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洗礼

 洗礼を受けることについては道中、オルトと話し合って決定していた。定住するつもりのありなしに関係なく精霊石を使用できるようになることは旅をするうえでメリットしかない。

 ものすごくしつこい店主を引きはがしながら靴屋を出た私たちは精霊教の教会を訪れることにした。まあ、近くにあったからというのが理由なんだけどね。


 教会は白く丸い半球状のドームになっていて、火・水・風・土という四つの精霊をイメージしたモニュメントが入り口前に飾られていた。いや、正直火は炎っぽいからわかるんだけど、それ以外のものはどれがどれを表しているのかさっぱりわからなかった。

 数段の短い階段を上って中に入ってみると、ドーム内は二重構造になっていて内側にもう一つのドームがあり、外ドームと内ドームの間は通路になっている。。


 オルトが中に入っていくので後をついて行く。

 入り口から真っ直ぐに進むと中央に祭壇のようなものがあり、その周囲には椅子が並べられている。おそらくは説教を聞くための場所なのかなと思う。


「不思議なところね」


 私は誰に聞かせるでもなくつぶやいた。

 精霊の力に満たされている、なんていうと何を言っているんだこいつは、と思われるかもしれないが、教会の中は人工物の中でありながら森や湖の畔にいるような清涼さと静寂が感じられた。


 ドームの天井にはガラス窓が嵌められているようで柔らかな光が注いでいる。

 私たちが今いる祭壇からは四方に道が続いていて右手奥に火の精霊像、右手前に風の精霊像、左手奥に土の精霊像、そして左手前に水の精霊像が飾られている。精霊像は四大精霊が具現化した姿だそうで、すべて美しい女性の姿をしていた。

 それぞれの像の前は祈りをささげる場所となっているようで、敬虔な信徒らしき女性が風の精霊像の前で膝をついて首を垂れていた。


「司祭様っていうのはいないみたいね」

「いや、そこにいるのが司祭様だと思う」


 祈りをささげているのは信徒じゃなくて司祭様だったらしい。司祭だからそれらしい服を着ているのかと思っていたけど、それは地球の常識を押し付けていただけみたいだ。彼女は清純な白を基調とした服を着ているけども、街にいる人たちと似たり寄ったりな恰好をしている。


「なんでわかるの?」

「髪が長い」

「それだけ?」


 確かに彼女は伸ばした髪の毛をきれいにまとめてて、細くてきれいなうなじが見えるけど解けば腰を超えるくらい長いのは想像に難くない。けれども、街を歩いていて髪の長い人なんていっぱいいたと思うんだけど。


「それだけだが、十分な理由だよ。精霊教の神官は生涯髪の毛を切らないんだ。自然とともにあるという考えのもとに、身体に刃物をいれるのを嫌うんだ」


 そういえば、地球でもシーク教徒は髪の毛を切らないんだっけか。それにユダヤ教徒も髭を剃らないというし、そういう宗教があっても可笑しくはないか。


「オルトは切っているのよね」

「信徒に強制してるわけじゃないし、司教や司祭も絶対ってわけじゃないんだ。ただ、司教様を見分けるポイントにはなる。それに服も白いだろ。別に白に決まっているわけじゃないけど染色した服を着ることもないかな」

「そういうこと」


 本当に自然のままというのを体現しているんだろう。髪の毛を伸ばしっぱなしといっても、某ビール会社が発行している本に出てくるように何メートルもの髪の毛というのは通常はあり得ないそうだ。当たり前だけど髪の毛は当然生え変わるわけだし、一メートルを超えることは稀らしい。


「すみません。お待たせしまして。精霊との会話に夢中になっておりました」


 そういって振り返った司祭様は服の色にも負けないくらい色白の落ち着いた雰囲気の女性だった。何となく先生と呼びたくなるようなそんな空気感。

 司祭ともなると精霊と会話できるのか、それとも痛いやつなのか微妙なところだ。


「それで本日はどうなされましたか」

「こちらの方に洗礼をと考えているのですけど、ご都合のいい時間をお伺いしても」

「他の訪問者もいませんし、いまからでも構いませんけどお二人はお時間ありますか?」

「そんなすぐにできるものですか」

「ええ、問題ありませんよ」


 どうする? とオルトと目線で会話して折角なのでこのまま洗礼を受けることにした。すると司祭様は「では準備をします」といって教会の戸を締めに向かった。洗礼の最中に誰も入ってこれないようにという配慮なのだろう。準備をするとは言ったけども、彼女が行ったことはそれだけで、何か儀式に関する道具を持ってきたりということはなかった。

 そして、どこで洗礼をするのかと思えば中央の祭壇である。


「こちらで仰向けになってください」

「ええと、はい」


 てっきり説教する司祭とかが上がるための壇上だと思っていたらちがったらしい。言われるがまま私は祭壇へと上がり横になると、石の床の堅く冷たい感触が背中から伝わってくる。


「そのまま目を閉じて、呼吸をゆっくりとして気持ちを落ち着けてください」

「はい」


 目を閉じると司祭様の手が私のお腹の辺りに乗せられる。

 冷たい背中と、彼女の手の温かさが心地いい。


 司祭様が何かをつぶやいている。というのが辛うじてわかる程度の小声で、呪文なのか祝詞なのか声が聞こえてきた。

 いつもなら思念としてこの世界の言葉も翻訳されるのに、司祭の言葉は捉えどころがなく何を言っているのか全く分からなかった。声が小さいせいかもしれない。

 ただ、その音の響きはまるで川のせせらぎや、森の枝葉が揺れ動くざわめきのように心地よく私の意識を深く沈み込ませていった。


 そのまましばらく耳に入ってくる音を聞いていると、突然視界が開けたような気がした。世界とつながる感触とでも言えばいいのだろうか。

 いつの間にか背中に感じるのは堅い石の床ではなく緑豊かな草原に寝転がっているような感覚に変わっていた。

 いや、それどころか緑の匂いすら感じられる。

 お腹に添えられている手の感覚は消え失せ、まるでそこから一本の木が生えているような不思議な感覚へと変わっている。


 精霊教が自然と共にあるというのが、この洗礼を通してまさに実感できるのだ。


 大地の持つ力。

 圧倒的な自然の力が身体に流れてくる。

 けれども、自然の雄大さに比べて私という個はあまりにも小さい。

 受け止めきれない力が私の体からこぼれて大地へと帰っていく。

 最初はそれが勿体ないような感じがして、次に自然に見放されたかのような不安がどっと押し寄せてきた。私はそれが悲しくて哀しくて見捨てないでと必死に手を伸ばす。


「大丈夫ですよ」


 優しい言葉とともに、私の手をつかんでくれたのは細く華奢な手。目を開けると優しい微笑みを携えた司祭様がそっと私の頬に手をくれた。

 そこで初めて涙を流していることに気がついた。


「あの……これ……」

「大丈夫です。精霊はあなたと共にありますから」


 私が泣いている理由なんてお構いなしに、司祭様はそう答えた。洗礼式で涙を流すものは少なくないのかもしれない。なぜ、こんなにも感情が揺さぶられているのかわからないが、司祭様が口にした通り胸には温かい力が宿っていた。

 それが精霊の力ということなのだろう。

 その力を感じるとほっとするのだ。


「アイカ?」

「大丈夫よ。これって土の精霊の加護ってことでいいのかしら」

「そう感じられるのであればそうなのでしょう」

「はっきりしないのね。オルトはどうだったの」

「感覚でわかる」


 詳しく聞けば、精霊のイメージである赤=火、青=水、緑=風、黄=土がそのまま内側に感じられる力の色となっているらしい。オルトは赤い力を感じるらしいのだけど、私の感じているものに色があるとすれば黄色だと思う。それに儀式の最中に感じた情景はどう考えても火や水ではないと思う。


「ありがとうございました。これで洗礼は終わりなんですよね」

「はい。精霊のお導きが貴女にありますように」


 特に信徒としてやるべきこととか説教があるわけでもないし、聖典を渡されるわけでもなく儀式は終了である。事前に聞いていたけど、こんな形で宗教は成立するのだろうかと思うほどあっさりしたものだ。もちろん私が望めばそういうこともしてくれるのだろう。


「さきほどは熱心に祈りを捧げていましたけど、精霊教では決まったお祈りの仕方や言葉はあるんでしょうか」

「いいえ、それぞれ思い思いの形で構いません。精霊は自然と共にあるものです。自然がそうであるように、精霊もまたありのままの貴女を受け入れてくださいます。それでも形がないことでお困りでしたら、さきほど私がしていたように膝をついて手を組むのがよいでしょう。

 それから祈りに関してですが、我々は精霊に何かを望み祈ることはございません。我々の生すべては精霊と自然の営みの結果なのです。ですから、我々は祈りではなく感謝を述べています」


 自然な微笑みを携える司祭様をみて、オルトが私の食前の言葉から精霊教があっているといった理由がわかった気がする。神に祈ったところで明日が変わるわけでもないのだし、感謝するというあり方はすごく好きだ。初詣の時にはいろいろとお願い事をするけど、おばあちゃんはお願いじゃなくて一年間平穏無事だったことを感謝しなさいと言っていた。日本でも無宗教だったし、あんまりよく知らないけど宗教もこういうのだったらいいかもしれない。

 私は祭壇から降りると、なんとなく土の精霊の像のもとへと近づいて軽くお礼を述べた。


「私に加護を与えてくれてありがとうございます」


 精霊像が優しく微笑んでくれた気がするけど、それはきっと気のせいだろう。中央の祭壇に戻ってくるとオルトが司祭様に寄進をしていた。私が無一文だと思ってのことなのだろうけど、なんとなく悪い気がしてくる。そろそろ本当のことを言わないといけないかしら。

 ちなみに精霊石の販売は精霊教の独占らしいので、精霊教は結構お金を持っているようだ。なので寄進はほんの気持ち程度で大丈夫らしい。


「ありがとう」

「大したことじゃないさ。さて、いくか」

「ええ」


 司祭様に見送られ私たちは教会を後にした。

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