急転
ルーデンハイムの街に戻るとそこは厳戒態勢が敷かれていた。俺を含めた狩人が盾となっていたが、それでも三尾の妖獣を相手にどこまで時間稼ぎできるとは限らない。
そんなわけで街兵の多くが街壁にあつまり、戦闘準備を整えていた。戦闘には高位の貴族らしい人の姿もあった。一応、妖獣が逃げ去ったことは報告したが、姿を見失った以上警戒は必要ということで物々しい雰囲気は変わらなかった。
すべての街兵が街壁に集まっているように感じたが、街中にも多くの街兵が歩いていた。騒動は街の入り口だけで終わりじゃなかったのだ。
街に逃げ込んだロニトリッセの一団が襲われたらしい。街の外で護衛のほとんどを失っていたロニトリッセというのは後ろ暗い連中からすれば格好の獲物となったそうだ。
誘拐して身代金を要求する。
あるいはただ身につけている貴金属を奪う。それだけでも一財産になるのは間違いないだろう。
「遅くなりそうだな」
宿に向かうための大通りにはいくつもの検問所や通行止めが設けられていて真っ直ぐに進めない
仕方なしに路地を抜けながら遠回りしていると、すっかり日も暮れてぽつぽつと街灯がともり始めていた。
次の角を曲がれば宿の裏に出るはずだと、路地を抜けたところで地面に座り込むロニトリッセとその護衛と遭遇した。ボロボロの状態でありながらも、剣を俺に向けロニトリッセを庇おうとする様は騎士の鏡とも言えよう。
俺は敵対の意思がないことを示すように両手を見える位置に広げて、近づくことなく声を掛ける。
「大丈夫か」
「……アンタか……一つ頼みがある」
息も絶え絶えという様子の護衛は、俺の顔を認識するとそんなことを言い始めた。状況を見れば助けてほしいというのは明らかなので是非もない。
「俺を信用していいのか」
「私はもう……ない。代わりに……ロニトリッセ様を……」
護衛に守られているロニトリッセの顔は土気色をしている。当りは薄暗く護衛の背に守られはっきりとは見えないが、どこからか出血しているのだろう。辛うじて息をようだがあまり時間はないのかもしれない。
「教会に連れていけばいいんだな」
「そうだ……すまない……」
「あんたはどうする」
「俺の……いい。それより……」
「わかった」
ロニトリッセを背中に担ぎあげれば、ぬるりとした感覚が広がった。失った血液はかなり多そうだ。呼吸も口の傍に耳を当てなければ聞こえないほどにか細い。
「待て……」
教会に向けて走りだそうとしたところで、護衛が声を掛けてきた。
「……街兵……気をつけろ」
「おい、それはどういう」
聞き返した俺の言葉は護衛の耳に届かなかった。力を失ったように身体は横に傾いていった。
街兵に気をつけろ?
街兵が味方だじゃないのか。
襲ってきた賊は街兵の服装をしていたということだろうか?
街兵がうろ付いている中、本物と偽物をどうやって区別しろと?
ロニトリッセを抱えている姿はただでさえ目立つというのに、街兵から姿を見られずに聖光教会まで向かえるか。全ての街兵が敵ということはないと思うが、どうしろっていうんだ。ロニトリッセの怪我は一刻も争うレベルだろう。
いや、手はあるのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うーん。今度はうまくいきそう。
瓶の中のシュワシュワしている果物を見てみると、天然酵母がいい感じに育ってきているのがわかる。
レムリアの街で仕込んだものは、ルーデンハイムについたころにはただの腐った液体になっていた。最初はよかったので、移動の環境に耐えられなかったのかもしれない。一番怪しいのはレムリアの宿の二階から飛び降りた衝撃か。
そんなわけで二回目に挑戦しているところなのだ。
今回は買い取ってくれそうなレストランの伝手も出来たし、売る場所にも困らない。
オルトの鬼獣討伐戦も後二日くらいあるらしいから、天然酵母の完成までちょうどいい時間だと思う。
折角だからクロワッサンでも作ってみようかな。
とりあえずはテーブルロールのようなものを教えつつ、クロワッサンもありだと思う。バターを大量に使うわけだし、高級志向のあのレストランにぴったりじゃないかな。主食としてはちょっとクドイかもしれないけども、それならあっさりした料理に合わせればいいわけだし工夫の仕方はいくらでもあると思う。
ドンドンドン――。
「開けてくれ」
迫ったような勢いで扉が叩かれる。声はオルトのものだけど、その声には鬼気迫るものがあった。それに私が着替え中じゃないかとか気を使ってノックはするけども「開けてくれ」といったことはなかった。
何かあったのかと立ち上がって扉を開けると、青白い顔をしたロニトリッセを背負うオルトが立っていた。
「なにがあったの――って、血?」
「ああ、俺のじゃないけどな。アイカ、ロニトリッセ様を治療できるか」
「ええええ!?」
状況がさっぱり呑み込めないけど、ロニトリッセの顔を見れば一刻の猶予もないのはわかる。っていうかこんな重症者の治療何て出来るわけないじゃない。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「わき腹を刺されてる。血は止まってるみたいだが、血を失い過ぎたみたいだ。どうしたらいい」
どうしたらいいって?
それはこっちのセリフよ。
どうしたらいいの。これかなり不味いわよね。今にも死にそうじゃない。
「と、とりあえず、ベッドに。それと温かいお湯と、えーと、それから、それから――」
「落ち着いてくれ。俺も無茶なことを頼んでいるのはわかってるんだ。ただ、聖光教会に運ぶよりここの方が近かった。カンちゃんを治しただろ。その力を使ってほしい」
「あ、ああ、そういうこと……ってマジで言ってる? いや、顔を見ればマジなのはわかるけど」
「頼む」
すごく真剣な顔で頭を下げてくる。
それがすごい無茶ぶりだってのはわかるけども、オルトにそういう顔をされたら断るなんてできない。それに全く知らない子じゃないしね。
オルトがベッドにロニトリッセを寝かして、お湯をもらいに階下に降りていった。傷口が見える様にと服を引きはがそうとするが、固まった血がこびりついていてはがれない。無理やりはがすことは出来るけど、それをしてしまうと傷が再び開くかもしれない。
「どうしよう……」
土の精霊術が生き物に作用することは間違いないけど、聖光教会の秘術に匹敵するほどの奇跡は起こせない。あくまでも生き物が本来持ちうる力を高める程度の話だと思う。
カンちゃんを助けたいとは思って精霊術を使ったけど、あれはあくまでも実験だった。助けたいという気持ちが嘘だったわけじゃないけど、ダメで元々くらいの軽い気持ちだった。
でも、ロニトリッセは人間だ。
失敗は許されない。
「ふぅ」
大きく息を吐いて気持ちを整える。
どうすればいい。
とりあえず服はそのままでいい。お湯をもらってオルトが戻ってきたら濡らしながら剥がそう。血が固まっているってことは、血小板とかは仕事をしているということだ。傷ついた細胞もあるかもだけど、いまは何よりも顔が青白い。それはつまり酸素が足りてないってこと。酸素が足りないのは血が足りないから。
輸血でも出来ればいいんだろうけど、それができないなら血を作ればいい。
血はどこで作られるんだっけか。
えーと、えーと、骨髄だ。
だったら、私が土の精霊術でマナで働きかけるのは、骨髄にある造血細胞に向けてでいいはずだ。骨髄は骨の中にあるから、なるべく太い骨に意識を集中させよう。それから赤血球たちに酸素をいっぱい運んでもらえるように働きかけてみる。
「うまくいって。お願い」
集中してロニトリッセの身体に手を置くと、明確な意思を込めながらマナを注ぎ込む。カンちゃんの怪我は結構な割合で回復したし、私のヘアケアや肌の艶なんかにも精霊術はすぐに結果を返してくれた。ロニトリッセの怪我は酷いけど、でも無理だとは思わない。精霊術は結果をしっかりイメージすることが重要なのだ。
だから、私が心の底から上手くいくことを想像できなかったら成功するわけがない。
私のマナに包まれたロニトリッセの身体が黄色く輝く。
どこからかドンちゃんが現れて、ロニトリッセの身体に降り立った。どうにもドンちゃんは私がマナを使うと姿を表すらしい。
オルトが部屋に戻ってきたのが視界の端に映る。
でも、いまは何よりも集中することが大事なので、治療に意識を集める。
どのくらいのマナを消費したのか、ロニトリッセの顔色がほんのりと朱を帯びてきた。確信なんてないけど、ここまで来ればきっと大丈夫だ。
私は自分の中のマナの残量を感じ取りながら、注ぎ込むマナに別の意志を送り込んだ。幹部の細胞の再生を促進させ、傷から入ってきた細菌で感染症を発症しないように抑え込む。
ロニトリッセの顔がピンクから赤くなってきた。
たぶん発熱しているのだ。
でも、これは細菌と戦うために白血球たちが活発に動けるようになっている状態なわけだから問題はないと思う。もしかしたら、火の精霊術が火を弱めることができるように入ってきている細菌に直接働きかけることができるかもしれないが、それはちょっと怖いので手を出さないでおく。それって下手したら人を直接弱めることもできるってことだもんね。
「これ以上は無理だと思う」
「ありがとう」
マナを大量に消費して疲れた私はロニトリッセとは別のベッドで横になる。私が休憩している間にオルトはロニトリッセの服を脱がせて、傷口の消毒をしていた。服をはがしたけど、再出血することはなかった。
傷がどこまで深いかわからない。表面はよくても内臓が傷ついている可能性だってあると思う。後は私の精霊術でどこまで出来たのか祈るしかなかった。