過去との再会
「お父さん……」
「どうかしたのか」
オルトが心配そうに私の顔をのぞき込んできたけど、発言に深い意味はなかった。別にお父さんのことを思い出して言葉が漏れたわけではない。
ただ、目の前の光景を見てそう思ったのだ。
「いや、大したことじゃないの。カンちゃんがくたびれた親父にしか見えなくて」
「なんだそりゃ」
こっちの世界には通じないのか。残念だよ。
カンガルーって肩肘を付きながらテレビを見ている休日の父親の姿にそっくり。休憩している私たちの傍でリラックスしてるカンちゃんがまさにそんな感じなのである。
足を延ばして横にだらりと寝転んで、上半身だけを起こしてこっちを見ながら途中で寄った村で購入した豆をぼりぼりむさぼっている姿は、スナック菓子に手を伸ばしている姿に酷似している。
っていうか、着ぐるみじゃないかとカバンを持たせるときに背中にチャックがないか真剣に探したほどである。
だって、カンちゃんビックリするくらいこっちのいうこと理解してくれるんだもん。
「カンちゃん、美味しい?」
「がるぅ」
そういうと、私の方に向かって豆の入った袋を出してくるところがなんとも可愛らしい。ただでさえ、目がくりくりしていて耳はぴんと立ってて可愛いのに仕草がまた堪らないのだ。昨日の夜は一緒に眠ったけど、毛も柔らかくてモフモフすると気持ちがいい。
「ふふ、大丈夫だよ。ありがとうね」
カンちゃんに買ってあげたのは生の大豆なので、人がそのまま食べるのは無理だ。カンちゃんは嬉しそうにぼりぼり音を立てて豆を食べている。連れていくと決めたはいいけど、カンちゃんのご飯をどうしようかとオルトに相談したら豆で十分だという話だった。身体が大きいわりに食べる量はそんなに多くないし、豆は安価なので助かるというものだ。
でも、豆だけじゃ栄養が偏るだろうからたまには他のご飯もあげようと思う。
「で、さっきからこっちを見てるけどどうしたの? もしかして私の関心がカンちゃんに移ったから嫉妬してる? 大丈夫だよ。オルトはモフモフ枠じゃなくてイケメン枠だからね」
「イケメ……何言ってるんだ。そろそろ行こうかと思って声を掛けるタイミングを計ってただけだ。日が暮れるまでにルーデンハイムに入りたいからな」
「ふふ、まあそういうことにしとこうか。カンちゃん、そろそろ行くよ」
「がるぅ」
カンちゃんはすくっと立ち上がると私に向かって背中を見せる。
流石のカンちゃんも自力でカバンを背負ったりはできないので私が補助してあげる。荷物を持ってもらったところで歩き出す。
この世界のガルーは不思議なことに人と同じようにてくてく歩く。
狩人ギルドで一度見ているとはいえ不思議なものだと思う。怪我も影響はないみたいだ。人と比べると動物というのは痛みに強く傷の治りも早いのだろう。
私が掛けている精霊術も影響していると思う。
オルトが協力してくれなかったから、カンちゃんで実験したけど体毛なんかにも精霊術を掛けてやると野生とは思えないほどに艶やかな毛並みに生まれ変わったのだ。もちろん、早速とばかりに自分の髪にも掛けたけどね。
この先お金に困ったら貴族のご婦人相手のヘッドスパなんてのもアリかもしれない。
そんなことを考えながら街道を歩いていく。
カンちゃんを連れて歩くようになって街道で数回人とすれ違ったけども、その度に好奇の目を向けられた。狩人としては憧れの荷役という話であるし、一般的にも価値の高さから羨望を受けることもあるという。それになによりも可愛いからね。
カンちゃんはすぐ横を歩きながら時々こっちに視線を送ってくる。どういう意図があるのかわからないけど、その顔が迷子の子犬みたいで可愛らしい。おっさん臭い仕草と、小動物のような愛くるしさという二律背反するような特徴を持つこれも一種のギャップ萌え何だろうか。
なーんて理屈をこねくり回さずとも可愛いの一言で済むけどね。
可愛さに方程式を当てはめようとするほうが無粋というものだ。
イケメンとの旅も悪くないけど、可愛いモフモフとの旅はもっといい。
休憩をはさんでしばらく歩いていると、分岐が見えてきた。オルトの話だとここを右に曲がればあと数時間という話だったけど左手の方から武装した一団が隊列を組んで近づいてきていた。
「ノーブレンの領軍か」
オルトが感慨深そうにつぶやいた。
領軍あるいは領兵というのはマランドン王国にある8つある公爵領がもつそれぞれの軍隊のことで、北に位置するノーブレンでは空色をイメージカラーとしている。つまり軍服もそれに準じている。レムリアにいたような街兵は領軍の下部組織になるそうだけど、自衛隊と警察の違いみたいなもので”兵”といっても全く別物だそうだ。
「ん? ひょっとして隊長ですか?」
軍隊と並んで歩くのは嫌だったので、やり過ごして後ろを歩こうと思っていたら軍団の中から一人の若者が顔をぱぁっと明るくさせてオルトに向かって飛び出してきた。
「マードか?」
「ご無沙汰しております。隊長もご壮健のようでなによりであります」
「そんな喋り方はよしてくれ。俺はもう軍とは何の関係もないんだ」
「そうはいっても、隊長は隊長ですから」
隊列を乱したマードという男に軍の方から叱責が飛ぶと、踵を返して隊列に戻った。しかし、そこで何か話をすると再びオルトの前に戻ってくる。
「いいのか?」
「あれから何年経ったと思ってるんですか、僕だって多少の融通を聞いてもらえるくらいには上官と良好な関係を築いていますよ」
「それもそうか、二年も経つんだからな」
「ええ、二年です。隊長はどうしていたんですか。みんな心配してたんですよ」
「俺は変わりないさ。それより軍の方にアルバートの情報は入ってないのか」
オルトが聞くと、マードが大きくため息を吐いた。彼の気持ちがわからないでもない。だって、久しぶりに会ったのにいきなり本題に入るなんて、例え昔の上司と部下でもがっかりだよね。せめてマード君がどうしてたかくらい聞いてあげればいいのに。
意外とコミュ下手なオルトのためにもここは私が間を取り持たなければと密かに思う。
「まだ追いかけていたんですね。女性を連れていらっしゃるからてっきり――」
「そういうんじゃない。彼女は――旅の連れだよ」
「ええー、酷いよ、オルト。同じベッドで寝たりしてるのに、ただの旅の連れとかそんな風にいうの?」
「は?」
「えっと、隊長どういうことですか? 流石にそれは――」
「いやいや、ちょっと待ってくれ。アイカ、いきなり何を言っているんだ」
きょどっているオルトがちょっと面白い。
「何よ。私が嘘を付いているっていうの?」
「いや、嘘も何も」
「でもユルイスの街に泊まった時……」
「ちょっと待て、それは確かに同じベッドだったけど、それは……」
「隊長!! 男らしくないですよ。女性にそこまで言わせるなんて!! 僕の知っている隊長はもっと――」
「いや、マードも頼むから興奮するな。それからアイカ頼むから悪ふざけはよしてくれ」
必死に懇願してくるオルトが可愛そうなのでこの辺で苛めるのはやめることにしてあげようか。何となくクレレシアの群生地を見つけたときから硬くなっていた彼の表情も丸くなったような気もするし。
「あはは、ごめんごめん。マードさんもごめんね。オルトのことをちょっと揶揄っただけだから、さっきのは忘れてください。本当に只の旅の連れですよ」
「そうなのですね。でも、少しだけ安心しました。隊長の傍にあなたのような人がいてくれて」
「それでアルバートの情報は?」
「はぁ。隊長は本当に相変わらずですね。僕のような一兵卒に入ってくるような情報はありませんよ。追跡部隊の方は独立して動いているみたいですしね」
「そうか」
「もういいじゃないですか。いつまで引きずってないで前を向きましょうよ。すべてアルバートが悪いんです。隊長が責任を感じることなんて何もないんですよ」
「……情報がないなら、用はない。さっさと隊に戻れ」
オルトの声が聞いてるこっちまで寒気を覚えるほどに冷たく凍り付いていた。初めて会った夜、アルバートを見つけたら殺すといった時と同じように。突き放すようなその言葉にマードは少し哀しそうな顔をするが、すぐに気を取り直してオルトの顔を見た。
「……わかりました。この道を歩いているってことはルーデンハイムに行かれるのですよね。機会があればまた会いましょう。それからアイカさん、隊長のことをお願いします」
「ええ」
失礼しますと軍隊式の敬礼をして、小走りで隊列にマードが向かっていく。その背中を見送って隣のオルトに視線を移した。
「八つ当たりなんて珍しいわね」
「……わかってる」
オルトは空を見上げて右手の拳をこれでもかと握りしめていた。少しずつ見えてきたけども、詳しい話はオルトが語らない限り私にはわからない。いつか話てくれるかもしれないから、無理に聞き出すつもりはなかった。
遠く小さくなった軍隊の背中を見ながら私たちもルーデンハイムに向かって再び歩き始めたのだった。