ただいま
炭化した樹木。
荒れた田畑に囲まれた朽ちた家屋。
廃墟となった村に私は帰ってきた。2年近く過ごしてきたこの世界、オルトに助けられ、ロニー君の逃避行を手伝った命がけの日々。
ただの一般人が殺されかけたり王様にあったり、世界の裏側をのぞいたり濃厚すぎる毎日。それが終わりを迎えようとしていた。
「アイカさん、本当に帰っちゃうんですね」
「うん」
私の返事は短い。
ここに来るまでいろいろと話をしていたし、口を開くたびに思い出が噴水のようにあふれてくる。
私が視線を移すと、大広間の床にはあの日見たような幾何学文様が描かれているところだ。
賢人会の研修者たちは空渡りも界渡りも解析を完了させた。アルバートの資料と『禁書』としてひっそりと保管されていた書籍類を紐解いた結果、賢人会は早々に結界の外側の調査を実施したらしい。
それによると予想通り『聖樹』が枯れ始めていることが原因で結界のほころびが加速していることが分かった。だが、それと同時に外の世界が安全であることは確認できた。
『黒が訪れる』とは、大陸の人々が外の世界に訪れることを表していたのだろうというのが賢人会の見解となった。何しろ、外の世界からこちら側は結界のせいで暗黒世界と映っていたらしい。まあ、全部後付けだと思っているけど。
ちなみに外の世界で七尾の妖獣はすでに息絶えていたらしい。
「ロニトリッセ様は俺が必ず守るから」
「お願いね」
「ああ」
オルトとハグをする。
アルバートの処刑はまだ終わっていない。でも、オルトの中で区切りが出来たのか、最初ころにあったのような影はもうどこにも見当たらなくなっていた。昔の彼女さんのことは忘れられないだろうけど、これから幸せになってほしいと思う。
「準備が出来ました」
研究者の一人が声を掛けてきた。
アルバートの研究資料から異界との接続方法は判別していたらしいけど、違う場所、例えばイーレンハイツ領から界を開くと地球の別の場所につながる可能性があるということで、私たちは始まりの場所へと来たのだ。
私が頷き返すと、マナ石が設置され召喚陣へとマナが注がれていった。
「アイカさん!!」
「ロニー君、いままでありがとう」
「それは僕のセリフです。アイカさんから受けた恩は忘れません。そしてイーレンハイツ領を発展させることをアイカさんに誓います」
界が開けるなら自由に行き来できそうだけど、それはしない約束になっている。そのと世界の安全は確保されたけど、まだ結界を解いてはいないし、いつ解くのか決まってはいない。結界の綻びだけでなく、界渡りが世界にどんな影響を与えるのか分からない。
召喚術は再び『禁術』として葬られる予定なのだ。
「ロニー君。体調管理はしっかりしなきゃダメだよ。大変な時期に一緒にいられなくてごめんね。でも、ロニー君なら出来るって信じているから」
「はい」
「オルトもお願いね」
「護衛としてできることはするさ」
「うん。でも、たまには話し相手にもなってあげて」
「……善処する」
「相変わらず堅いね。でも、それがオルトらしいといえばらしいか」
召喚陣の上に空間の揺らぎが発生し始めた。
もう、時間はない。
「元気で」
「はい」
私は最後にロニー君をぎゅっとハグをして召喚陣の中央へと進む。召喚陣から立ち上がる光がどんどん強くなってくる。
涙をぐっとこらえてるロニー君とその背後にいるオルトの姿が光が強くなるとともに見えなくなっていく。
ああ、本当にお別れなんだ。
私がこの世界に戻ってくることはもうない。
死んだわけでもないのにもう会えない。
思い出があふれてくる。
思い出してもよくわからない。生贄と召喚された私がなぜかイーレンハイツでは悪女と呼ばれるようになった。そう思うと、涙より笑いがこみ上げてくる。
「じゃあね」
聞こえたか分からない。
でも、きっと聞こえたと思う。
眼を開けていられないほど光が強くなって目を閉じた。
次に目を開けた時、そこはもう東京のアパートだった。
ベッドと段ボール、引っ越したばかりで何もない部屋。いや、違うものが一つ。
「……アイカ?」
掃除機を手にした母親が立っていた。
「なんで」
「もうすぐ契約が切れるから、最後の掃除にって。そんなことより、いま光から出てこなかった?」
「うん。出てきた」
「いや、どういうこと」
「いいじゃん。そんなこと」
「よくないわよ。どこに行ってたのよ」
「お母さん」
私はお母さんの胸に飛び込んだ。掃除機を持っている母親はきょとんとしたまま。
「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん」
「どうしたの」
「お母さん」
「ああ、もう」
掃除機を手放した母が私と同じようにギュッと抱きしめてくれる。ロニー君やオルトとの別れのときに堪えていた涙がとめどなく溢れてくる。
「お母さん」
「なに」
「ただいま」
「……お帰り」
拙作をお読みいただきありがとうございました。
また、新しい作品を書くときはよろしくお願いします。




