子爵との駆け引き
「子爵様、孤児院から手を引くのを考え直していただけませんか?」
「貴様は?」
「子供たちにバッグの作り方や畑作りの手伝いをしているものです」
「ほう」
「そ、そうです。子爵様。この小娘がこいつらに入れ知恵を――」
「お前は黙ってろ」
ぷぷっ。
一喝された神父が私を睨みつけてくるけど、もはや道化にしか見えないんだけど。なんで、この状況で子爵を自分の味方にできると思うのだろう。
クズの思考ってやっぱりわからないわね。
「子爵様はさきほど孤児院の経営をしていても益が全くないと仰いました。ですが、本当にそうでしょうか」
「どういう意味だ」
「親を亡くす子供たちというものは、哀しいことに決して無くなることはありません」
正直、ノープランだ。
とりあえず考えながらしゃべってる。何でもいいから子爵の耳を捉えて離さないようにしながら着地点を見つけるしかない。
はぁ、本当に無茶をさせてくれるわ。
そりゃあ、私は森見先生の某小説に出てくるような詭弁論部への入部を志すほど詭弁を愛してやまない人間だけど、いきなり貴族相手に弁舌だけで乗り切るっていうのはいささか難易度高すぎませんかね。
「それが私の利益にどうつながる?」
「お金と地位を手にすると、次に人が欲するのは名誉だといいます。子爵様は当然のことながらお金と地位をお持ちだと思いますが、名誉を手に入れたいとは思いませんか」
「それが孤児院の経営だというのか。所詮は素人考えだな。恵まれぬ者への施しをすれば得られる名声もあるだろう。だが、祖父の代より続けてきた孤児院であるが、誰からもそのような評価を得たことは一度もないぞ」
子爵は若い。
多分、30歳くらいか、下手をすると二十代なのかもしれない。でも、鋭い眼光と斜に構えた雰囲気がどこか暗い印象を与えてくる。
「それはそうでしょう。この孤児院を見て一体誰が、”よくやった”と思うでしょうか」
「なに?」
「申し訳ありません。言葉が過ぎました」
危ない危ない。
言葉選びが難しい。普段の調子でいくと不遜になっちゃう。オルトが愕然とした表情でこっちを見ている。とりあえず気を取り直して話を続けよう。
「子供たちを見て何を思いますか」
「何を……小汚いと思うが、孤児院などどこんなものではないのか?」
「失礼ですが、他の孤児院を見られたことは?」
「ない」
即答するか。
いや、まあ、そんなものかもしれないわよね。
っていうか、私だって他の孤児院なんか知らないけどね。まあ、クズ神父が好き放題していたことから想像できるけど、子爵は寄付するだけで任せきりだったんだろう。どう考えても孤児院の経営に対して乗り気には見えないしね。
「ここの子供たちはすごく痩せています。食べるものが足りないせいでガリガリなんです。ここで子供たちの面倒を見ている大人はシスター一人しかいません。子供たちはシスターの手伝いをしていますが、それでも掃除洗濯食事の世話と一人でやるには限界があります。
どうしたって掃除は行き届かないし、子供たちの服がほつれていても補修する時間は足りないんです。結果的にボロボロの衣類を身にまとってしまっている。そんな子供たちがたくさんいる孤児院を見て、経営者を評価するものが果たしているでしょうか」
「いないだろうな。それなら、なおのこと経営から手を引いた方がいいのではないか?」
「それこそ浅慮だと言わざるを得ません」
「貴様!!」
子爵ではなく、その部下が大きな声を上げてきた。
まあ、貴族に対して馬鹿だと言えば怒るのも無理はない。でも、ようやく道筋が見えてきた。
「上手くいっていなかった孤児院の経営を手放したことを、他の貴族はどう考えるでしょうか。赤字経営の孤児院を切り捨てたこと、正しい判断と考えるでしょうか。私は違うのではないかと思います。おそらくこう考えるのでしょう。”ああ、あの子爵はあの程度の孤児院の運営すらも満足に行えないのか”と、そういう評価を得てしまうのではありませんか?」
「貴様、先ほどから聞いておれば何たる無礼なことを!!」
「お前は黙ってろ。いいから先を続けてみろ」
いきり立つ部下を制して、子爵は先を促してくれた。貴族ってだけで悪い印象を持っていたけどそれは偏見だったかも。少なくとも子爵は話を聞く姿勢だけは見せてくれている。だったら、もう少し切り込んでみよう。
「失礼ですが子爵様は領地を持っていらっしゃるのでしょうか」
「平民に貴族社会のことはわからんだろうが、街を治めるのは伯爵様より上の貴族に限られる。子爵位や男爵位を持つものが、小さな町を任されることはあっても大きな権限は与えられない」
「つまり、伯爵以上にならなければ領地を与えられることはないということですね。伯爵に陞爵されるためには、それなりの結果を生み出す必要があるのだと思います。だからこその孤児院の経営だとは思いませんか。孤児院も満足に経営できない貴族に、果たして街の運営が任せられるか。逆説的に言えば、孤児院の経営を飛躍的に成功させれば、その手腕を買われることもあるのではないでしょうか」
「なるほど、ようやく貴様の話が分かってきた。だが、そううまくいくか。そもそも、孤児院の経営程度でそれほどの評価を得るとは思えんが」
「そうですね。その通りだと思います。ですが、先ほども申し上げました通り、孤児院の経営を手放すことはデメリットの方が大きいと思います。その反面、このまま経営を続けたほうが利があるのではないでしょうか」
「それも一理あるだろう。だが、それには今以上の寄付金が必要になるのだろう。子供たちを満足に食べさせるためのお金に、貴様が言うように面倒を見る人間を増やす必要も出てくる。そこまでして上手くいかなければ周りの目にどう映るだろうな」
そのくらい冒険する覚悟を持ってほしいのだけど、こっちの希望通りには動かないよね。
「いいえ、そんなことはありませんよ」
「どういうことだ?」
「正直に申し上げまして、孤児院の経営はいまのままでもそれほど難しくはないと考えています」
「それは道理が通らんだろう。現に経営は逼迫しているわけだから」
「それが誤解なのです。正確なところは子爵様に調べていただければと思うのですが、孤児院の経営を厳しいものにしているのは、そこの神父の責任です」
「な、な、なにを。子爵様、このような世迷言を……」
「ゼルエダスよ。何度言わせればわかる。次に口を開いたら、二度と口を開けなくするぞ」
ああ、ちょっとこの子爵のこと、好きになってきた。
何しろ神父の見方じゃない時点で高評価だもん。
「どういう意味だ」
「神父はあろうことか子爵様の寄付金を横領して私腹を肥やしています」
「何を馬鹿な――」
「おい」
「はっ」
神父が口を開いた瞬間、子爵が命令し取り巻きの一人が神父を物理的に黙らせた。有言実行の人っていいよね。初めて会った貴族がクズ男爵だったもんだから、貴族への評価が酷かったけど、まともな貴族もいるみたい。
「シスター、この前の出納帳持ってきてくれる。そこに子爵様からの寄付金の額も書いてあると思うけど、その金額が合っているか確認してもらえばいいと思う」
「もごぐおもごぅ」
うん、口を抑えられた神父が叫んでいるけど、詰んだね、これは。いや、ほんと何でこの人、子爵を連れてきたんだろう。馬鹿な人間だとは思ってたけど、ここまで愚かとは。そして、シスターが持ってきた出納帳を見た部下が子爵に報告して、神父の運命が決定した。
「貴様の言う通りのようだな。孤児院の経営を軌道に乗せるのはそれほど難しくないのかもしれんな。畑での自給自足に、古着をつかってのバッグの販売か。それらは微々たるものかもしれんが、孤児院の経営に貢献出来よう。メルべはどう考える」
「は、ここにある数字と神父より報告のあった数字をすべて比較してみなければわかりませんが、孤児院の経営には十分改善の余地はあるのではないかと。ただ、そのためには子爵様自ら手を入れる必要があるのではないかと思います。こうした問題が浮上した中、魔神教にそのまま任せるというわけにもいかないのではないでしょうか」
「だが、教会本部からの運営資金の方もあるわけだし、完全に切り離すわけにもいくまい」
「それはもちろんでございます。ですので、信用できるものに経営を任せる必要があるか」
「信用あるものか。ふむ」
え、なんで、いまこっちを見た。
「貴様が――」
「申し訳ございません。私は何分、旅の途中の身でございまして」
「これだけのことを言ったのだ。貴様には孤児院の経営など簡単なのだろう」
「滅相もございません。私などはどこにでもいる平民に過ぎません」
いやいやいや、流石にそれは勘弁してください。そして、子供たちよ。そんなに期待のこもった目で私を見ないで。悪いことをしている気になるじゃない。
「私は見て通りまだまだ若輩者でして、経営などというものは過分にございます。確かに経営はそれほど難しくないのではないかと申しましたが、それは子爵様のように立派な方であればという話にございます」
「貴様、急に馬鹿丁寧な言葉遣いになりおったな」
「そ、それは……」
「しかも、先ほどの話によれば貴様は出納帳を読めるのだろう。少なくともただの小娘というわけではあるまい。私に意見をしたのだ。少なくとも自分の言葉に責任を持たねばならんだろう。貴様が孤児院の経営をするというのなら、手放すという考えは引っ繰り返してもいい。だが……」
「お、お、お待ちください」
え、私の旅ってここで終焉なの?
まずい。まずい。まずい。
考えろ。
なんでもいいから次なる手を。
折角、神父を差し出して上手くいったと思ったのに。
なんで、逆に私が囚われなきゃならないのよ。これってトンズラするのってありなのかな。とりあえずここは従う振りして逃げるじゃダメかな。
って、ダメだろうな。
そうしたら、たぶん子爵は孤児院から手を引くんだろう。
この人はそういうタイプだと思う。
「子爵様」
「決心したって顔ではないな?」
「利益があればよろしいのですよね。子爵様が孤児院を経営することで利益が得られれば」
「まあ、そうだな」
「では、とあるものの製法を子爵様に提供します。それは子爵様に莫大な利益をもたらすと思うのですが、それと引き換えに、私のことを諦めてくれませんか」
「ほう? 貴様はこの者らに古着からバッグを作る方法を教え、死んだ畑を復活させたのだろう。それ以外にもまだあるということか」
「ええ、まあ。少しお時間を頂けますか」
「構わん。メルべ、時間はあるな」
「夕刻より商業ギルドの長との会合がありますが、時間に余裕はあるかと」
「よし、見せてみろ」
「では、申し訳ありませんが買い出しに行ってきます」
私はオルトを連れて孤児院を後にした。