奇跡と疑惑
城内は慌ただしく人々が動いていた。
会議の途中で突然倒れたロニー君が寝室の一つに運び込まれてすぐに、控室で待機していた私とオルトは呼び出された。
控室に入ってみれば、エストリア公爵とにらみ合うようにしたカルトラッセと、その奥で荒い呼吸をするロニー君が目に飛び込んできた。慌てて側に駆け寄ったところで、カルトラッセとひと悶着あったけど、それはエストリア公爵が仲裁してくれた。
うっかり愛称で呼んだ私も悪いけど、慌てていたんだからしょうがないじゃない。
ロニー君は見るからにすごい熱が出ているのがわかる。
意識がもうろうといているのか、目の焦点が合わないようだ。私はすぐに土の精霊術による治療を施そうとして、背後から聞こえてきた言葉に思わず動きを止めた。
「ロニー君の父親と同じ病気?」
あり得ないでしょ。
伝染病だとしていつ感染したというのだろう。ロニー君はお父さんの死に目にも会えなかったくらいだし、そもそも会議の場で倒れるなんてタイミングが怪し過ぎる。
ますますカルトラッセへの疑いを強めていると、
「――司教の祈りも父には届かなかった」
怪しさの天元突破じゃないだろうか。カルトラッセにとって都合の良すぎる展開すぎないだろうか。ロニー君のお父さんの死については、怪しいとは思っていたけどさすがにそこは偶然だろうと思っていた。
でも、同じ症状でロニー君が倒れたとしたら、あからさまだよね。でも、聖光教会の扱う奇跡でも治せないとはこれ如何に。
「奇跡でも治せないものってあるのでしょうか。もちろん、術者の格によると思いますが、病気、怪我を問わず癒せないものはないと聞いていますが」
「聖光教会の威信にかかるから、彼らは否定するだろう。だが、”奇跡”を謳っているがそこまで万能ではない。女神そのものならともかく、聖光教会の信徒は女神より力の一部を借りているだけだ。例え聖皇でも人の理を外れているわけではない」
万能じゃない。
それはそうだろう。私は目にしたことないけども、精霊術と比較すれば文字通り奇跡に等しい術ではあるようだけど、結局のところ共通するのはマナを何らかの現象に変換しているのだと思う。
そう考えると怪我の治療も病気の治療も身体の自己治癒力の強化ってところか。それなら極論私の土の精霊術と大差はない。
それでも治せないもの――?
「例えば毒物に対して奇跡は有効でしょうか」
「毒物。おい、まさかロニトリッセに誰かが毒を」
「誰もそのようなことは申しておりませんよ。前イーレンハイツ公爵には祈りが届かなかったというので、どのような場合が考えられるのかと疑問に思っただけです。ああ、そうですね。そもそも、前イーレンハイツ公爵閣下と、ロニトリッセ様が同じ症状とは限りませんものね」
「何が言いたい」
「いえ、それよりエストリア公爵閣下。いかがでしょうか」
「わからん」
「わからない。それはどういう……」
「毒と言えば、その場で心の臓を止めるようなものがほとんどではないか。つまりは間に合わない」
「でも、麻痺毒や蓄積するタイプの毒もありますよね」
「ああ、だが、逆に死に至らないものであれば、どちらにしろ時間とともに解決するのがほとんどだ。さっきも言ったように奇跡も万能ではない。奇跡の祈りが届かなかったとしても、それが毒物の影響によるものだと判断することが出来ない」
「ということは、毒物の場合奇跡が通じない可能性もあるってことですよね」
エストリア公爵が言ったことがすべてではないだろうか。つまり細菌感染やウイルス感染なら奇跡で治せる可能性は高い。自己治癒力が強化されれば、通常なら増殖を抑えることのできないウイルスと戦えることだってあるだろう。
でも、毒の治療って何?
詳しくは知らないけど毒蛇に噛まれたら血清を注射すると聞く。つまり、毒を打ち消す薬が必要ってことだろう。自己治癒力云々でどうにかできるものじゃないのだ。毒も慣れれば効かなくなるらしいけど、それは自己治癒力が上がったわけではなく耐性がつくだけだ。
「あれ、そういえば、前イーレンハイツ公爵にも奇跡が通じなかったんでしたっけ」
「何が言いたい。女!」
「いえ、特には」
カルトラッセがロニー君と同じくらい顔を赤くしているけど、私に彼に構っている暇はないのだ。ロニー君をどうにかしなきゃいけない。
「不敬にもほどがあるぞ。平民風情が私を誰だと思っている」
「ロニトリッセ様のお兄様ですよね」
「それがわかっているのなら、言葉に気をつけろ。大体貴様は何をしている。おい、さっさとこの女をつまみ出せ!!」
「カルトラッセ。先ほども言ったが、これはロニトリッセ本人の要望だ。加えて私も彼女が傍にいることを許可している。これ以上騒ぐというのなら、貴様のほうを部屋から退出させるぞ」
「くっ」
流石イケオジ。
下唇をかみしめるカルトラッセを無視して、まずはどうするかを考える。でも、とりあえずはと、ロニー君の自己治癒力が上がるようにマナを注ぐ。
どうしたらいい。
そもそも、どうやって毒は体内に入った?
食べ物や飲み物の可能性はないと思う。控室では同じ水差しから水をのんでいるし、朝食はエストリア公爵のところで食べている。
経口でないなら、注射とかそういうアレだろうか。手に触れただけで廻る毒もあるんだったっけ。
「すみませんが、タオルと替えの服をお願いします」
高熱を発しているロニー君は言うまでもなく大量の汗を掻いている。それを言い訳に、汗を拭くふりをしてロニー君の体を隅々調べる。
腹筋、胸筋、広背筋、上腕、おー、意外に筋肉付いているのね。
って、そうじゃないわね。
うん、でも、毒に触れていれば、その場所は何らかの変化をするはず。でも、どこも赤くなっていたり変色している部分はない。
ない?
いや、そもそも、お腹とかそんな場所のはずがない。
とすれば…あった。
「聖光教会の大司教様が到着されました」
「待っていました。どうぞ、こちらへ」
私の思考を遮るように、50代くらいの白髪の混じり始めた緑髪の夫人が入ってきた。島のおばあちゃんを彷彿とさせる柔らかい雰囲気をしている。
彼女はゆっくりとした動作でロニー君の近くまで来ると苦しそうな顔を見て、悲しそうに目をつむった。
頬を撫で、手を両手で包み込むように握ると、膝立ちとなって祈りをささげる。それはロニー君の回復を願う神聖なもの。
二人を包み込む淡い光が見える。
眩しくはない。
ロウソクのような優しい明り。
女神の奇跡とはよく言ったものだ。
ロニー君の呼吸が少しずつ穏やかになってきた。顔色も心なしか、赤から桃になったようだ。祈りが届いた。
本当にただの急な発熱だったのだろうか。
髪の毛に隠れて赤い斑点があった。それは間違いない。
でも、治るならそれでいい。毒でも毒じゃなくてもどっちでもいい。ロニー君が元気になることが大事だ。
治ってくれ。
このまま、何事もなかったように「アイカさん」と呼んでほしい。
どのくらい時間が経っただろうか。
ずっと祈りをささげている大司教の額にも大粒の汗が浮かんでいた。
そして、二人を包んでいた淡い光が収束する。




