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二重の罠

「しっかし、ほんまに自分を囮に使うとは、兄さんの恨みもこわいなー」


 崩れ落ちたゼロスを遠目に見ながらルモントは事の成り行きを見守っていた。倒れたのはゼロスだけではない。戦場で立っているものは一人もなかった。

 アルバートもオルトも、護衛に雇った傭兵もすべて。


「こんなものが効くんかと思ったが、効くもんやな」


 ルモントの近くにあるのは蓋の開いた瓶が三つ。

 二つは空で、一つだけに液体が入っている。一つにしか中身がないのは、三つの液体を混ぜたからに過ぎない。そこにあるのは無色透明な液体だが水ではない。

 混ぜ合わせて出来たのはある種の毒物。

 気化したそれを嗅げば身体の自由は奪われる。

 そんな劇物の近くにいてルモントが平気なのは、側にいる風の精霊術士の力である。


 オルトから提案のあったアルバート攻略のカギが毒だ。

 卑劣、卑怯、狡猾、姑息、歴史の中で悪し様に語られることはあれど、戦場で毒を使うをいうのは古くからある手法である。

 通常は風下に相手を追い込んだり、閉所に誘い込むことで行う方法で、森の中とはいえ、開けた場所でやる手法ではない。誤爆というのがあるからだ。

 だが、風の精霊術士は風を操る。

 ある特定の範囲にだけ毒を含んだ空気を滞留させるということも可能なのだ。もっとも、かなり高位の術者にしか出来ることではないが。

 風の精霊術士による遠距離通信もまた限られた者だけの技術である。


「ま、兄さんの言う通り、妖獣も結局のところ生き物いうことか」


 どれだけ不思議な術を行使できるといっても、身体には血が巡り、呼吸をして、心臓が動いている。生き物には違いはないのだ。人に効く毒が効く可能性は当然ある。

 なぜ、それが妖獣との戦いで使われないのか。

 それは偏に一つ所に留めるのが難しいからだ。

 妖獣との戦場において、基本的な戦術は遠距離からの弓矢、投石、投槍によるもの。王国では行われないが、魔術による攻撃もある。接近しても槍兵が基本であり、剣術遣いの活躍の場はほぼない。

 大きなタワーシールドを構えた部隊と、槍術兵の部隊による攻撃により包囲網で抑え込むのが基本だ。

 それにしてもゲナハドの炎であるように、包囲網を突破するすべはある。ゼロスの場合は、身軽さを生かして兵の頭を足場に駆け抜けようとするだろう。

 それだけの戦力を投入しても、妖獣を一か所に留めるのは難しいのだ。


 だが、アルバートに使役された妖獣に限定すれば前提が覆る。

 野生の妖獣と違って使役された妖獣は能力が劣るというのは、シンプルに野生を失うからだ。ゲナハドの時もそうだが、野生であればしない行動をしてしまう。それこそが付け入る隙と言える。


 ゼロスが自由に動くことが出来たなら、毒に気がついた時点でこの領域から離れることを選択した可能性もある。だが、殺せという命令を受けていたゼロスに離れるという選択が出来なかったのだ。

 それでもある程度の時間、その場に留めておく必要がある。それゆえに多少の時間稼ぎが必要だった。さらに言えば素早いゼロスにのみ毒を嗅がせるのは困難なため、周囲一帯に毒を散布する必要があったのだ。


 その結果がいまの現状である。

 オルトもアルバートも例外なく麻痺毒を受けている。


「とはいえ、慎重に行かせてもらおうか」


 倒れているといっても五尾の妖獣である、警戒し過ぎということはないだろう。毒は倒れたゼロスの周囲に展開したまま、風の精霊術士やそのほかの部下を伴ってルモントは慎重に接近する。

 そして、一定の距離を置いたところで、魔術をくみ上げる。

 連れてきている部下は僅かに3人。

 ゼロスが厄介なのは素早い動きではなく、あらゆる攻撃を無効化してしまう空間を切り裂く能力である。だが、麻痺した身体ではどうすることもできない。

 練り上げられたマナが濁流となってゼロスへと襲い掛かる。


 黒い渦に飲み込まれた後に残されたのは、身体の大部分を損壊された哀れな躯が一つ。


「さて、兄さんには悪いがアルバートの身柄はこっちで貰うわ。なんで、ワシが裏切らん思うとったかわからんが、それともアルバートさえ殺せればそれでええいうことやろか」


 憐みの視線を受けたオルトが徐に動き出す。

 その姿はゼロスから受けたダメージはあるものの同様の麻痺毒を受けたとは思えないほどに滑らか。


「毒を誰が用意したのか忘れたのか。解毒薬も当然準備してるさ」

「そか。せやけど、ゼロスの攻撃をまともに受けたんが失敗やったんと違うか? 兄さんが凄腕やいうのは分かっとるが、その傷でワシらを相手にできるとでも」

「そうでもない」


 ルモントがゼロスを狩るために慎重になっていたお蔭で、オルトは少しの間体を休めることができた。怪我が治癒したわけではないが、痛みというのはある程度は時間が経てば鈍化する。もちろんそれだけではない。

 オルトの視線が自分たちを見ていないことに気がついたルモントが背後を振り返ると、そこにはエズラ子爵の家紋の入った鎧を来た兵が一人二人と近付いてくる。


「そうきたか」

「ゼロスに止めを刺すのにマナをかなり消耗したんじゃないのか」

「……」


 幾ら動けない相手とは言え、手加減をして殺し損ねるという事態だけは避ける必要があった。それもまた計算の上だった。


「十重二十重に仕掛けてくるとは、腹芸の出来ん兄さんらしくないやないの」

「俺の案じゃないからな」

「なるほどのぉ。次期公爵様ってのは末恐ろしいこっちゃ。これは完全にワシの負けやな」


 手を上げて参った参ったと、その場を離れようとするルモントに待ったを掛ける。


「一つ聞きたい」

「なんや」

「ルモントなら何か知っているんじゃないのか。黒髪黒目の女が指名手配された理由を」

「繋がりあるんを隠す気はないんやな。そういうてもワシらも知らん。まあ、知っとっても口を割るわけないやろ」

「そうか」

「そうや」


 視線が交差するのは僅かな時間。


「ま、兄さんにはまたどこかで会いそうな気がするわ。ほなな」

「俺はもう会いたくないけどな」


 立ち去っていくルモントたちを見送り、麻痺毒の効いてるアルバートをエズラ子爵の兵たちが縛り上げていく。生き残っていた傭兵たちには解毒剤を飲ませ、仕事完了のサインを渡す。


 エズラ子爵が協力したのはこの作戦に利があると判断できたからだ。

 そうでなければ、無償で馬車を出すはずがない。何事もなくエストリア公爵までたどり着けば、馬車は傷つかずに返却される。そして、今回のように事が起これば、隠れ潜んでいた兵士が顔を出す。

 ただの盗賊に襲われたのは予定外だとしても、エズラ子爵にはほとんどリスクがなかったのだ。

 遠く離れてことの成り行きを見守るだけで、アルバートの逮捕に貢献できる。たかが犯罪者の捕縛とはいえ、一級犯罪者であるアルバートの罪状は重く国への貢献度と考えればそれなりに高い。

 領地を持たない子爵位にとっては、馬車一つ壊される程度で済むのなら十分協力する理由となり得たのだ。

 もちろん、毒を用意したのもエズラ子爵である。

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