孤児院再生計画(1)
負け犬が孤児院から出ていったけど、孤児院の経営難という問題がすべて解決したわけじゃない。今後神父の着服が無くなったとしても、現時点でお金がないことに変わりはないのだ。
神父を永久追放するためには本部と掛け合ったりしないといけない。読み書きのできないシスターに変わってオルトが代筆して手紙を出すつもりだ。そんなわけでスープの具材を増やすためには、何かもう一つ手を打つ必要があると思う。
「クズは追い出せそうだけど、その前に出来ることがないか考えてみましょうか」
「本当に何から何までありがとうございます」
「そんなに畏まらないでよ。偉そうに言って何にも思いつかなかったら恥ずかしじゃない」
「そんなことありません。私は何もできなかったのですから」
「ま、気楽に行きましょう。そうね、とりあえず孤児院の中を案内してもらってもいいですか」
「わかりました」
シスターを先頭に歩き出す。孤児院は教会の裏手のスペースに建てられていて、それなりの敷地があった。食堂、キッチン、寝室、倉庫、事務所、広場などなど。
「そういえばニーグス派って何のことなんです」
「ご存じないんですか」
ニーグス派というのは一般常識だったみたいだ。お化けを見たようにビックリされてしまったよ。オルトが頭を抱えているけど、教えてくれなかったのはオルトじゃないかと思う。
「うん。聞いたこともない」
「そうなんですね。出納帳のこともそうですし、高い教育を受けていらっしゃる方だと」
「アイカはちょっとばかり世間の常識に疎いんだ。前に少し説明しただろ。魔神教で力におぼれて暴れたやつがいるって」
「それがニーグスなの」
話をしながら私たちはキッチンに移動していた。キッチンというより土間という感じの場所で、いろいろと見てみるけども取り立てて何かに使えそうなものはないかな。
「ええ、そうです。アイカさんはこの大陸を守る結界のことはご存じでしょうか」
「ごめんなさい。それも知らないです」
「召喚術が禁術になった話を覚えているか」
「もちろん。化け物を召喚してしまって世界の大半を失ったっていう話でしょ」
「そうです。その時、この世界に解き放たれた化け物から私たち人類を守るために聖光教会の『導きの聖女様』が、結界をはってルシエン大陸を覆ったのです」
「大陸を覆うってたった一人で?」
マナの量は人それだと聞いている。
火の加護を持つオルトが操れるのが焚火程度の大きさで、それは一般的なマナ量という話だった。水不足の街では、街の地下水を枯渇させた精霊術士がいたと思われるが、それですら司祭クラスの力だとオルトは評価していた。それを基準に考えれば大陸を覆いつくすほどの結界を張るとなると常軌を逸している。
「聖光教会の見解としてはそうだが、実際のところはどうだろうな。その結界の維持を聖光教会がいまなお続けているが、力を注ぐための”礎”と呼ばれるものがこの大陸には四か所あるそうだ。だから、最低でも四人の術者がいたんじゃないかっていう話さ。まあ、それでも馬鹿げた力だけどな」
「それもそうね。まあ、それは置いといて、その結界がニーグスにどうつながるの」
「えっと、そうですね。元々結界が張られたのがおよそ800年ほど前だと言われています。ニーグスの時代からしても500年以上前の事なんです。アイカさんはそんなに長生きの生き物がいると思いますか」
「つまり、その化け物はすでに死んでいるはずだと」
「ええ、人はかなり長命な生き物だと考えられています。一般的に60歳から70歳、時には80歳を超える方もいらっしゃいます。人よりも長く生きると言われる妖獣でも150年くらいが限界だと言われています」
精霊術や魔術のあるファンタジーな世界だけど、長命のエルフとかはいないようだし比較的常識的な話なのかもしれない。ただ、人は例外的な部分はあるけども、こと哺乳類に関して言えば身体が大きいほど長生きするらしい。ネズミよりも猫の方が、猫よりも象のほうが長生きする。確か寿命が200歳を超える鯨もいたと思う。
世界を破壊するほどの化け物がどのくらいの大きさかわからないけども、哺乳類と同じように体の大きさが寿命に左右するのなら”まだ”生きている可能性はあると思う。
「結界によってルシエン大陸は守られたわけですけど、当然のことながら私たち人の住める領域はこの星の大きさから3割程度しかないそうです」
「そんなに?」
「ええ、そして、その小さな土地を人々は争い奪い合ってきた歴史があるのです。そんな時代に生まれたニーグスは争うことよりも、結界の外側の可能性を人々に説いたのです」
「それだけ聞くとただの悪と切り捨てることはできないわね。ただ、問題は化け物が本当に死んでいるか確かめようがないってことか」
「そうですね。ニーグスの話を信じて結界を解いたとして万が一にも化け物が生きていた場合、人類は再び窮地に追い詰められるのですから、そんな軽はずみなことはできません。
ですが、ニーグスは類まれなる魔術の使い手だったのです。化け物に蹂躙されたのは遥か昔のことで、その脅威を現実のものとして知っているものはどこにもいませんでした。化け物に襲われたことで文明は一度低迷し、失われてしまったものも多いと聞きます。
ニーグスは万が一の際には自分が責任をもって化け物は殺すと宣言しました。根拠はどこにもなかったのですが、ニーグスの強さにもしかしたらと思うものもいたようです。
そして、結界の破壊をもくろむニーグス一派と、守護する連合軍による戦争が起きたのです」
「連合軍? 聖光教会との対立じゃなかったんですか」
「元々聖光教会は軍を持っていなかったので。各国が軍を派遣して連合軍を結成してニーグス一派を止めたそうです」
「なるほどね。じゃあ、ニーグス派っていうのは、そのニーグスの思想を受け継いでいる人たちってこと」
「はい。同じ魔神教徒として恥ずかしい話なのですが、ニーグス派は”人類の解放”と称して”礎”に攻撃を仕掛けているそうですから」
「彼らの所為で魔神教全体が悪く思われているってことね」
「残念ながら」
まるでどこかのテロリスト集団のようなものだ。
元の世界に置き換えてみればよくわかる。一部の過激派の所為でイスラム教徒全体であったり中東の人々に偏見を持つものがいたりするのと同じ状況ということなのかな。
「そう言う関係もあって寄付金が少ないってことね――。それで、こっちは食糧庫でいいのかしら」
「ええ、お金と言う形でなく寄付を頂くこともあるんです。商品にならないものであったり、食堂で鮮度が落ちてお客様に提供できなくなった野菜を頂いたりしています。後は子供たちが仕事先でもらってくることもありますね」
「仕事? 子供たちも働いているんですか」
「ええっと、そうですね。12歳になると万屋ギルドで仕事の斡旋を受けられるようになりますので、お屋敷や商会で雑用仕事を貰ったりしているみたいです。いまは三人の子たちがそんな感じで外で働いています」
話をしながら食糧庫の中を見てみるとほとんどが芋類である。
多分、日持ちしないような葉物野菜なんかはすぐに消費して芋類ばかり残っているのだろう。それも、鮮度のいいものでなく干からび始めているようなものばかり。肉は当然ないみたいだけど、せめて野菜にしても新鮮なのを食べさせてあげたいものだ。
キッチンを出た後は、寝室を回ってそのまま庭に出た。
庭には洗濯物が干されているほかには、井戸と広場があった。私たちが大人の話をしていると詰まらなそうに離れていった子供たちが駆けっこなのか元気に走り回っている。せめてボールでもあればいいけど、遊具の類は見当たらない。
「ここは子供たちの遊び場ですか」
「今はそうですね」
「今は?」
「孤児院の経営は昔から厳しいかったのですが、私の小さい頃はここで野菜を数種類育てていたんです」
「いまはなんで育てないの」
「育てないというよりも、育たないんです。なんでもいいから育てることができればと考えていろいろ試したんです。土の精霊石を試したこともありますし、土の加護持ちの精霊教徒に頼んだこともあるんです。でも、どうにもならないみたいで」
悔しそうに顔を歪めてシスターが言う。そりゃあ第三者である私が考えることくらいすでに試しているか。子供たちの食糧事情をシスターはずっと憂いてきたはずだから。何かできないかと模索したのだ。
オルトの話じゃ精霊石を使えば畑は元気になるはずである。それでもダメだというのなら根本的に問題があるのかもしれない。
お婆ちゃんが言うには、土は生き物だそうだ。その言葉を借りれば、ここ土は死んでいるのだろう。死んだ土の上では種を植えたところで何も育たない。
でも、畑があるというのはいい。寄付が少なくても自給自足できれば食糧事情は改善されるはずだから。
「諦めるのは早いかもしれませんよ」
私はそうつぶやくと、畑の方に歩いて行きしゃがみこんで土を手で掬ってみた。どこにでもある乾いた土だと思う。私に土の良し悪しを判断する事なんてできない。
でも、違う世界から来たからわかることもある。
精霊の話を聞いた時に”土”に関してだけ異質だと思った。
火の加護持ちは火を操り、水の加護持ちは水を操る。そして、風の加護持ちは風を操るのに、土の加護持ちは土を操るのではなく土を元気にするという。
広義に捉えればそれもまた土を操っていることなのかもしれない。
でも、違和感を感じる。
「何かわかるのか」
「たぶんね、この土は死んでいるんだと思う」
「死んでる?」
聞きなれない言葉に首を傾げながら、私の横でシスターとオルトが私と同じように土を見ている。
土は生き物であるというのは、土の中には微生物がいることを指している。微生物がいなければどうなるのか、その土地では植物は育たない。それが土が死んでいるという状態だ。
多分、土の加護持ちや土の精霊石が操っているのは土ではなく、土の中に生きる微生物だと思う。微生物を活性化することで土を構成する有機物が分解され、植物を育む栄養に生まれ変わる。
それが豊穣を実現するのだ。
もちろん、それは想像に過ぎないのだけど、だとしたらやるべきことは一つ。微生物や有機物の無くなったこの畑にそれを入れればいい。
「オルト、腐葉土を取ってきてくれないかしら」
「腐葉土?」
「森の中にあるでしょ、葉っぱや枝が落ちてふかふかになった地面。それらを集めてきてほしいの」
「それをどうするんだ」
「確証はないけどね、この畑を生き返らせることができると思う」
「本当ですか!」
元々畑として使われた場所なんだ、水はけが悪いとか日照時間の問題など場所が起因する要因は少ないと思う。おばあちゃんの畑仕事を手伝うだけじゃなく、私だって家庭菜園でハーブを育てたりはしていたし、素人に毛が生えた程度だけど知識が零というわけじゃない。
「絶対とは言えないからそんなに期待しないで」
「とりあえず腐葉土を集めればいいんだな。まかせろ」
「ありがとうございます」
オルトはそういって孤児院を出ていった。
ぼんやり待っていても仕方ないので、畑を復活させる準備をしておこう。
「鍬とか農具はありますか? オルトが戻ってくるまでに耕しておこうと思いますが」
「あります。少し待っててください」
そういってシスターがどこかへ走っていく。そんなに慌てなくていいのに、と思うけど居ても立っても居られない、そんな気持ちは理解できるから私は温かく見守っていた。