賢人会議Ⅲ
アルバートという世界の存続にすら影響を与えかねない犯罪者のために、頻繁に開かれる賢人会議に出席するために精霊教会の教皇である彼女は教会の奥にある一室へと足を進めていた。
「どうしたものかな」
組織をつかさどる長として人に聞かせることもできない深いため息を付いた。彼女には議題に掛けるべき一つの話題があった。
精霊から告げられた契約に関する話。
初めは何のことかまるで分からなかったものの、教会の古い資料を読み解き見えてきた一つの答え。それでもまだ完全とは言えないものだけれども、逆に考えれば精霊教会のみの調査では限界に達しているからこそ相談すべきだとも考えられた。
しかし、アルバートの問題が片付いていないというのに、精霊に契約を切られるかもしれないという大問題を議題にあげていいものかとも思う。いまの人々にとって精霊の恩恵は余りにも大きい。最近では精霊工学なるものまで発展を始めているのだ。
今回は聖皇からの呼び出しということとなれば結界に何かがあったのかもしれない。そう考えるとますます言い出せないという思いが大きくなっていた。
その結果出てくる、深い深いため息。
重苦しい気持ちを抱えながら扉を開けて中に入れば、廊下の先に会議の行われる円卓が見えてくる。
ここがどこなのか彼女は知らないし、ほかの参加者も知らないと思っている。
世界の大きさからすれば、とても小さな大陸であっても各地に本拠地を置く彼らが人知れず会合を開くことなど容易であるはずもない。
世界が閉ざされたときにはすでに会議場へ続く道が世界に10か所存在していた。それぞれの場所を治める者たちの係累が賢人会議の参加者となり世界を裏側から支えていた。
円卓にはすでに先客が三人あった。
卿、魔神教の枢機卿、それから今回の呼び出しを行った聖皇。枢機卿の次に若い彼女は些か気おくれを感じながら席に座る。
精霊という人知を超えたものの存在と直にあったことのある彼女にしても、卿の持つ巨大な渦潮のような雰囲気には飲まれそうになってしまうのだ。
あれは本当に人なのかしらと、彼女は心のどこかで思っていた。
特にアルバートがゼロスという妖獣を手ゴマにしたと聞いてからは彼の持つ雰囲気は一層鋭さを増していた。一瞬目があってしまった彼女は慌てて視線を動かして、次なる来訪者に向けた。
世界最古の商会長として、世界三大教以上の情報ネットワークを牛耳るカイゼル髭を蓄えた紳士の仮面をかぶった詐欺師。
あるいは化け物。
否、ここにいるのは全員がある種の化け物なのだ。強いて言えば、順番でその役割を担うマランドン王国の国王を除外すればとなるのだが。
「相変わらず締まりのない体をしとんのー」
ノーブレン公爵の額にいつも通りの脂汗が浮かび上がる。アルバートに禁書を盗まれて以降繰り返される子供のような揶揄い。それに対していつまでも卑屈な笑みを浮かべる公爵を見ていると、賢人会議から除籍した方がいいのにと、彼女は思う。
「ぼちぼち全員揃ったみたいやな」
「毎回思うのだけど、なぜあなたが仕切ろうとしているのかしら」
「別にええやろ。単にみんなが揃ったってこと口にしただけや」
肩をすくめて見せる枢機卿と、主催の聖皇。
確かに彼の言う通りゼラルダン帝国の皇帝も影を切るように姿を現す。もう一人もいつの間にやら席に付いていた。それはいつものこと。気付けばそこにいる。
「で、今回の召集はどんなわけや」
「急な呼び出しに応じてもらって恐縮ですわ」
「構わん。最近のことを思えば定期開催の必要性を感じぬほどだ」
「ありがとう。早速だけど、本題に入らせていただこうかしら」
そう言って、聖皇はこれからの発言に対する反応を伺うように全員の顔を順番に見ていった。
「アルバートの召喚による発生した結界の修復がまだ終わっていなかったの」
「は? なんやて。一体どんだけ時間が経っとる思っとんのや」
「それは想定よりも結界の綻びが大きかったということですか」
「いえ、綻びの規模はいつも通りでした。ただ――」
「術者の力不足ですか」
「いえ――」
「まさか結界そのものがもはや修復できないほどに劣化していると?」
「まずは話を続けさせなさい」
「「……」」
想定外の報告に思わず声が大きくなる2名を卿が窘める。それもまたいつものこと。その度に教皇は、彼らは賢人会議にふさわしくないと思う。
「アルバートの召喚による被害者、アンダートの森では生贄として異界より人を呼んでいたという報告だったわね。生贄として捧げながらも、そのものはまだ生きているのではないかと考えている」
「それがどういう」
「召喚された者と、元の世界とのつながり。これが結界の修復に影響を与えていると教会では考えているわ」
そこから先の聖皇の言葉は余りにも荒唐無稽に思えるようなものだった。ただ、彼女の調査の結果には耳を傾けるべき価値があった。
「では、その少女には死んでもらいますか」
誰しもが言いにくいを真っ先に平然と口にするのは商会長。ただ、全員の思いは同じだろうと教皇は考える。組織のトップとはそういうものだ。件の少女を可愛そうだとは思うが、世界と天秤にかけるには、命一つでは軽すぎる。そんなことを考えてしまう教皇は、彼らとは別の意味で自分もまた賢人会議にはふさわしくないのかもしれないと思ってしまう。
「ま、他に道はないやろな」
「だな」
「そ、そうですね。可愛そうだとは思いますが」
「ふむ。確度はいかほどか」
そこで珍しく待ったを掛けたの最も非情と思われている老人。
「残念ながら、それこそが最も高い可能性だとしかお応えできないかしら。何分、この時代には召喚術を正しく理解しているものなどおりませんし、資料を読み解くにもこれ以上の人員を割けません。綻びの修復は可及的速やかに行わなければならない以上、まずは可能性のあることに注力すべきかと」
「なんや、珍しく手を汚したくないんか。だったらワシんとこの部隊をまた動かしてもええで。どうせアルバートの方はワシの部隊だけでは対処しきれそうにないからな。それに聞けば近くにおるようやからな」
「そういうわけではないが、どうもそのものには感じるものがある」
「どういうことです」
「生き抜く強さとでもいうのか」
「それはたしかに。生贄という状態から生還していることからしてもそうですが、次から次に発明品を広めているというのは驚異的です」
「小娘とはいえ、違う世界に生まれていれば違う理を持っていても不思議ではないでしょう」
「とはいえ。どうやって貴族に取り入ったか不明ですが、少なくともこの短期間にこの世界に適応し、生活の基盤を整えている。正直、こんな事でもなければ我が商会で保護したいくらいですよ」
「くく、飼い殺しにされる未来が見えてまうわ」
「失礼な。待遇に関しては善処しますよ」
「ありもしない話よりはまず、どうするかではないかしら。教皇はどのようにお考えなのかしら。今日はまるで発言をされていないみたいですけれど」
「え、ええ。そうですね」
急に話を振られてドキリとする。
教皇としてポーカーフェイスを崩していないものの内心はバクバクと心臓が早鐘を打っていた。まだ考えがまとまっていなかった。でも、もう、今を逃せばあの話をする機会はなくなるだろう。それに――。
「私の方からも一つ話があったのです」
「ほう」
「あら、そうなの」
「え、ええ。『精霊の導き』ゆえに、皆に話を出来る形に昇華できていなかったのですが、聖皇様の話で一つにつながりました」
「どういうこと。精霊からもその女を殺すよう指示があったとか」
「いえ、明確にそのような話をされてはいないのですが」
そこまで言って、教皇は息を大きく吐き出して呼吸を整えた。
「精霊との契約を破るものがあると言う話を聞きました。そして、そのもののことを『黒』と呼ばれていたのです。私は最初、魔神教徒のことを差しているのだと思っていたのですが、その少女は黒髪黒目というではありませんか」
「うむ」
「しかし、それだけでは……」
「ですが、この世界に生きるものであれば精霊との契約を破るなど考えられません。しかし、異界のものであれば――」
「あり得るということか」
「これでもう確定やな。二つとも可能性とはいえ、お互いに一人の人物を差すのだとすれば、それはもう何らかの手を打った方がええいうことやろ、違ったら違ってだしょうがない。次を考えてみようやないか。で、どうする。さっきも言うたが、わしの部隊を動かそか」
「いや、そもそもマランドン王国の貴族に世話になっているのなら、国王から一言命令を出させればいいだろう」
「そ、それはもちろん」
「だが、わしはこいつを信用してないからのー。わしはわしで動くことにするわ」
「卿もそれでよろしいですか」
「かまわぬ。元々明確に反対しているわけではない」
「よっしゃ、決定やな。ああ、そうや爺さん。わしんとこの部隊も半分はそっちに貸し出すわ。嬢ちゃん一人捕まえるのに何人も必要ないやろし、ゼロスの討伐には人は多い方がええやろ」」
「かたじけない」
「そ、それなら全員でもいいのでは。その少女に関しては私の方が責任をもって――」
「だから信用してない言うてるやろ」
「話は終わりということだな。私からも帝国内のイーグス派について報告がある。それについて話を――」
皇帝からの話を聞き流しながら、教皇はため息をひっそりと吐き出した。これで良かったのだろうか。本当に彼女こそが精霊の言っていた黒なのか。正直、分からないのだ。もっとはっきりと言ってほしいとは思うのだけれども、生きている世界が違うものと正しく意思の疎通など出来るはずもない。
でも、過去の経験からすれば、時が来れば理解出来る。
出来てしまう。
聖皇の話を聞いた時に、ああ彼女こそが精霊の言っていた人物だと直感的に理解していた。それもまた『精霊の導き』と呼ばれるものだと教皇は理解している。
ただ、それでも、生贄にされながらも必死に生きようとしている少女に死の運命を与えることに罪悪感を覚えてしまう自分は賢人と呼ぶには相応しくないのかもしれない。そんな風に考えていた。




