表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/166

新たな出会い

 クレレシアの群生を見て思わずソフィを思い出した。

 彼女はこの花が好きだった。事あるごとに彼女にクレレシアの花束のプレゼントしたと思う。考えてみれば馬鹿の一つ覚えだったのかもしれない。

 それでも俺が買ってきた花束を見たソフィは、毎回花に負けないほど魅力的で明るい笑みで喜びを表してくれた。その顔が見たくて俺は何度も……。


 アルバートを殺す。


 心の奥底で熾火のようになっていた炎が轟音を立てて燃え上がってきた。

 不意に振り返ってきたアイカと目が合い、気付かぬうちに頬を滴っていたものを拭いながら目を逸らした。多分、アイカには気付かれたと思うが、彼女は素知らぬ顔をしてくれている。

 聡明な彼女のことだ。

 俺が口にしないことも色々と気がついていると思う。

 ずけずけと言いたいことを口にするけども、俺の心に無理矢理踏み込んでくることはなかった。それに助けられているのはいうまでもないことか。


「完成したわ」


 アイカの手には濃紺の液体が入った瓶があった。

 クレレシアの花から髪染めの染料を作り出したのだ。色々と試行錯誤をしていたのだけど、最終的にはクレレシアの花をフライパンで軽く炒めて水分を飛ばして乾燥したところを粉々に砕いて、油と混ぜることでそれは作られた。

 毛先で実験したところ水洗いをすれば簡単に流れ落ちるようだけど、街に入る際の門番の目をごまかすには十分だろう。


「じゃあ、休憩も十分とったし先に進むか」

「そうね」


 焚火を消して、フライパンやら鍋やら取り出したものをカバンに詰めていく。アイカと旅をするようになって少し荷物が多くなったけども外であれだけ美味しいものが食べられるのならむしろ軽いくらいだ。

 いや、こんな風に食事のことを考えるようになったのはアイカの影響か。


「ねえ、あれって」


 敷物にしていた毛布をクルクルとまとめてカバンに括りつけたところで、アイカが花畑の反対側を指さした。数十頭のガルーの群れが森の中をピョンピョンと走っていた。まるで兎のように飛び跳ねて移動する変わった動物だが、その跳躍力は侮れない。


「クレレシアの群生に次いでガルーに遭遇するとはね」

「珍しいの」

「警戒心が強い動物だからな。もっとも、このクレレシアの群生地も人の立ち寄る場所じゃないっていうのもあるんだろうが」

「へぇ」


 単体で熊の鬼獣を圧倒するほどの力を持つガルーだが、それは襲われた場合の話で好戦的な性格をしているわけではない。基本的に草食なので何もしない限り危険はない。そんなわけで俺たちはガルーの群れが通り過ぎるのを見ていたのだが、群れが通り過ぎたところで一頭だけ遅れているのがいた。


「怪我してるのかな」


 見ればジャンプが上手くいっていないし、足を引きずっているようである。と、次の瞬間、派手に転んでしまった。


「行ってみましょ」

「どうするんだ」


 止めるのも聞かずに走り出すアイカ。


「どうするも何も助けるに決まってるじゃない」

「手負いの獣は危険だぞ」

「かもしれないけどさ」


 レムリアで孤児に手を差し伸べた時といい、アイカは大人には厳しいけどもそれ以外には驚くほど優しさを見せる。彼女の過去は知らないけども、”大人”に対して何かあったのだろうか。

 クレレシアの群生地を大きく回り込むと、苦痛に顔を歪ませながら立ち上がろうと藻掻くガルーがいた。俺たちを見るガルーの目は憎しみに強く支配されている。足から血を流すガルーだが問題はその傷だ。その足には深々と一本の矢が突き刺さっていた。


「可愛そうだが……」

 

 想像するにガルーの群れを見つけた狩人かあるいは金目当ての誰かが、ガルーの子供を狙ったのだろう。ガルーの子供は高く売れる。危険を察した群れは一目散に逃げ出したが、目の前のガルーは矢傷を受けてしまったといったところか。

 ただでさえ力の強いガルーが手負いともなれば、その危険性は計り知れない。


「オルトなら抑えられる?」

「簡単に言うなよ」


 出来るかできないかで言えば可能だろう。怪我を負っているガルーは俺より少しばかり大きいくらい。同じサイズでも筋力量というのは人を上回るのが獣というものだ。だが、抑え込む方法というのは当然のことながらある。


「無理とは言わないんだね」


 相変わらず人の言葉尻を捉えるのが上手い。


「治療をしたところで、群れを離れた獣が生きられる保証はないぞ。特に足をやられてるんだ。肉食の獣に襲われればすぐに捕まるだろう」

「わかってるわよ。こんなの自己満足にすぎないことくらい。でも怪我してる動物を放ってはおけないよ。それにさ、これって私たちと同じ人間が付けた傷だよね」

「……わかった。だけど、完全に抑えるのは難しいからな」

「ええ」


 荷物を置いて包帯と軟膏を取り出したところで地面に伏せるガルーを背後から羽交い絞めにする。ものすごい力で拘束を振りほどこうとするが、ポイントを抑えてしまえば膂力の差は覆せるものだ。360度回転する関節はありえない。つまり、力が入る方向は決まっているのだからそれに逆らってやれば抑えることは可能というわけだ。


「あまり長くは持たないから早くしてくれ」

「ありがとう」


 そう答えたアイカだけど、すぐに矢傷に手を伸ばすでもなく憎しみのこもったガルーの目を真正面から見つめるとガルーに向かって話しかけた。ガルーの手が届きかねない至近距離まで近づくものだからあわてて俺は拘束する力を強くする。


「オルト、あんまりきつくしないで上げて。ごめんね。人間があなた達に傷を負わせてしまったのよね。許してくれとは言わないけど、治療をさせてくれないかしら。足にささった矢を抜いて薬を塗るから少しだけ大人しくしてくれるかな」


 驚いたことに言葉が通じるはずのないガルーがアイカの言葉に反応を示した。拘束を振りほどこうとしていた力が緩んだのだ。

 何が起きたのか。

 アイカと共にいると不思議な経験を数多く遭遇したけども、これはドンちゃんと呼ぶ謎の存在に匹敵するくらいの異常事態だ。


 アイカは「ごめん、ちょっと痛いと思うけど我慢してね」と言いながら一気に矢を引き抜いた。その瞬間、ガルーがうめき声をあげるが身体を暴れさせてアイカを傷つけるのをガルー自身が抑え込んでいた。流れ出る血を拭い、軟膏を塗って素早く包帯を巻きつけていく。

 俺が軍にいたころに習った応急処置と同じように手慣れた様子で治療が施されていく。そして最後にアイカは患部に手を添えると、自身のマナを注ぎ始めた。


「何してる」

「精霊術だよ」

「いや、だから、何してるんだ?」


 土の精霊術を傷口に流す?

 アイカのわけのわからない行動は今に始まったことじゃないが、これはまた常軌を逸していた。いや、よく考えてみれば、昨夜も俺に精霊術を掛けさせてほしいなどと口にしていたが……。


「私の考えだと土の精霊術を上手く使えば怪我の治療にも使えるはずなのよ。人間の血の中には『白血球』っていうのがあって、それらは傷口から入ってくる『細菌』とかを殺してくれるの。それに『血小板』を活性させてあげればそれだけ早く止血できるし、切れた『毛細血管』がつながって栄養が運ばれてくれば傷がふさがって新しい表皮が生まれると思う。炎症を抑えることができれば、痛みも早く引くだろうからきっと回復も早まると思う」


 何を言っているのかさっぱりわからかったが、見る見るうちにガルーの表情が穏やかになっていくのがわかった。矢傷をそれだけで治せたとは思えないが精霊術によって”治療”が施されたのは明らかだった。

 

 なんなんだ、これは。

 こんなことがありうるのか。

 怪我、病気の治癒は聖光教会の扱う秘術の領域だ。

 まさか、それと同じ力が土の精霊術にあるのか。異世界人であるために、俺たちとは力の理が違うというのか。前者だとすれば世界をひっくり返すような――。


「もういいわよ。拘束を解いてあげて。あなたも暴れないわよね」


 アイカの言葉に頷き返すようなガルーを見て、不思議と信じることが出来た俺は拘束を解いた。それでもいつでも抑えることができるように身構えているが。

 だが、ガルーは目を輝かせてすくっと立ち上がるとその場で飛び跳ねて見せる。


「完全に治ったわけじゃないから無理しちゃダメだよ」


 アイカがそういうとしょんぼりしたようにガルーが首を落とす。にわかには信じがたいが本当に言葉が通じているようにしか見えない。


「ほら、いまなら仲間の所に追いつけると思うから行って」


 ガルーは仲間の消えていった森を一度見つめ、アイカの方を向くと首を左右に振った。


「どういうこと? 行かないの?」


 すると、どうしたことかガルーが首を縦に振ったのだ。

 ガルーは荷役になりうる動物であることからわかるように賢い動物である。それでもここまで明確な意思表示ができるという話は聞いたことがなかった。ガルーは子供のころから育てなければ人に懐かないというし、そもそも人に傷つけられた獣が人に懐くことなど通常はあり得ない。

 いや、もはやいまさらのような気がする。

 アイカに大していくつの『あり得ない』を見てきたというのだろうか。

 

「連れて行ってもいいかな」

「ダメだといっても、ガルーは付いてくる気満々じゃないのか」


 俺が肩をすくめて見せると、アイカが嬉しそうに笑った。


「それじゃあ、この子の名前はカンちゃんにしよう。よろしくね、カンちゃん」

「ガルルルゥ」


 ドンちゃんといい妙な名前にしか聞こえないが、本ガルーは嬉しそうに尻尾を振っているのでいいのだろう。


「カンちゃん、早速だけど私の荷物持ってくれるかな?」

「怪我人に何させてんだよ」

「え、何言ってるの? そのために助けたんだよ」

「……は? いやいや、待てよ。さっきのは怪我人をほうっておけないというニュアンスじゃなかったか」

「それもあるけど、あわよくばって思ってね。それに精霊術の可能性も試したかったし。だってオルトが協力してくれなかったから」


 なんだろう。

 この心の底から裏切られたような気がするのは。

 アイカが自分の持っていたザックを器用にガルー、もとい、カンちゃんに背負わせると元の街道に向かって歩き出した。カンちゃんは嬉しそうにアイカの後ろをついて行ってる。

 まあいいか。

 いや、いいのか?

 アイカは本当は優しい人間だと思っていたのだが、もしかして錯覚なのか。

 いや、いつもの照れ隠しという可能性も。

 だが、元気になったように見えるとはいえ、怪我をしているガルーに荷物持たせているし……。


 くそっ、わからん。

 何なんだこの女は?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ