賢人会議(1)
世界のどこか。
大きな円卓に8人の男女が腰掛けていた。
部屋は薄暗く、お互いの姿がギリギリ認識できるかどうかと言う程度の明かりしか灯されていなかった。この部屋は特別な場所の特別な環境にあるため、盗聴などによる第三者への情報漏洩の心配は考えられなかった。
なにしろ、ここに集まった人々はこの世界において各団体のトップとも言うべき者たちで、一堂に集まって会議をしているという事実は決して表にできないものだった。表向きは対立していたはずの連中が隣の席に座っていたりするのだから。
「これで何度目や!?」
不機嫌さを隠そうともせずに、一人の男が口を開く。
年齢も性別もバラバラの8人だが、この議場の中ではお互いの身分に優劣は無いことになっている。それゆえのフランクな言葉遣い。
それでも年長のものはその言葉に眉根を寄せていたのだが。
「6回目かと」
「かー、6回もやられて尻尾すら掴めんとは、お前んところの追跡隊はなにやっとんのや?」
「くっ」
一人の男が額に汗をにじませながら言葉を詰まらせる。起きている事態の責が誰にあるのかは明らかで返せる言葉は何一つ無かったのだから。
「し、しかし、今度の件でアルバートがどこで儀式を行っていたかはわかったかと」
「アンダートの森の奥でしたか」
「けど、それも所詮は過去のことやないか。すでにそこは発ったんやろ。隠れ里のような村は崩壊した以上、そこに戻ってくる見込みもないときた」
「ええ、まあ」
「聞けば毎回同じ場所で儀式をやっとったっちゅう話やないか。それで何で捕まえられんかったんや。だいたい、お前んところが――」
「そこまでにしないか。彼を責めたところで意味がないことくらい君にもわかるだろ」
「ワシの留飲は下がるんやがな」
「話を進めましょう。それで結界のほころびの方は」
ケンカ腰の男とこれ以上言葉を交わしても無駄だとばかりに仲裁に入った男が、二人いる女性の一人に話を振った。世界を動かす権力者たちの中では若い方に分類されるだろうその女性はちらりと言葉遣いの悪い男が口をつぐんだのを見て落ち着いた声で応える。
「すでに塞いだとの連絡を受けています」
「被害は?」
「5尾が入り込んだと聞いてますが、詳しくは卿に聞いていただけますか」
「5尾だと!?」
驚きの声をあげるとともに、卿と呼ばれた老人へと視線が集まる。老人とは言ってもこの場で最年長という程度の意味合いしかなく、瞳に宿る眼光はむしろ一番鋭いくらいである。
「街が一つ壊滅した」
「なんと」
「その妖獣は?」
「すでに討伐済みだが、騎士団にも大きな被害を受けておる」
「くそっ、何だってそんな化け物の侵入を許した」
「無茶を言わないでくださいな。ほころびを見つけるのに10日も要したのですから」
男の文句を涼し気な表情で受け流す女性と対照的に顔をしかめる他の7人。結界に穴が開いたまま10日間も放置されていたという事の意味を理解していないものはこの場にはいなかった。
5尾の妖獣の侵入がそれを物語っているのだが、果たしてそれだけなのか? そういう疑問が彼らの中に抜けない棘となり突き刺さる。
「しかし、アンダートの森ってのはマランドン王国の南東なんだよな。何だって卿の領地に穴が開く?」
「今までもそれは同じだろう。穴の開く場所が決まっているのなら場所の特定にこれほどの時間を要すはずもなかろう」
「その通りです。結界が張られて数百年。アルバートの仕業以外にも我々はほころびの修復を続けてきましたが、結界のすべての場所で強度が同じというわけではないようなのです」
「つまり脆いところから影響を受けていると」
「可能性の話ですが」
「だったら脆いところを事前に察知していれば亀裂もすぐに修復できるのでは」
「おいおい、穴が開くことを前提に動いてどうする。穴を空けられぬようにアルバートを捕捉すればいい話だろうが」
「ええ、私もそう思います。正直、我々にできる修復では結界の劣化そのものを止めることができないのです。例えていうのなら穴の周囲の結界を引き延ばして無理矢理塞いでいるような状態で、亀裂そのものを塞いでいても強度は弱くなっているのです」
「つまり結界を壁と見立てるなら、その壁はどんどん薄くなっていると」
「そう考えていただいて問題ないかと」
問題ないかと、という言葉とは裏腹に問題の大きさに議場の面々の視線が鋭くなる。
「正直申し上げますと、通常のほころびだけでも後100年持つかどうか」
「それは本当か」
ガタンと一人の男が椅子を鳴らして立ち上がる。その言葉を受ける女性は相も変わらず涼し気な空気は変わらない。事実は事実として受け入れている。そんな風にも見て取れるが、周囲の者たちからすれば追いつき過ぎた態度に思うところがないわけだはなかった。
「嘘であればよいのですがね。もちろん、我々とてただ手を拱いているわけではありません。結界の強度をあげる方法の模索を続けております。ただ、アルバートによる干渉がこれ以上続くと……」
「だそうだが、どうなんだ? アンダートの森の後のヤツの動きはどうなっている?」
再び汗を流す男へと皆の注目が集まった。
額から溢れる様にして出てくる汗を必死にハンカチで拭っているが、それは一向に尽きる気配はなかった。
「そ、それが、どうにも解せぬのです。あの男は神出鬼没でして、ある街にいたと思えば、全く離れた別の場所にいたりと」
「まさか界渡りだけでなく、空渡りの技術まで使ってると?」
界渡りとは異なる世界間の移動を意味して、空渡りは同じ世界の中で空間を繋いだ移動を意味している。似たような現象であるが、その実態は大きく異なる。それを理解しているだけに、この場に集まる者たちに広がる衝撃は大きい。
「馬鹿な!! あの男が盗んだのは召喚術に関する禁書のみであろう」
「だが源流は同じ」
「かもしれん。かもしれんがそれが可能だと?」
別々の空間を繋ぐという意味において二つは確かに同じような技術である。だが、禁術とされているそれらを研究しているものは現代にはなく、それに関する知識を持つものは存在しない。この場に集まる8人だけは大陸の人間の中では禁術に関する知識を持つが、それでも方法にまでは精通していない。
そんな彼らよりも知識を隠された時代に生まれたものが一つの技術書を読んだだけで、応用を利かせることができるはずはなかった。そもそも界渡りと空渡では自転車とモーターバイクくらいに違いがある。どちらも二輪という乗り物の一つだが根本的に異なるのだ。
確かに界渡りの方が技術としては上であるのだが。
「それもまた我々が話をしていても無駄であろう。可能性の一つとしてアルバートが空渡りを出来るかもしれんという前提で捕捉に動くべきでは」
「おいおい、空渡りをする人間をどうやって捕まえる」
「それに関してはおたくならどうにかできるのでは」
そう言って話を振られたのは結界のほころびに関して話をしていた女性。
「確かに結界術も時空間に関する術式の一つですが、空渡りとはまるで関係はありませんよ」
「だが、結界のほころびを見つけられるのなら空間への干渉も把握できるのでは?」
「……」
女性の中でいろんな考えが巡る。ただでさえ結界の管理という、言い換えれば世界を守るという巨大な責任を負っている中でさらに無茶苦茶な仕事を振られようとしているのだから返答に困るのは無理もなかった。
しかし、アルバートを捕まえるということが、すなわち世界を守ることと同義だとすれば結界の管理の延長線上の仕事と言えなくもないと無理矢理に自分に言い聞かせる。
「出来なくはわりませんわね。ですが、ただでさえ私の所の術者は限界に近い仕事をしているのです、そちらから人を回していただけませんか?」
「そういうことなら仕方ないですな」
女性の結論と同じようなことが壮年の男性の中で帰結する。表向きは敵対しているとまでは言えなくても相反する宗教組織である二つなのに、そういう空気をおくびにも出さずにあっさりと頷いて見せた。
「とはいえ、人選に少々お時間を頂いても。そちらが必要とする人間というのはこちらとしても派遣しずらいものですので」
「ええ、構いませんわ」
至極当然という風に肯いて見せる。
世界の根幹にかかわるほどの術者というのはすなわち相応のマナを操れるものを意味する。それらは当然のことながら、各組織内において高い地位を占めているのだから。
「そうやな。ワシんところからも人を出してもいい。アルバートに次を起こさせるわけにもいかんちゅう話やし、それやったわワシの所の人間は追跡部隊に入れさせてもらおうか」
「しかし…」
「しかしもかかしもあるか。もう、秘密裏に動いとる時期やない。本腰入れて捕まえんと洒落にならんで」
「そうですな。ここは彼の所の人間を受け入れたほうがいいのでは。もちろん、我々のところでも情報は集めましょう」
「わ、わかりました」
額の汗を拭いながら男は応える。
この場にいる男のこんな姿を見れば、普段の彼を知る人間は驚くことだろう。本来は大国を率いる立場なのだから。だがそういう立場であるにもかかわらず、アルバートに禁書を盗まれたという事実が彼の腰を驚くほど低くさせていた。
その後も細かい段取りを話して、どことも知れぬ場所で行われた会議は誰に知られることもなく幕を閉じた。
それと同時に世界のどこかでは新たな舞台の幕が開かれていた。
いつも拙作をご覧いただきありがとうございます。
3章は前回の話で完結ということになります。
閑話をいれて引き続き第4章を……と思っていたのですが、最近執筆の時間がとれず3割ほどしか仕上がっていません。
そういうわけで、4章が書きあがるまで休載したいと思います。
こんな作品でも楽しみにしてくださっている方には申し訳ありませんが、しばらくお待ちくださいませ。