方不明の公子がいるのだ。普通に保護すればいい。
だけど子爵はあの場で言及することなく気付かないふりを通した。それはつまり部下の目から私たちを守ろうとしたということになる。
「それでも」
「お前の口にした領地が欲しくはないかという言葉に興味を持った」
「そ、それは」
「出まかせとでもいうつもりか」
「いえ、そのようなことはありません」
もちろん、出まかせです。最近、どんどんポーカーフェイスが上手くなってきたような気がする。東京に戻ったら政治家にでもなろうかしら。だいたい人の気を引くためには大風呂敷を広げるのが定石でしょ。といっても、無策というわけではない。
自分で言った言葉に対して後付けになるけど一晩答えを考えていたのだ。私に抜かりはない!!
「今回のお家騒動でロニトリッセ様が次期公爵となれば、兄君に手を貸したルーデンハイム伯爵は廃爵になる可能性は高い。そうなれば当然ルーデンハイムを治める貴族が必要になります。そんな時、片栗粉の商売などで頭角を現しつつあるエズラ子爵にお声掛けしても不自然ではないでしょう」
「それがお前の考えか」
「はい」
「どう思う」
子爵が声を掛けたのはロニー君。
「ええとですね。アイカさん。話の筋はわかりますが、難しいです。エズラ子爵はエストリアの貴族でイーレンハイツの貴族ではありません。平民の移動であれば誰の許可も必要ありませんが、貴族ともなれば話は別です。
そもそもエストリア領の貴族を引き抜くにはそれなりの理由が必要ですし、当然のことながらエストリア公爵の許しが必要になります」
首を左右に振るロニー君に、呆れたとばかりに目を細める子爵。オルトにまでジト目で見られている。
ぬぅ。平民のオルトでもわかる常識なのか。
っていうか、オルトは護衛です、みたいな顔をして会話にも入ってくる気配もない。まあ、いいんだけど。
「え、えと……」
「くく、まあ、そういうことだ。公爵閣下がそれを許すはずもない。何しろ俺は片栗粉という権益を持っているのだからな。俺が移動するということは片栗粉の権益も移動することになる。
許可を得ようと思うならその権利を公爵閣下に献上するくらいだろうな」
「そういうことですか」
片栗粉の販売益がすべてエズラ子爵の懐に収まるわけじゃない。国が存在すれば当然ながら税金だって存在している。
この世界の法に詳しいわけじゃないけどもそれくらいは想像がつく。それが消費税のようなものなのか、あるいは法人税とかそっちかはわからないけども売り上げの一部がエストリア公爵の元へ流れる仕組みがあるのだろう。
税金は領地運営のための資金なんだろうけど、エストリア公爵が潤うことには違いがなく。そんな資金が他所に流れるのを認めるはずもない。
「あれ、それなら片栗粉の販売をここに移ってからにしたら」
「アイカさん、それだと何の実績もない子爵を陞爵 してまで他所から呼ぶという事になってしまいますよ。それでは、自領内の貴族に示しがつきません」
「ロニー君。実績がないは言い過ぎだよ」
「えっ、あっ! す、すみません」
「気にするな。それは事実だからな。くくっ、それよりもロニー君か。次期公爵になるやもしれんというのにロニー君か。お前は本当に何者だ」
慌てふためくロニー君を、実績がないと言われた当の本人は笑って受け流す。つられて笑いそうになるけども、流石にそれは不敬だと我慢していると子爵は紅茶を一気に飲み干して笑い声をも飲み込んだ。
「どこにでもいるただの平民ですよ」
「お前のような平民がどこにいる。まあ、この国の貴族じゃないのはわかるさ。マランドン王国に黒髪の貴族はいないからな」
「だからって外の国の貴族ってわけでもないんですけど」
「だろうな。そもそも黒髪だけならホロー自治区の出身かとも思うが、お前のように直毛でなおかつ瞳まで黒というのは聞いたことがない」
ホロー自治区っていうのはマランドン王国の隣国である帝国の一部で南の方にあるらしい。オルトの話じゃ昔は王国だったらしいけど、そんな話はどうでもよくてホロー自治区の住民はみんな黒髪だけどアジア系じゃなくてラテン系の方なので違いはあるし、瞳の色は黒じゃないそうだ。
「そうみたいですね。でも、それを言ったらロニー君の銀髪の方が珍しいと思いますけど」
「確かに」
「そうですね。うちの一族以外では見たことがないです」
だからこそ徹底的に隠しているんだけど、さすがに屋敷の中で帽子をかぶっているというのは異様すぎるから何か手を打たないといけない。
「さて、まあお前が何者かなどというのはどうでもいいか。必要なのはお前から何を得られるかどうかだ。そろそろ商売のネタについて詳しい話を聞かせてもらおうか。領地運営に興味を持ったのは事実だが、それ以前にお前の頭に興味がある」
それはそうだよね。領地に興味を持ったからというんじゃ時系列がおかしい。私がそれを口にする前から子爵はロニー君の正体に気付かないふりをしていた。
空気の変化を感じ取った私は大きく息を吐いて気持ちを切り替えた。