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交渉

「何?」


 片眉をあげて面白がるような仕草で子爵が見下ろしてくる。めちゃくちゃ圧がすごいんだけど。あれ、子爵ってこんな感じだったっけ。


「旦那様、このような戯言をお聞きする必要はないかと思います」


 トークスとか呼ばれていた人が私を睨みつけながら諭すように言う。周りは兵士に囲まれているし恐怖も感じる。


「平民風情が何を申しているのか。わかっていないのですよ。領地をあげる。一体何様のつもりなのか。ささ、このようなものは放っておいて街に向かいましょう」

「そうだな。お前はいつからそのような大層な立場になったのだ」


 私に向かって言いながらも子爵の視線がほんの一瞬だけロニー君のほうに注がれた。これで確定した。

 目立つ銀髪もなければ、顔を上げていても帽子の鍔で顔ははっきりとは見えてないと思うけど、子爵は気付いている。気付いていながら指摘しない理由はわからない。でも、捕えようとしないのは何か考えがあってのことだと思う。それが私に価値を感じてくれているのなら希望はある。


「もちろん、私はただの平民ですので子爵様に領地を与えたり陞爵させるような力はございません。ですが、子爵様はご存じかと思いますが、私はいくらかユニークな知識を持っています。その知識でもって子爵様のお力になることが出来るかと」

「なるほど」

「なるほどではありません、旦那様。このような小娘に何ができると」

「少し黙っていろ」


 もう少しトークスさんに優しくしてあげて。こっちに向けられた視線がすごく暗い。カグフニの狂気に満ちた目とまでは言わないけど、それに通じるものを感じる。


「私の存在に気がついた時、ほんのわずかに嬉しそうな顔をしたのは私を利用できるかもしれないと思われたのではありませんか」

「否定はできんな」


 もしかして最初から気付いていた? 赤髪のウィッグをかぶってるから気付かれる可能性はないと思っていたけど。


「ガルーに人を抱えさせた一行が街から離れていく。随分と怪しい一団だと先頭の騎士より報告を受けてな。まあ、相手にするまでもないと思ったが、足を止めて正解だったらしい」


 こっちとしては通り過ぎてもらったほうがよかったんだけど、この最悪の遭遇を良縁にかえるなら子爵を利用するしかない。だってオルトの治療はやっぱり一刻も争うもの。


「その判断が正解だと言われると幸いです。そうですね。提供できるものはいくつかあるのですが、柔らかいパンのレシピなどいかがでしょう」

「パン? 普通のパンとどう違う」

「え?」


 柔らかいパンを普通って言った?

 こっちのパンって全部カッチカチじゃないの? 貴族は柔らかパン食べてるの。


「少々お待ちください――ねえ、ロニー君。貴族のパンってふわふわしてるの?」

「ふわふわというのはよくわからないですけど、宿で食べた堅いパンとはまるで違います」

「マジか!! 何で出来てるかわかる?」

「ごめんなさい。そこまでは……」

「だ、だよね」


 不味った?

 いや、でも、そんな事ってある?

 ドライフルーツは街で普通に買えた。庶民じゃ買えないほど高額だったわけじゃない。そもそも、冷蔵庫とか保存の方法がないからこそドライフルーツは一般的なものだ。レシピが存在するなら貴族だけでなく平民に流れていてもおかしくないと思う。

 何が問題だろう。庶民は時間がないなかで家事をするから、発酵させたりする時間がとれないのだろうか。あるいは保存の問題か。その日食べるものだけを作るのなら保存も考えなくていいと思うけど……いや、でも、パン屋もあるけど発酵パンなんか見た覚えがない。

 でも、あるってことだよね。


 考えろ、私。

 パン以外にも私の脳内には100万のレシピが残っているはず。

 って、そうじゃない。別に食べ物のレシピにこだわる必要はどこにもないのだ。

 この世界に召喚されて不便に感じたことは五万とあるけど、最初のころ一番辛かったのはまともなシャンプーやトリートメントがないことだ。

 お風呂に毎日入れないのも辛いけど、身体を拭いていればどうにかべたつきは抑えることは出来た。でも、トリートメントがないせいで髪の毛がギスギスしてしょうがなかった。いまは土の精霊術で髪の毛を活性化させてマシになっているけど、それでも日本にいたころとは比べるまでもない。

 ああ、考えただけで日本に帰りたくなってきた。


「どうした? 何もないのか」

「いえいえ、そんなことはありません」


 異世界チート物みたいな思考加速が出来ないから、黙り込んだ私を見て子爵が痺れを切らしたらしい。トークスに至ってはアイデアの出てこない私を見て嬉しそうに笑みを浮かべている。心配そうにこちらを見上げるロニー君に力強くうなずき返す。


「何をお渡ししようかと考えていただけです。溢れるほどのアイデアがあったので」

「ほう、それで」

「食べ物ではありませんが、きっと子爵様のお気に召すこと間違いないかと」

「貴様、はっきり言えばどうなのだ。そう言って煙に巻こうとしているのではないか」


 黙っていろと言われたはずのトークスが息を吹き返した。ちょっとウザい。子爵も同じような目を向けてるね。メルべさんとはもう少しフレンドリーだったのになんでだろう。


「そんなことはございません。ですが具体的におっしゃっても、一般的に普及していないものを口にしたところで理解していただけるか……」

「そんなものに価値を見出せと」

「ええ、片栗粉とは比較にならない富が約束できるかと」

「ほう」

「世の中の半分は女性です。その女性がこぞって欲しくなるもの。しかも、消耗品となれば継続的な販売も見込めます」

「化粧品の類か?」

「はい」


 子爵の目が遠くに流れる。身近な女性を思い浮かべているのだろうか。子爵って結婚してるよね。いい年齢だし。

 それほど長い時間じゃないけども、黙っている時間は長く感じる。片栗粉の時と違って目の前に商品があるわけじゃない。

 価値を見出すとしたら私の可能性ってことだと思う。後はロニー君の正体だよね。公子を誘拐犯から救ったとなれば子爵の評価は上がると思うから、私から何も利益が得られなくても最悪その道もあると考えるならこちらにも猶予はある。

 リスキーなのは否定できないけど。

 重苦しい空気が流れる中、子爵が口を開く。


「対価は」

「二つ。一つは怪我人の治療を。もう一つは私たちを匿っていただきたいのです」

「はは、語るに落ちたな。やはりこいつらは後ろ暗い連中です。旦那様、このような連中の話を聞く必要などございません。それよりも捕縛して警備にでも引き渡しましょう」

「貴様は黙ってろと言ったはずだ」


 やれやれとため息とともに吐き出された言葉に、秘書の顔が再び火山の噴火のように真っ赤になる。

 これはもう賭けだ。

 治療を頼む以上、子爵について行くしかない。でも、それはルーデンハイムの街について行くことに他ならない。でも、街に入るだけじゃダメなのだ。匿ってもらえなければ意味がない。


「私たちは犯罪者ではありません。もっとも仮にそうだとして子爵様は気にされますか?」

「……」


 返事に間が開いた。

 子爵の目が鋭く刺さる。子爵の中で天秤が揺れ動いているのかもしれない。犯罪者かも知れない私たちを匿うリスクと、得られる利益。

 そしてもしもの時の保険としてロニー君。


「良かろう。後ろの馬車に乗れ。私の馬車なら中を改められることはない」

「旦那様!!」


 身をひるがえして馬車へと戻る子爵の後を秘書が追いかける。


「ロニー君、ごめんね。勝手に決めちゃって」

「はぁ、いろいろと聞きたいことはありますが、どうしようもないですね。エズラ子爵は僕のことに気付いているようですし、それにオルトさんの治療ができるのは大きいです」

「ごめん」

「気にしないで下さい」


 大人っぽい事をいうロニー君を伴って、私たちは子爵に言われた通り後ろの馬車に乗り込んでいった。

 っていうか、子爵の名前を初めて知ったよ。

 ん、つまり面識があったってこと?

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