交渉前
公子に売るためのアイテムを手に貴族街に足を運んでいた。ルーデンハイムに来たらよく行くレストランといっても流石に毎日って事はないと思うけど、他に会える場所がない以上、そこから責める以外に道はないのだ。
問題は跡取りがいたとして、たくさんの護衛に守られている彼に大してどうやって商談の場に引っ張り出すかだね。
件のレストランの前には昨日見た屈強そうな兵士たちが周囲を取り囲んでいた。ネズミ一匹侵入は許さないと目を光らせている。
「流石は私。一日目で当りを引いたようね」
「……らしいな。それでどうするんだ」
「こっそり侵入なんて無理なのはわかっているから、まずは商人として話を持っていくしかないから、オルトに代筆してもらった手紙を兵士に頼んで取り次いでもらいましょう」
「しかし、あれで乗ってくると思うか」
「50/50って所じゃないかしら」
「アポなしで確率5割なら十分だろうな」
「かもね」
レストランの前までやってきた私たちは、兵士に手紙を渡して10分ほど待っていると取次の人が戻ってきた。40代くらいの渋めのおじさん。パリッとしたスーツみたいな服を着ていて執事って感じがする。
「ロニトリッセ=イーレンハイツ様がお会いするそうです。武器の携帯は認められませんので、こちらに預けてください」
言われるがままにオルトが兵士に剣とナイフを渡すと、簡単なボディチェックを受けて中に案内してもらう。ああ、もちろん、ボディチェックを受けたのはオルトだけで私は何もされてない。この世界には女性の傭兵や狩人もいるのに、要人警護としては甘くない?
それなりに気を引くような手紙にしたつもりだけど、まさか本当に話を聞いてもらえるとは思わなかった。オルトには50/50っていったけど、実際1割以下の賭けだと思っていたからね。
レストランの中は貴族や富裕層を相手にしているだけあって、ユルイスの男爵屋敷に負けず劣らずの贅沢な作りをしている。
成金趣味のゴテゴテとした装飾というわけではない。
床、壁、照明器具、テーブルや調度品の一つ一つが丁寧に仕上げられたことがわかる上品なもので構築されているのだ。
「この先にロニトリッセ様はいらっしゃいます……いますが、その前にまずこちらでお売りになりたい商品について見せていただけますか」
「そうしたいのはやまやまですが、私はイーレンハイツ公爵家との商売を考えているわけではありません。あくまでもロニトリッセ様に買っていただきたいものがあるだけなのです。ですので、直接お話させていただけないでしょうか」
「公爵家と取引のない一介の商人を公子であるロニトリッセ様に御目通しさせるはずがないでしょう。こうして私がお会いしているだけでもかなりの幸運だとご理解していただきたいのです」
「わかりました。では、改めまして商人のアイカと申します。こちらは私の護衛ですのでお気になさらずに」
「私はロニトリッセ様にお仕えしております、カグフニと申します」
互いに名乗りを終えたあと、席に座るように促されて丸テーブルを囲む形でカグフニと対面する。仕えているとは言ったけど、立場まではわからない。オルトは護衛という設定だから私の後ろに控えるようにして立っている。うん、なんかちょっと申し訳ない気持ちになる。交渉には関係ないから一人でもよかったけど、レムリアの件でもわかるようにいざとなればオルトは私を連れて逃げてくれるだろう。
貴族は敵じゃないけど、一歩間違えればどうなるかわからないからね。
気を引き締めて商談に挑むとしようか。
「では、早速ですが手紙に書かれていたアーティファクトですか、どういう経緯で入手したのかわかりませんがまずはそれを見せていただけますか」
「あ、それ嘘です」
「は?」
厳格な雰囲気のおじさまのキョトン顔というのも中々面白いから見続けたいけど、ここは隙を見せるときじゃない。
「使用者をありとあらゆる攻撃から守るアーティファクトなんかありませんって」
私が公爵家のご子息と会うために渡した手紙に書いたのは、一度きりだが装備者をあらゆる攻撃から守るというアーティファクト。
ちなみにアーティファクトっていうのは神話の時代の不思議アイテムのことらしい。例えばこの大陸を結界で守っている礎も一種のアーティファクトだそうで、現在の人知の叡智を超えた力を持つものを総称してアーティファクトというそうだ。
ロニトリッセ様はこれから初陣に挑む。99パーセントの安全が確保された戦いとはいえ、99パーセントは決して100パーセントではない。
戦場では何があるかわからないというのが、戦いに従事する者の共通認識だとオルトが教えてくれた。そんな中、ただの一度とはいえ使用者をあらゆる攻撃から守る魔法のアイテムがあるのなら、世継ぎの命を守るために入手を試みるだろうというのが私の出した答えだった。
もちろん、そんなものが実在するのか確認はするだろう。でも、確認のために会ってくれるのならそれだけで十分なのだ。
なにしろ、会うことこそが最難関なのだから。
「な、な、君は何を言っているのだ」
「《ロニトリッセ様!! 私はアイカと申します。本日はロニトリッセ様へ、商品をお持ちしました。鬼獣討伐を前にロニトリッセ様が感じている不安を解消できるものでございます。一度ご覧になってくださいませ》」
カグフニが動揺している間に、私はロニトリッセ本人に向かって大きな声をあげた。奥の部屋にいるというのであれば声は届く。直接の会話が許可されていないなんてことは関係ない。無視される可能性もあるけども、あの子の不安そうな顔は本物だった。
心に不安を抱えているときは、藁にでも縋りたくなるものだと思う。
「おい、二人をつまみ出せ」
調子を取り戻したカグフニが部屋の隅にいた護衛に指示を飛ばす。オルトなら余裕で勝てそうな気がするけど、さすがに手を出すのは不味い。護衛が動き出すと同時に私は両手を上に、無抵抗を表現しつつ立ち上がって一歩後ずさった。
オルトに目配せして部屋の外に向かおうとする。
そこに声が掛かる。
「いいでしょう。こちらに連れてきなさい」
声変わり前の子供の声が部屋の奥から聞こえてきた。声の軽さとは対照的な尊大な雰囲気。声が聞こえると同時に護衛が動きを止め、カグフニが表情を厳しくさせた。カグフニは奥の部屋へと舞い戻り、何やら揉めているのがわかる。しかし賭けに諮ったらしい。
「こちらへどうぞ。くれぐれも妙なことはなさりませぬように」
忠告だけを口にして私たちが案内されたのは大ホールで40ほどのテーブルが並んでいた。それでも使われているのは銀髪の美少年の座しているたった一つだけである。
他の貴族が相席しているわけでもなく、護衛や従者がいるとはいってもだだっ広い中に一人で食事をしているというのがさみしく見えた。
「女性の商人とは珍しいですね。どうぞ、そちらの席に」
「ありがとうございます」
6人が掛けられるような円形のテーブルの対角線上に腰を下した。ロニトリッセ様の前にはパンだけが置いてあるので、食事はこれから運ばれてくるのだろう。
「お食事の最中に大変申し訳ございません」
「構いませんよ。サーブされるまでには多少のゆとりはありますので」
つまり、サーブされるまでに話をしろとそういうことかしら。物語に出てくる貴族と同じように迂遠な物の言い方をしていると考えた方がいいのかもしれない。それにしても子供らしくない喋り方だ。
近くで見るとより一層際立つ整った顔立ちも、表情の所為で険しく見える。
「それでは早速商品の説明を、といきたいところですが、その前に確認させてほしいのですが、ロニトリッセ様はゴレイク討伐の指揮を行われるとのことですがお間違いないでしょうか」
「ええ、その予定です」
淀みなく応えてくる。
私の方が年上とかそういうアドバンテージは貴族のご子息を前にすればそんなものはないんだろう。一般人とは質の違う教育を受けてきているだろうし、大人とやり取りする機会も多いと思う。レムリアの孤児院の無邪気な子供たちと大して年齢は違わないというのに、全く違う生き物だと思えてくる。
「しかし、初めての指揮を前にいささか緊張や不安があるように見受けられます」
「ほう?」
片眉が上がった。
っていうか、本当に12歳なのかなこの子はというほどに迫力があるんですけど。それにロニトリッセってすごく言いにくい。名前を噛んだら処刑とかないでしょうね。
緊張を孕んだ交渉が始まった。