監視業務
高い塀に囲まれ、鉄柵の入り口には帯剣した兵が立っている。
ゲートを抜けた先には広く管理された庭が続き、その先には大きな建物が続いている。一つ一つは個性的でありながらも、大まかな構造としては同じような作りのそれらの建物が続く貴族街の一角を、見るからに場違いな雰囲気の青年が歩いていた。
「あれはなんだ。傭兵か」
離れた場所から遠見筒で屋敷を覗いていた監視者は呟いた。
カルトラッセの指示の元、ロニトリッセの滞在先の一つと目されるエズラ子爵邸に張られた監視の目に写ったのは、剣を携えた若者の姿。
「護衛として雇おうとしているのか」
「可能性はありますね」
ロニトリッセが潜伏しているとして、動くとすれば護衛は必要となる。しかし、ルーデンハイムでの襲撃により護衛はすべて死んでいるという話だった。
どういう流れか不明であれ、どこぞの貴族に匿われていたとしても護衛の兵まで借りられるとは限らない。
「そろそろ動き出す準備という事ですかね」
「ん。何か動きがありそうだ」
門番と話をしている青年の姿を遠見筒越しに監視する。言葉は聞こえないため、表情などから想像するしかなかった。
――
「いや、何も子爵様に取り次いでほしいといっている訳じゃなくて、客人としてアイカとロニト……ロニー君にオルトが来たと伝えてほしいだけなんだ。どうにかならないか」
「何度も言うが我々にはその要求には答えられない。ここは子爵様のお屋敷だぞ。誰でも彼でも話が出来るはずがないだろう」
「いや、それはそうなんだが……」
オルトはため息を吐いた。
門番が言っていることは百も承知していた。オルト自身、軍に属していた過去もあるので門番が役割以上の事が出来ないことも理解している。
だが、それでもどうにかならないのかと思ってしまうのだ。
普通、貴族は事前にアポイントメントを取って行動する。つまり、門番が受け取るのはそのための手紙か、貴族からの招待状のみである。
もちろん、事前に約束があったのなら、誰がいつ尋ねてくるのか事前に通知を受けている。それ以外はすべからく不審者なのだ。
高位の貴族が連絡もなしに尋ねてくるということもあるが、少なくともオルトはただの平民であり、門を開ける必要もなければ話を取り次ぐことすら必要ないのだ。
困ったな、とオルトは首筋を掻くと肩を落として踵を返した。
これ以上ごねても意味がないどころか、下手した逮捕される可能性も考えられた。
アイカ達に別れを告げたときは、グランデール子爵家に世話になっていた時なので、門番も当然別人で奇跡的に顔を覚えているという可能性すらなかったのだ。
オルトは貴族街を後にすると、エズラ子爵と関係のありそうな場所としてアイカと共に訪れたことのある孤児院を目指すことにした。
ダメもとで手紙でも出してみるかと、次善の策を考えながらレムリアの大通りを歩いていると、ふと背後に気配を覚えた。
「つけられている?」
レムリアの街で魔神教の司祭に後をつけられたときのことを不意に思い出すが、背後にいるのはもっと別の存在だと首を振った。
あの時のチンピラとは格が違う。
「誰かに狙われる理由なんてないんだがな」
オルトは昼飯時で人の多く集まる屋台街を抜け、尾行者の存在を確定させる。
「やっぱりついてくるか」
身体に緊張が走り、武器の存在を確認する。もちろん、街中で抜くつもりはない。それでも襲われれば話は別である。
いつでも抜ける様にと意識を周囲へ向けているが、背後の何者かは付かず離れず一定の距離を保っていた。このまま孤児院まで連れていくわけにもいかないと、オルトは敢えて路地へと飛び込んだ。
――
「歩き方からして元軍人って感じだな」
「しかも、かなりの手練れですね」
「ああ。だが、護衛として呼んだのなら、門前払いを食うとは思えない。だとしたら只の喰い詰め浪人か」
「でも、お金がないとは思えませんよ。ちゃんと身綺麗にしていますし」
服装や剣を見ればそれは一目瞭然だった。
服がなくても食べ物さえあれば人は生きていける。だから、お金がなくなってまず最初に手が回らなくなるのが服や身なりである。
「確かにな。腕が悪くなければ仕事もあるだろう。鬼獣狩りをやるって手もあるだろうし」
「そうですね」
屋敷の監視をしている彼らにとって、予想外の来訪者というのもまた監視対象の一つである。彼らが何の目的でやってきたのか。それを知ることが、探している答えにつながるかもしれないのだから。
冬で往来を行く人の流れが少ないのが、尾行に不向きだったのか、対象者の雰囲気が変わったことに二人は気がついた。
「尾行に気付かれたか」
「そのようですね。身体に緊張が走ってます。どうします。このまま継続しますか」
「そうだな……」
対象に気付かれた尾行に意味はない。
このまま引き返すか、あるいは強引に情報を聞き出すか。
「路地に入りましたよ。誘われているんですかね」
「よっぽど腕に自信があるのか」
逡巡している間に対象者が小さな路地に入ったのを二人はとらえた。脳内にこの路地の先の道が浮かび上がる。
細い路地が幾重にも続き、尾行を撒くにはもってこいであるが剣を振り回すには些か狭すぎる。
彼らは監視、情報収集が主な仕事で直接の戦闘は得意とするところではない。それは比較の問題の話で、彼らとて十分一流と呼ばれる使い手である。対象の足運びからそれなりの熟練とは想像できるが、2対1であれば対処は可能だろう。だが、
「いや、止めておこう」
かぶりを振った男に、もう一人は反論の言葉を口にしようとした。しかし、
「なんか用か?」
剣もナイフもなく言葉の鋭さだけが突きつけられていた。いつの間にか背後に対象者が回り込んでいた。街中ということもあり、その手に武器の類はない。だが、それでもいつでも抜ける、いつでも斬れるという圧倒的な力の差が感じられた。
「いきなりなんですか」
「さっきから付けてただろ」
「まさか、誤解ですよね。昼飯何にしようかって俺たちは街を歩いていただけで、たまたま向かう方向が同じだっただけじゃないですか」
尾行者である彼らは街で目立たないどこにでもいる普通の恰好をしている。もちろん、懐にはナイフを忍ばせているが、厚着をする冬では猶の事、それらの暗器は目立つことはない。
「その割には屋台街で一度も足を止めなかったようだがな」
「いやいや、俺たちはこの先の食堂がお目当てなんです。だいたい、何ですか。さっきから人のことをまるで犯罪者みたいに」
二人も誤魔化しきれるとは思っていなかった。
逃げるか、先手必勝で攻撃を仕掛けるか。お互いに言葉の応酬ではなく、一挙手一投足に神経を注いでいた。
だが、そこに想定外の闖入者があった。




