気付かれているッぽい
顔を上げて目が会うと、私と同様に子爵が驚いた顔を見せた。
一瞬、赤髪のウィッグで分からなかったようだけど、残念ながらすぐに気がついたらしい。
「お前か……。妙な連中がルーデンハイムから向かってくると聞いた時は素通りしようと思ったが……」
子爵の目が私からロニー君へと移る。
貴族のつながりがどこまで伸びているか分からないけど、少なくともロニー君は子爵の顔を知らないように見える。彼の記憶力なら間違いないだろう。どちらかというと子爵の顔よりも発言のほうに引っかかりを覚えたようだ。「知り合いなの」と視線で語り掛けてくる。
私が無言で小さくうなずいて子爵に視線を戻せば、大して表情の変化は感じられないが僅かに眉が動いたような気がした。
「奇遇だな。こんなところで会えるとは思えなかった」
少しうれしそうな顔をしているが、それはどっちの意味だろうか。
舞台役者のように両手を広げて、偶然の再会?への驚きと嬉しさを表現する子爵と違って私に芽生えた感情は「めんどうな」の一言に尽きたのだけど、そんなことは出来る限り心の奥底に仕舞い込んで笑顔を見せる。
「これは子爵様。おはようございます。子爵様のような高貴なお方にまたお会いできるとは恐悦至極にございます。早朝からこのような機会に恵まれるとは、とてもいい一日が始まりそうな予感がいたします」
「くく、微塵もそのようなことは思ってないだろうに相も変わらず口の回る女だな」
あれ、嫌味は抑えてつもりだったのに。
ロニー君が震えてるし、いや、これは笑いをこらえているのか。波風立てないように頑張っているのに、なぜに?
「確かお前の連れはそこの男だけだと思っていたが、いつのまにやら貴重なガルーを手に入れているようだし、子供の連れもいたとはな。孤児院から一人引き取ったのか」
「いえ、あの孤児院の子ではなくルーデンハイムで知り合いになった子供です。ガルーの方はたまたまそういう機会に恵まれまして――」
「たまたまか。たまたま手に入るような代物ではないが、お前ならそういうこともあるのか。で、その男はどうしたのだ。怪我をしたのか」
さて、どうしたものか。
治療をしたといってもオルトの服には血はべっとり付いているし、真っ赤な血糊はカンちゃんに負ぶさっていても見えてしまっている。
困った。
非常に困った。
そういう時は話を逸らすに限る。
「そうですね。ところでメルべさんはいらっしゃらないのですか」
「メルべか。あれにはレムリアの方で色々と動いてもらっている。その間に私一人でルーデンハイムにな」
これだけの人をぞろぞろ連れていても「一人」なんだ。思わず吹き出しそうになるから止めてほしい。
「それはもしかして片栗粉ですか」
「貴様がなぜそれを知っている!!」
「トークスは少し下がってろ。ああ。あの後、原料を集めて試作品を大量に用意した。ルーデンハイムはいまゴレイク討伐で各地から人が集まっているし、この機会に商談をまとめてしまおうと思ってな」
メルべじゃない秘書っぽい人が止めようとするけど、それを子爵が黙らせた。
レムリアも国境近くの街で人の多いところだったけど、時期的なこともあってルーデンハイムにも人は集まっていた。それが常態でなく一時的なものであれば、機を逃さないようにするのは商人として正しい。
子爵って商人じゃなくて貴族なんだけどね。
「私自ら動くのがそんなに意外か?」
思いきり顔に出てたみたい。私の表情の変化を目聡くとらえて子爵が言った。
「まあ、お前にはわからんだろう。エストリア領内のことであれば問題ないが、こうして他領であるイーレンハイツ内で動くのであれば私自らお伺いを立てなければ何を言われるのかわからんからな」
エストリア領に属する子爵の部下がイーレンハイツ領内で何かをすれば、例えばスパイ行為みたいなものと誤認される恐れがあるってことか。同じマランドン王国でスパイも何もないのにね。まあ、話を聞く限りこの国って合衆国とか連邦王国に近い形態だよね。
ああ、貴族って本当にめんどくさい。
それでも取引そのものを自らまとめるというのは意外だけど、以前あったときもどこかの街の養蚕に資金を回すとかそういう話をしていたっけ。
貴族=政治家って考えていたけど、ちょっと違うのかな。領地を持たない貴族だと、税収がないから事業をやらないと色々厳しいのかもしれない。
「そういうものなのですね。それにしても随分早い到着じゃありませんか。まだ昼にもなっていませんよ。そんなに慌てなくても商人たちも逃げないのではないでしょうか」
「ああ。何も急いでいたのは商売のためではない。ルーデンハイムの街で騒動が起きていると聞いてな、少し旅路を急いでいた。お前たちこそ、そのあたりのことに詳しいんじゃないのか」
「えーと、なぜ、そう思うのでしょうか」
「ルーデンハイムの方から来たお前たちが知らない理由がないと思うが」
ですよね。
分かってるけど、そこは追及してほしくなかったな。
だいたい、なんで騒動が起きてる街に急いでくるかな。どうやって情報を得たのか知らないけど、ゲナハドのことも知ってるなら普通こんな人数で移動しないわよね。
ん、つまり、詳しいことは知らないってこと。
だったら私も知らないふりをするか。
「私も詳しいことは何も」
「それはおかしくないか? ルーデンハイムの方から来たのに何が起きているか知らないと」
「それは、えーと、こういうことです。私達は別の街からルーデンハイムを目指してきたのです。ですが、ルーデンハイムの街は閉鎖されていて中に入ることができなかったのです。怪我人もいるので入れてくれとお願いしたのですが、理由も教えていただけなかったですし……」
「なるほど」
目がまるで信じてないんですけど。しかも、なんでロニー君の方を見る? やっぱり何かに気がついてる。子爵が手に入れた情報ってロニー君誘拐とかそっちの方だけってことなのかな。
「ならば私らと一緒に街に入るか? 子爵である私を止めることは出来んだろう」
「それは……」
どうする。
どうするのが正解?
たぶん、子爵なら街には入れる。っていうか、そもそも街は閉じてるけど、それは私たちを逃がさないためで、外からの入場は止めてなかったはず。ゲナハドがいるかもしれないのに、街にやってきた商人を追い返すはずがないもの。
つまりに街に入れなかったという私の嘘はバレる可能性が高い。
子爵とはここで離れるのが正解だと思う。というか、そもそも手を尽くして逃げ出した街にまた戻るとかありえない。
だけど……。
私はカンちゃんの背中にのったオルトを見上げた。
子爵と一緒ならオルトの治療は出来る。
私のせいで怪我を負ったオルト。
カンちゃんがいれば多少の鬼獣は大丈夫だって言ったけど、それだって絶対じゃない。ロニー君もいるけど怪我人だ。本当だったらもうしばらく安静にしてなきゃいけないくらいなのだ。
覚悟を決めろ、私。
戦う力のない私にできるのは、元の世界の知識と多少よく回る口だけだ。
ロニー君、ごめん。
聞こえるかどうか、囁きかけるように口にすると改めて子爵と目を合わせた。
「子爵様、お願いがございます」
「なんだ。言ってみろ」
口角をあげ、まるで獲物を見定めるような目で子爵が笑った。私はそんな子爵に向かって挑むように鋭い視線を返して応える。
「子爵様。領地は欲しくありませんか」