子爵の呼び出し
オルトがおっさんに襲われている。服を着ようとしているオルトと、服を脱がせようとしている薬師。大の大人が二人乗っていてもキングサイズのベッドはまだまだ余裕を感じさせている。
「何ぼーっと見てんだよ。こいつを何とかしてくれ」
「いや、でも……」
男と男が絡み合っているっていうのは一部の人間にとってはご褒美ものかもしれない。まあ、オルトは美形だけど、おっさんは正直ただのおっさんだから絵にならないんだけどね。
「いいから離せ。こっちは怪我人だぞ」
「いや、これを見る限り大丈夫だ。もうほとんど塞がってるじゃないか!」
薬師らしくスマートな体格のわりに、怪力のオルトが引きはがせないってどういう事なんだろうと思う。
「放してください」
と、ロニー君も手を貸しているのだ。
「たった一日でこんなに傷が回復するなどありえん。もっと詳しく見せろ。私に調べさせてくれ」
「それはほらオルトは若いし鍛えてるから」
「馬鹿なことを。俺がどれだけ経験があると思ってる。一般人から健康状態の悪い貧民、もちろん軍人だって大勢見てきているんだ。それゆえ断言できる。こんな速度で回復するとかあり得ねぇな」
必死に薬師のおっさんが食らいついている理由は、オルトの怪我の経過が良すぎることにあった。別にオルトを襲いたいわけじゃない。
昨日に続いて今朝も私が精霊術を使ったので、オルトの怪我は当社比二倍くらいで回復しているのだ。もちろん、精霊術による治療は聖光教会の奇跡と違って完治させるものじゃないから完全に塞がっているわけではない。
「血が固まって傷が塞がるのはまだいい。だが、普通これほどの怪我をしていれば周囲は熱を持つはずだ。うっ血も見られないしあり得んだろう。いいから、もう一度見せてみろ」
「怪我の具合は良好なんだろ。だったらもういいだろうが」
「いいわけあるか。旦那様のすぐそばに、こんな得体の知れない人間を置いておくわけにはいかない。お前が本当に人間か確かめんと行かんからな。ほら、服を着たら患部が見えんだろ。脱げ。そもそも、まだ包帯も巻いてないじゃないか」
「血は出てないからいらないって。必要なら自分で巻くから、な、いい加減離れてくれ」
ここまで執拗に迫られていても本気で付き飛ばしたりしないのはオルトの優しさと、曲がりなりにも自分の怪我を見てくれた薬師に対する礼儀なのかな。
おっさんの手がなぜかズボンに掛かっているし、オルトは押しに弱いからそのまま引ん剝かれそうな気がする。
「アイカ、頼む。助けてくれ」
悲壮感もたっぷりに懇願されたら助けないわけにはいかないけど、正直どうすることもできない。力づくでいいのならオルトとロニー君の二人がかりという時点で間に合ってるのだ。どうしたものかなあと思っていると、救いは扉の向こうからやってきた。
「旦那様がお呼びです」
ノックとともに聞こえてきたのエリンの声。
昨日は面会の時間は取ってもらえなかったようで、結局そのまま夜を明かしていた。こちらには顔を出してくれなかったけど、薬師へは連絡してくれたみたいなのでこうして治療をしてもらっていたんだけど、ようやく時間ができたらしい。
「あ、聞こえましたよね。子爵様に呼ばれたみたいです」
「そんなものお前が行けばいいだろ。こいつはおいてけ」
「あるんですよ」
正直言えばロニー君と私だけも事足りるけど、ここで見捨てたら女が廃るというか、薬師の発言のあと、オルトが段ボールに入れられた子犬のような目になっていたから拾わないわけにはいかなかった。
「というわけで、手をはなしてください」
「……ちっ、しゃあねえな」
薬師がしぶしぶという感じで、オルトのズボンから手を放すと貞操は守られたとばかりにオルトが慌ててはだけた服の釦を止めていく。
「旦那様を待たせるんじゃねえぞ。それから、傷の具合は良さそうだが、朝昼晩の三回は傷口周りを消毒して軟膏をぬっとけ。まあ、見る限り化膿の心配はなさそうだがな」
ツンデレなのか何なのか、ほんのり優しい捨て台詞のようなものを吐いて薬師のおっさんが立ち去っていく。その背中を見ていると、ちょっとだけ罪悪感を覚えるのはなんでだろう。
「えっと、よろしいでしょうか」
「あ、うん。じゃあ、行こうか」
なんとなく場の空気が可笑しいことを感じたのかエリンが首を傾げている。
手早く身支度を済ませた私たち三人は、彼女に案内されるまま子爵の執務室へと向かう。階段を上がると兵士が二人立っているドアがあった。
もちろん兵士はそれだけじゃなくて、廊下や建物の周りを巡回しているものも複数いる。
その扉の前で足を止めたエリンがノックして、入室の許可が出てから入ってみれば子爵はトークスと二人で何かの作業中だった。
「来たか。そこに座ってろ――。トークスは予定通りカウントラスティ商会の方を頼む」
「旦那様、この者らと話をするのでしたら、私もこの場にいた方が良いのではないでしょうか。むしろ旦那様自らお相手するようなものでは――」
「お前は予定通りに動け、これは命令だぞ」
「し、しかし」
「クドイ!!」
うーん、メルベさんとは結構いい雰囲気だったけど、こっちの秘書とは上手くいってないのかな。何か理由があるのかもしれないけど、こっちにとばっちりが来そうなのでぜひとも優しくしてほしいと思う。
一喝されたトークスが頭を下げて子爵に背を向けると、鋭い眼光で私を睨みつけてくる。その顔は前と同じく茹でだこのようで唇を血が出るほどに強く噛みしめていた。
大きな音を立てて扉を閉めると、足音が遠ざかっていく。
「さて、話をしようか」
執務机から立ち上がった子爵が、回り込むようにして応接用のソファセットの一角に腰をかけた。タイミングを見計らったように、扉がノックされ紅茶が運ばれる。
「君は下がっていい。こちらが呼ぶまで誰もこの部屋に近づけるな、外の護衛にも少し距離を取るように言っておいてくれ」
「かしこまりました」
お茶を人数分入れてエリンが下がっていく。
人払いをしたのは間違いなくロニー君のためだろう。
「さて、話をしようか。まあ、だいたいのことは分かっているつもりだが、まずは一つクリアにしておこうか」
「と、いいますと」
「いまさらとぼけるなよ。なら、改めて自己紹介と行こうか」
まあ、そうでだよね。バレてるよね。
私はロニー君と目配せすると小さく顎を引いて、すくっと立ちあがり帽子をとった。美しい銀髪がはらりと零れ落ち、窓から差し込む光をキラキラと反射させた。