目覚め
私の手から流れる土の精霊術の力を受けて、オルトの顔色が徐々に良くなっていくのがわかった。ロニー君を治療したときと同じように傷口周りの細胞を活性化させ、失われた血液が戻るようにと造血細胞に想いを乗せた。
「……ん」
ゆっくりとオルトの目が開き、きれいな碧眼が現れる。意識も覚醒してきているのか瞳孔が収縮して私を捉えた。
「ありがと」
「……っ」
オルトの口から紡がれた言葉に私は思わず固まった。
怒りをぶつけられ、憎しみのこもった目で見られても罵倒されても仕方がないと思っていた。何があっても受け止めるつもりだったけど、その言葉だけは想像してなかった。
「怖かったんだろ」
オルトの目が私の手首に注がれる。
精霊術を行使するときにロニー君によってきつく縛られていたため、手首にはそのあとが残っていた。術を開始してしばらくして戒めは解かれていたけども、痕跡を見て気がついたのだろう。ベッドの端にはその時に使っていた紐もある。
寝起きだというのに私の葛藤をものの見事に見抜いてきた。
「なんで……何でそんなに……」
やさしいのよ。
オルトの目を見ればわかる。
本心から私のことを心配してくれているのだ。
責めてほしいというのは私の我が儘だ。責められなじられ否定されることで、私のしたことが無かったことにはならないけども、そうすれば少しは気持ちが軽くなるとそう思っていた。
「ここは?」
オルトが傷口に手を当てながら体を起こした。
言葉を失う私の頭を安心させるように撫でると、周囲を見渡したオルトがロニー君を見つけて聞いた。
「ルーデンハイムにあるグランデール子爵家の離れです」
「ルーデンハイム? というか、貴族の屋敷なのか」
「ええ、その、僕たちはあの場を離れて一旦エストリア領に向かっていたんですが、その途中でエズラ子爵の一行に出会ったんです。そのご存じだと思いますが、エズラ子爵はレムリアにある孤児院の経営者なんですが――」
「あの男か」
思い出した様子のオルトを見てロニー君が続ける。
「はい。オルトさんの顔色も悪かったですし、治療するには逃げながらよりもちゃんとした場所の方がいいからってアイカさんが交渉して匿ってもらってるところです」
「なるほどな」
オルトが淡々と状況だけを確認して、私が怪我をさせたことを無かったことにしようとしているのならいつまでも引きずるのはダメだなと思う。
ふぅっと息を吐いて私は顔を上げる。
「子爵はロニー君のことに気付いているみたいだけどね。とりあえずは大丈夫みたい。もちろん、その対価として片栗粉みたいな物を提供する必要があるんだけど」
「そういえば、その片栗粉って何なんです。すごいものなんですよね。わざわざルーデンハイムにまで商談に来るってことは」
わくわくと好奇心たっぷり目を輝かせてロニー君が聞いてきた。
「食材なのかな。何ていったらいいんだろうね。料理に使うもので調味料ではないけど、いろんな料理に使えるんだよね。それの作り方を子爵に教えたの。ここでお世話になってれば口にする機会もあると思うよ」
「へえ、ちょっと楽しみです」
「うん。でも、問題はそれと同等の価値のあるものを提供することなんだよね」
「ええええ。自信満々に言ってたじゃないですか」
「なんだ。またブラフだったのか」
「またって何よ、またって。でも、あの場を気に抜けるにはそれしかなかったんだからしょうがないでしょ。別にアイデアがないわけじゃないの。ただ、そんなに簡単には作れないと思うからね。って、そういえばロニー君にもう一度聞きたかったんだけど、貴族が食べてるパンって本当に柔らかいの?」
「そうですね。堅くはないです」
うーん。やっぱりそうなのか。
「ちなみにモチモチしている?」
「モチモチって何です?」
あ、そっちか。
そりゃそうだよね。米がないし、お餅がないのにモチモチなんて表現あり得ないか。
「弾力があるって感じかな」
「それはないですね。でも、作り方なら子爵の料理人の方に聞いたらわかるんじゃないですか」
「ああ、そっか。そうね。それが一番か」
「でも化粧品を作るって話じゃなかったんです」
「あー、そっちは結構難しいんだよね。とりあえずあの場を抜けるために口にしたけど、出来れば他ので手を打ちたい」
何となく作り方はわかるけど、確実じゃないし試行錯誤が必要になるから時間が掛かるのだ。他にも売れるネタはあるんだろうけど、何かきっかけがないと「これだ!」って閃かない。
私はべつに天才じゃないし、地球さんの知識を輸入してるだけだもの。
「相変わらず危ない橋を渡ってるな」
「だって、あんなタイミングで子爵に会うとか思ってないからね。素通りしてくればいいのに足を止めるし。切り抜けるの大変だったんだから」
我ながら無茶をしたと思う。
一歩間違えれば全員捕縛されて終了だっただろう。何となく恥ずかしさに顔を逸らした私はテーブルの上に乗っている水差しに気がついた。私たちを部屋に案内してすぐにメイドが持ってきてくれたのだ。
「水飲む?」
返事も待たずに水差しからグラスに注いでそれぞれに渡す。
「でも、お蔭で助かったので僕としては言うことありません。ここなら安全ですし」
「でもルーデンハイムの中だよ」
「その辺は大丈夫ですよ。グランデール子爵邸内ですけど、離れをエズラ子爵が借り切っている以上は一時的にここはエストリア領内のような扱いになるので」
「ってことは、強制捜査みたいなこともできないってこと」
「はい」
外国にある大使館とかと同じで治外法権が成立するってことか。何も知らなかったけど、これは結構すごい事かも。問題は屋敷を出て街を離れるときくらいか。うーん。となると、何か手を打っておく必要もあるかもね。
「エズラ子爵の気が変わらない間は大丈夫ということか」
「そのためにも何かアイデア出さないとだなぁ」
「アイカさんならきっと大丈夫ですよ。それより一ついいですか」
「うん。その絶対的な信頼がどこから来たのか気になるけど、どうかした?」
「そろそろお二人の事情を教えてください。あの妖獣を操っていた男と何かあるんですよね」
ついに来たかと、私はオルトと目を合わせた。