脱出の手配
朝っぱらから出たことを後悔した。
目的地は酒場であり、前回昼過ぎに訪ねて店が開いてたことの方が奇跡に近かったのかもしれない。昼から開いている酒場もないわけではないが、朝から開いている酒場は流石にないらしい。
じっとしていても始まらないので、周囲を見渡し空気の淀んだ方を目指す。
大きな街であればスラム化している場所もある。犯罪者が屯する場所も自ずとそういうところになるわけだ。
アルバートも犯罪者である以上は、そういうところを根城にしている可能性があると踏んでスラムを重点的に回っていた時期もある。実際、それで手掛かりを得たこともあった。
だから、スラムの方角が感覚でわかる。
スラムの連中というのはどういうわけか仲間意識が強く、よそ者に対して当りが強いのだ。もっとも、お金であっさり口を割るのも事実なのだが、平気で嘘も付く。自分で言うのもなんだが、俺は騙されやすいらしい。
それがわかってからはお金で情報を得るのを止めるようになったのだが、アイカに言われて思い直すようになった。というより、むしろ表の世界はそれが正解だったのかもしれない。
路上に座り込んでいたり、眠り込んでいる人がちらほらと目につくようになってきた。酒瓶を抱きかかえ、薄汚れた服をしている彼らからは饐えた匂いが漂っていた。
路地に街兵が入ってくることもあるだろうに、街兵が虱潰しに街を探しているというのに彼らはあり方は何も変わらない。
この中からあの時、酒場であった男を見つけるというのは流石に無理があるかなと思う。スラムもそれなりの規模があるのだから。
街の外へ抜ける裏ルートがわかればいいので、何もこの間の男にこだわる必要もないだろうと考えを切り替えたところでちょうど、先日の男を発見した。
「おい、寝てるところ済まないな」
ぼろのコートを布団代わりに羽織って、地べたに横たわる男に声を掛ける。肩を叩いて起こそうとするも、男はむにゃむにゃと夢の住人であることを満喫しているらしい。
仕方ないのでもう少し強めに叩いたところで、飛び退くようにして立ち上がった。あたりをキョロキョロと視線を動かし、俺を見て一瞬怪訝な顔をしたもののしばらくして記憶がよみがえってきたようだ。
「この前の……」
「また、エールでも奢ってやりたいんだが時間はあるか?」
「あ、ああ。そうだな。だが、いまの時間なら……ミームの所にするか。よし、ついてこい」
こんな時間でもやっている酒場があるということだろう。寝起きのわりにしっかりした足取りでミームとやらのところへ案内される。この前の酒場も裏路地の薄暗い場所にあったが、今度の店はスラムのさらに奥のようで、道に座り込んでいる連中の数も増えてきている。
そもそも、先の酒場はユリウスで出会った商人が教えてくれた場所なのだ。スラムの一部とはいえ入り口に近いところだったのだろう。
まるで明けることのない夜のように暗い路地を突き進む。
遠目に詰問している街兵の姿も視認できたが、気付かれないように知らない顔をする。
浮浪者のたまり場というのは基本的に悪臭を放っている。
彼ら自身が身体を洗わないこともそうだが、食べ物のカスや場合によっては糞尿の類もあるからだ。街のトップが定期的にテコ入れをしていても完全に浄化することはできないのだ。
いくら身を隠すためとはいえ、こんな場所にはロニトリッセ様はおろかアイカも連れてくることはできない。
あの状況ですぐ近くの宿に身の隠し場所を決めたアイカは天才的だと言える。追跡者も予想できないだろう。
「ここだ。頭を低くして入りな。――俺だ。開けてくれ」
かがんで入らなければならないような、扉というよりも窓から侵入するような入り口を潜って中に入れば、まだ午前中だというのにかなりの人が酒に飲まれていた。ほとんどの連中は、こちらには見向きもしなかったが、中には剣呑な鋭い目つきを向けてくるものもいた。
まずはと、案内してくれた男にエールを一杯振舞った。
「で、旦那のような人間が、ここに何のようだい?」
「いま、街の入り口が封鎖されていることは知っているだろう」
「公爵様のところの子供が誘拐されたって話だよな」
「あ、ああ、そうだな」
わかっていたことだが、改めて誘拐と言われると釈然としない気持ちになる。
「ったく、迷惑な話だよな。ゴレイクの討伐のほうは大丈夫なんだろうな」
「それは問題ないと思うが……」
ここに来る前に門にも立ち寄って確認してみれば、領軍兵の通行は問題なかったが、一般人はおろか行商人も外に出るのを止められていた。つまり変装して乗合馬車を利用するという手段も使えそうにないということだ。
「俺が人探しをしていたのは知ってるだろ。手掛かりが掴めたんで、すぐにでも街の外に向かいたいんだが、どうにか出られるルートを知らないか」
「……なるほどな。それでここに来たのか」
「ああ」
まったくもってこういう時のアイカは頼りになる。どう話を持っていくべきかアドバイス通りにしてみれば、怪しまれた様子はなさそうだ。
「そうだな。まあ、知ってるやつを知らないわけでもないが……流石にエールの一杯ってわけにはいかないなぁ」
「ああ、二杯でも三杯でも好きなだけ奢ってやるさ」
「くくっ、旦那。こういうところでの振舞いに慣れてないよなぁ……まあ、だからこそ、旦那は回しもんじゃねぇと思うんだが……俺への情報料は大銀貨1枚でいいぜ。だが、そこから先は、旦那次第さ」
男が何を言っているのかはわからない。だが、信用されているようなので問題はないだろうと、懐から大銀貨を取り出すと男はにやりと口の端をゆがめて見せた。案内されるのがどこであれ、毒を食らわば皿までだ。
と、しかし案内も何もなかった。
男はついてこいというように顎をしゃくると店の奥へと案内した。昨日の夜から飲んでいるのか、テーブルの上に酒が入っていたと思われる容器がいくつも転がっていた。卓を囲んでいるのは3人だが、二人は夢の住人で唯一残っている男だけがつまみも食べずに酒を飲み続けていた。
飲んでいる男に耳打ちすると、初めてテーブルに近づいている俺に気がついたのか、顔をあげた。伸ばしっぱなしの緑髪の隙間から見える相貌は、空き瓶の数とは一致しないほどにしっかりしていた。
「帰りな。ここはあんたみたいなのが来るようなところじゃねえ」
響いてきたのが男性にしては高すぎる声に一瞬驚いた。服装から男と決めつけていたが、どうやら手引きをしてくれるのは女性だったらしい。
「ここじゃないと俺の用事は達せられそうにもないからな。とりあえず話だけでも聞いてほしい」
「何から逃げてる?」
「逃げるんじゃなくて追いかけている方なんだが」
「そうは見えねぇぜ」
追いかけているというのは100%の嘘というわけでもないのに、この女はどこかしら違和感を感じているのだろうか。あるいは単純に女の勘という奴かもしれない。
それは案外厄介なものだというのは経験から知っている。
「理由はどうだっていいだろ。俺は街の外に出たい。出来るのか、出来ないのか」
「ま、そりゃそうだな。オレは儲かればそれでいい。それで手引きが必要なのはアンタ一人か?」
「いや、連れがいる」
「手数料は1人小金貨2枚貰うぜ」
法外な値段に思わず顔が引きつった。1人2枚ということは3人で6枚になる。ガルー代は別になるのだろうか。いや、待てよ。そもそも一人いくらという計算は可笑しくないか。門番を買収するというのなら、何人通すにしても賄賂は一定額で済むだろう。余程の業突く張りでなければという注釈はいるだろうが。
それにいまは門番の数が多すぎて買収は難しいと思う。
となると、外壁のどこかに穴があると考えられる。
「払えねえのか?」
「いや、そうじゃない。ただ、どういう風に外まで案内してくれるんだ」
「アンタには関係ないだろ」
「あるさ。外壁の穴に案内してくれるなら、教えてもらったあとに仲間を連れてくれば済む話だ。それなら一人分で済む」
「はは、そういうことかい。まあ、そういう事を考える輩もいるさ、だから穴の場所は秘密。連れていくときには目隠しさせてもらうのさ。人数分必要なのは単純に”穴”の通行料だと思いな」
考えてるな。
そういう風にやられてしまえば、人数分支払うしかない。
「で、その穴っていうのはどういうものなんだ」
「それも秘密さ」
「そんなに警戒しないでくれ、ただサイズを知りたい」
「何だよ。アンタの連れはそんなにガタイがデカいのか」
「あー、そうだな、連れのひと……二人は女だが、もう一人というか人じゃないな。ガルーが一頭いる」
「!!? ガルーだと」
テーブルをガタンと鳴らして身を乗り出して女が顔を近づける。酒の匂いがしそうなのに、女から漂うのはプセンタの花の香。一瞬脳裏にソフィの顔が浮かんでくる。全く似ても似つかない女とソフィが結びついたことに、軽く舌打ちすると頭を振るって現実を見つめる。
「……そんなに驚くなよ」
「いや、驚くだろ。アレを連れてる奴なんてそうそう見ないからな。はは、アンタの全身から漂う抜き身の剣のような気配にも納得だな」
そんなにピリピリしていたつもりはないが、犯罪者の巣窟のような場所ということで少し気を張り過ぎていたのか。そんな気配に当てられたのか眠っていた二人も目を覚ましたようだった。
「で、通れるのか?」
「……いや、厳しいかもしれないな。穴は文字通り穴だからな。身をかがめる必要がある。いくら人間に飼いならされたガルーでも、それは無理だろ。ま、そういうわけで、オレにそのガルーを売らないか? 手引き代はタダでいいぜ」
「おいおい、タダじゃあこっちが大損じゃないか。悪いがガルーは売れないよ。というより、売れないな。特別なガルーで、俺の連れ以外の言うことは聞かないんだ」
さっき街門近くまで行ったついでに様子を見に行ったが、完全に知らない顔をされてしまった。アイカのお蔭で命拾いをしたせいで、あり得ないほどに懐いているが、アイカ以外の人間にはいまだ警戒心が強い。厩舎の人間はアイカが仲介することで事なきを得ているが、自由にはならないだろう。
「そうか、それは残念だな。まあいい、それで三人分で小金貨6枚。払えるのか」
「ガルーはどうする。それに穴が小さいんじゃなかったのか」
「街の外に出たいんだろ。ガルーが通れたら、ガルーの料金も貰うさ。通れなかったら買い取ってやる。悪くない条件だろ」
「……考えさせてくれ」
ガルーはアイカの連れだ。俺に決定権はないし、小金貨6枚は俺一人で決めていい額じゃない。
「まあ、いいさ。その気があれば、エルモとシャルテナ通りの角にいるバンズに声を掛けな。段取りをしてくれる」
「わかった」
宿に帰った俺はアイカとロニトリッセ様に事の次第を報告し、すぐに出発を決めた。アイカが昼食の買い出しと、カンちゃんの様子を見に行った時に家を個別訪問している街兵たちを見たらしい。俺たちに残された時間は少ないということのようだ。
懸念点はカンちゃんだが、アイカの言うことを聞くを信じるしかない。最悪、カンちゃんだけなら家の屋根伝いに外壁を超えれる可能性があると思う。




