一人の朝食
目を覚ましたロニトリッセは上体だけ起こして大きく伸びをした。
「ふあぁあー」
あくびとともにベッドから出て、カーテンを開けても外はまだ薄闇の中だった。とっくにいい時間だったが日の出の遅くなるこの時期は、朝日を浴びてすっきりと目を覚ますことができないのが少しだけ好きになれなかった。
「うわ、さむっ」
窓を開けると冷たい風が思考を一瞬にしてクリアにする。冷たいけれども冬の空気が肺に満たされるのが、先ほどとは真逆でロニトリッセは大好きだった。
夏よりもなんだか美味しい気がする。
「アイカさんはどうしてるのかな」
少し前に屋敷を離れた彼女のことをロニトリッセは思い出す。子爵の突然の宣言に驚きつつも、あっさりと事実を受け入れ屋敷を離れたアイカ。
ロニトリッセは彼女とともに屋敷を出ることを考えたが、それを止めたのもまた彼女だった。
「僕じゃ頼りになりませんか……ならないんですよね。でも、アイカさんに頼りにされるようになって見せますから」
今の自分に力がないことは誰よりも分かっていた。
だけど、公爵になることで、マランドン王国の国王となることでアイカの必要とする知識にアクセスすることができるようになる。それが分かっていた。
だからこそ、アイカを切り捨てたエズラ子爵のもとで不本意ながらもいまだにお世話になっているのだ。
「ロニー様、朝食の準備が整いました」
ノックとともにエリンと言う名のメイドから声が掛かる。返事をすると、カートに乗った朝食が運び込まれてきた。焼きたてのパンに、スープ、焼いたベーコンに蒸かしたジャガイモと簡単なものだけれども、それでも平民では手が出せないような代物ばかり。
エリンはそれらすべてをテーブルの上に並べると、最後にティーポットから紅茶を注ぎ入れると、部屋を後にする。
「ありがとうございます」
彼女の背中にそう声を掛けてロニトリッセはパンを手に取った。一人での食事は寂しく感じるけども、それはここ最近ずっとアイカが共にいたからで、それまでを振り返っても人と一緒に食事をしていたのは幼少のころ、母親がまだ生きていたころまで遡らないと記憶になかった。
父親とさえ食事会でもなければ共に食事をすることはなく、もちろん食事の席に人がいることはあっても、それは従者であり共に食事をする相手ではなかったのだ。
食事とは会話をしながら行うもので、食事会ともなると食べ終わるのに数時間かかるのも当たり前だったが、一人きりの食事はものの数分で終ってしまう。
朝食を終えたロニトリッセは、紅茶を手に窓辺へと移動して再び窓の外を眺めた。大きな庭には冬でも咲く花が植えられていて、いくらか賑わいを見せている。
これから一週間もしないうちに彼はエズラ子爵とともにエストリア公爵の元を訪れることになっている。アイカが折角切り開いてくれた道を無駄にするわけにはいかない。
交渉の場にアイカはいないのだ。
エズラ子爵にとっても利のあることとはいえ、彼に期待をしてはいけないとロニトリッセは考えている。いまでも十分に利益を得ている彼にとって、本来なら取り次ぐ理由は希薄と言える。そう考えれば取り次いでもらえるだけでも有難いのだ。
そして、エストリア公爵を説得するのは自分自身だと。
父と話をしていたエストリア公爵のことは朧気ながら覚えている。眉間の皺とモノクル越しの鋭い眼光が記憶の中で、気難しい人だと言っていた。
エズラ子爵も合理的な人だと称していたし、確実に利があると理解してもらわなければならないだろう。
アイカの語った三つの陣営すべてが益を得るアイデアは悪いものではないけども、確実に味方に付いてくれるかというと絶対の保証はなかった。
あくまでも耳を傾けてくれるかも、そんな程度のものだ。
外を眺めながらシミュレーションをして、考えをまとめ上げていく。思考にとっぷりと浸かっている時間はあっという間で、気付けば日は高く真上まで上がっていた。
「ロニー様」
急に声を掛けられてびくりと振り返る。いつの間にかエリンは部屋の中に入っていて、ロニトリッセの背後に立っていた。
「すみません。返事がなかったもので」
「ああ、いえ、それで」
「はい。ロニー様にお客様がお見えです」
「僕に?」
「お二人の護衛をされていた剣士の方だと思います」
「へ? は?、え、それってもしかしてオルトさん?」
「はい。こちらにお通ししても」
「もちろんです」
予想外の来訪にロニトリッセの顔がぱぁと明るくなる。その様子を見てエリンの顔もまたほころんだ。アイカの去った後、ロニトリッセの顔には暗い影が付いていたのをメイドである彼女は知っていた。
ただのメイドと言っても、数か月も専属のように付いていれば情は移るというものだ。
嬉しい知らせを手に待たせているオルトを呼びに彼女は戻った。
一度目の来訪は門番に止められたものの、孤児院へと赴いたオルトはアイカやエズラ子爵と孤児院の関係がいまだ続いていることを確認すると、自身の手紙を孤児院の報告書の中に紛れ込ませてもらったのだ。
その書類自体は子爵まで行くことなくメルベの元で止まっていたが、彼は孤児院で一度オルトに会っていた。手紙の主が彼本人であることを確認するのは難しくなく、オルトはあっさりとエズラ子爵邸への訪問を許されていた。