オーダーメイドの革靴
とうとう靴が完成する。
靴屋と約束した日から7日が経過したというわけだ。
ちょっと、テンションが上がってる。
オーダーメイドの靴なんて日本じゃ一般的に手にすることはないと思う。自分のために作られた自分専用の靴。
何度か調整のために靴を履いたりしたから、出来上がりの凡そはわかっている。それでも、作りかけと完成品とではスマホとガラケーくらい全くの別物だ。
「いらっしゃ――い。アンタか。出来てるぜ」
店に入ると、店主が一足のブーツをカウンターにドンと置いた。
彼の自身に満ちた顔を見れば、納期を短縮したやっつけ仕事じゃないことがよくわかる。短い時間の中で最高の靴を作ってくれたみたいだ。
「履いてもいいですか」
「もちろんだ。調整はしたつもりだが、何でも言ってくれて構わん。すぐに直す」
店主に言われて、私は完成したばかりのブーツに足を通した。「あ」と思わず声が出るほどに、彼の作った靴は私にぴったりだった。
どうしたって既製品の靴は甲の高さ、足の幅、左右の大きさの違いがあるから馴染むまで時間が掛かるものだけど、この靴はいまこの時点で最高のフィット感がある。裸足みたいだというと若干言い過ぎかもしれないけれど、革靴の重たさを感じさせないくらい足と一体化している。
「すごくいいです。これ以上ないくらい」
私はその場で軽く歩いてみるけど、それはもう10年履き続けてきた靴と言えるくらいに馴染んでいる。それをみた店主は満足そうに口元を緩ませる。
「良かった。急ぎの仕事だからと手を抜いたつもりはねぇが、それにしたって時間がない分、細部に掛ける時間はどうしたって減るからな。だけど、その顔を見て安心したぜ」
「文句のつけようがないですよ。完ぺきなお仕事です。手作りの靴ってこんなに違うんですね」
「なんでぇ、おめぇさん。靴を作るのは初めてなのかい」
「そうですね。いつもは中古品とかなので」
「そういうことかい。じゃあ、初めての靴となるわけだが、大事にしてくれよ。踵がすり減ったり、革が傷んだり、補修が必要になったらいつでも持ってきてくれ――っていっても、アンタは旅人なんだったな」
「ふふ、そうですね。でも、その時が来たら」
この世界に来て嫌なことばかり続いていたけども、この靴に出会えたことは数少ない良かったことの一つだと言える。日本に帰る時も、この靴だけは履いて行きたいと思えるほどに。
デザインはやっぱり現代日本に比べると少し武骨な感じがするけども、私が今着ているような浅葱色のフレアスカートにもすごく合っている。
「よし、じゃあ、これで俺の方の仕事は完了だな。さあ、アンタの靴を見せてくれ。楽しみにしてたんだ。ほら、はやく」
「え、え、え、いや、ちょ、ちょっと」
にじり寄ってくる店主に私は頬を引きつらせながら後ずさる。だけど、それに構わず店主が私が脱いだ靴に向かって飛び込んできた。
「ん? これがこうなって……」
「ちゃんと作り方も説明しますって」
脱いだ布草履を手に持っていたがばっかりに店主が私にしがみつくようにして布草履を観察するので、どうにか引きはがそうとする。しかし、私の手の中の布草履を引っ張る店主の力は、男性である上に職人のため逆らうことができない私は引っ張られるまま、その場に倒れ込んでしまった。こんなことならオルトに同行してもらえばよかったと思うけど後の祭りだ。
バタンと店主に向かって倒れ込んだところで、ようやく靴屋の店主は我に返った。
「す、すまねぇ、7日もお預け喰った靴がそこにあると思うと、いてもたってもいられなくてよ」
「あたたたた。はあ、もう、わかってますから……」
何とか起き上がって平身低頭の店主を引きつった笑みで見下ろすと、私は布草履を彼に手渡した。それを掌の上に乗せると王様へ献上品のように腕を上げてきた。
「驚くほど軽いな」
「そりゃあ、布ですからね。じゃあ、約束通り布草履の作り方を教えましょうか」
「あ、ああ、そうさせてくれると助かるぜ。前もって聞いていたから布に関しては仕入れといたから、ちょっと待ってろ」
恭しく草履をカウンターに置くと、店の入り口に札を掛けて扉を締めてしまった。
「教えてもらってる間に客が来たら困るからな」
「そんなんでいいんですか」
「はん、靴屋に急ぎの客なんて来ねぇよ」
と、そのまま裏手に引っ込むと、ぱんぱんに膨らんだ麻袋を抱えて戻ってきた。中には色とりどりの布が収まっていたけど、孤児院や私が布草履に使ったような古着ではないちゃんとした新品の布である。それをこれだけ大量に仕入れているということは、すぐにでも商品化するつもりらしい。
「すごい気合の入りようね」
「当たり前だ。これは売れる。そう確信しているからな」
「ふふ、作り方はもちろん説明するんだけど、その前に一つ相談があるけどいいかな」
「ん、どうしたい?」
「大したことじゃないの。布草履の作り方はとても簡単なものだから、お兄さんは手先も器用だろうしすぐにやり方は覚えられると思う。でも、初めて作ったものをすぐに売ったりはしないでしょ」
「そりゃあな。いくらか試行錯誤はするつもりだ」
「その試行錯誤を孤児院の子供たちでやってもらえないかしら」
「孤児院……ふむ。まあ、出来なくはないが、それはまたどうして」
「最近、魔神教の孤児院の子供たちと仲良くさせてもらってるんだけど、あの子たち、ほとんど靴を履いてないのよ。だから、お兄さんの練習にもなるし、あの子たちに靴をプレゼントすることもできて一石二鳥だと思ったの。それに子供たちに履かせて街を歩かせれば多少は宣伝になると思うんだけど、どうかしら」
「……悪くねぇ話だな。靴っていうのは一人一人の足の形に合わせて作るもんだ。俺がここでいくら練習を積んでも、自分と嫁の足に合わせるしかねぇからな。たくさんの練習台が出来るっていうのは都合がいい。それに宣伝か……新しい靴に取り掛かる以上、それも必要なことだろうな。
なんだよ。こんな貴重なアイデアを俺に簡単に譲るわりには、商売っていうものをちゃんと考えているんだな」
「元は商売をやってたからね」
「はん、そういうことかい」
私の場合はインターネットでホームページを作っていただけだから、偉そうなことをいえるほど”商売”をしていたわけではない。それでも大学の学費を稼げる程度には自営業を営んでいたわけでそれなりの自負はある。
実際、子供たちに靴を履かせたとしてどの程度の宣伝効果があるかは未知数だ。私がテッドに出会った時も、薄汚れた恰好をしているテッドから目を背ける住民が多かったのも事実。でも、逆にそれだけボロボロの格好の子供たちの足元にきれいな靴があれば人目を引くとも思える。
「それじゃあ、まずはこの布を短冊状に切ります。色は何でもいいです。作り方がわかった後じゃないと、全体を想像しながら彩をあわせるのは難しいでしょうから」
「そうだな。それならこっちの赤で始めてみるか」
たくさんの布の中から朱色に近い赤を選び取った店主に私は一つずつ靴作りの工程を教えていった。基本的に布草履は部屋履きを基本としているので、私がいま履いているように外で履くためには木の板を敷くように何らかの手を加える必要があるけども、その辺は逆に店主の方にこそ知識はあると思う。
「ほう、つまりここの”鼻緒”っていうところの調整で足にしっくりくるかが決まるわけだな」
「ええ、そういうこと。たぶん、そこが一番職人としての腕の見せ所になると思う」
外履きにするなら靴底なんかの調整もあるだろうから、もっと技術を求められる場面はあると思う。そして店主は予想通り手先が器用なようで昼前にはあっさりと布草履の編み方を覚えてしまった。
「自分でやったものより、アンタにやってもらった”鼻緒”の方がしっくりくるな。つまり、この感じを覚えてものにしなきゃならんってことだな。しかも、自分の靴ならともかく他人のしっくりをマスターするなら、なるほど、経験がものをいうわけか。孤児院の子供たちで練習をさせてもらえるっていうのは願ってもない話だな。本当に対価は俺が作った靴一足でよかったのかい」
「もちろん、最高の一足だったもの」
「そう言ってくれると嬉しいねぇ」
ちょっと変質的なところのある人だけど、職人としては一流だというのがよくわかった。私の布草履を神棚にお供えするように扱うのはどうかと思うけど、靴に対する扱いや目つきが真剣でカッコいいなと思うのだ。
私が作った布草履なんて遊びの範疇のものだから、そういう職人目線で見られると逆に恥ずかしいとさえ思えてくる。
「孤児院にはアンタと一緒に行けばいいのかい」
「そうですね。正直、さっきの話は私が勝手にしているだけなので、この後にでも孤児院に話を通してみますよ。断られることはまずないと思いますので」
「ああ、じゃあよろしく頼む」
靴屋を後にした私は孤児院へと向かった。