カルトラッセ(2)
ペンを走らせる音に、時折薪のはぜる音が混じっていた。
暖炉では赤々と炎が上がり、空気が乾燥しないようにと置かれた沸騰した鍋から上がる湯気で窓が白く曇っていた。
戸を叩く音にペンを置くと、まだ若いこの部屋の主は答える。
「入れ」
失礼しますと、頭を下げて入ってきたのは部屋の主の倍ほども年を重ねた男。しかし、かしこまっている態度からわかるように、男の方が使用人であり立場は低い。
「報告を聞こう」
年齢的には成人して数年とは思えないほど、部屋の主であるカルトラッセには落ち着いた雰囲気があった。
それに応える使用人の男は、手元のメモを捲って情報を伝える。
「エストリア領内に派遣した者からの報告でございます。手紙にあった子爵家および男爵家とつながりが強いと思われる4つの貴族家、さらに救援隊を派遣したジーベック男爵から直後に手紙が届いた5つの貴族家。両方に共通するのがエストリア領のエズラ子爵とフェラスラート子爵にございます」
「そこまでは絞り込めたか。他領では調査も容易くはなかっただろう」
カルトラッセの顔に思わず笑みが浮かぶ。
「ええ。調査に出したものには相応の褒章をご用意するべきかと」
「もちろんだ。それで双方の邸内でロニトリッセの姿は?」
「フェラスラート子爵邸では有益な情報は得られていませんが、エズラ子爵邸に出入りしている業者の話で妙な滞在客があるという情報があります」
「妙な?」
「かなり機密性が高いらしく、いるらしいという情報しかわかっていないのです。出入り業者にしても最近は呼ばれる頻度があがったことでそう言ったうわさを耳にしたと言う程度だそうですが」
「まあ、イーレンハイツ公爵家の者が滞在していても大っぴらにはできないだろう」
「ええ。しかし、そのことと関連があるのか定かではありませんが、かの子爵家から最近はいくつも新しい発明品が出ているそうです」
「それにロニトリッセが関わっていると」
「噂では女性という話もありますが、覚えていらっしゃいますか。カグフニ様の最後の報告書に記載のあったユーデンハイムの女商人の話です」
記憶をたどるようにカルトラッセの視線が棚の上、ちょうど蒸留酒の置いているあたりに動く。カグフニにはロニトリッセ周辺の動きを逐一報告させていた。その中にあった僅か数行のつまらない報告。否、子供だましにひっかかかった弟を、やはり所詮は子供だと笑わせてもらった愉快な報告。
「変わった人形を売りつけた女だったか」
「ええ。偶然と片づけてもよろしいかと思いますが……」
「捨て置くには少々引っかかるな」
「はい。そのため、もう少し調査のための人員が欲しいと現場から声が上がっております」
「ロニトリッセと女商人の関係、それからエズラ子爵とのつながり。もちろん、エズラ子爵家とまだ確定したわけではないから、フェラスラート家にも監視は必要というわけか」
「ええ。他領のため目立つわけにもいかず、調査には慎重を期しておりますので」
「分かっている。現在調査中の者にはよくやったとねぎらいの言葉と休暇を与えてやってくれ、交代要員と追加の人員についてはモリス、お前に一任する」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げるモリスは目的のため手段を択ばない非情さを持ちながらも、一方で部下を気遣う懐の大きさがあるカルトラッセを仕えるべき主人として認めていた。
そんな彼の判断に満足すると、顔をあげ別の件について口を開く。
「もう一つ、ご報告があります」
「なんだ」
話は終わっていたと考えていたカルトラッセは、再び書類仕事に取り掛かろうと机上に向かっていた視線を戻す。
「アルバートが面会を求めております」
「……ほう。大言壮語しておきながら、任務に失敗しておいてよくも顔を出せたものだな」
「まさしく」
「だが、3尾の妖獣を失ったアルバートに価値があるとは思えんが」
「ええ、そこが問題なのです」
「ん」
モリスのやや湾曲ともいえる言い方に、カルトラッセは興味を惹かれて眉根を寄せる。
「ユーデンハイムの東にて姿を消してから連絡を途絶えておりましたが、なんでも3尾の妖獣に代わるものを用意していたと」
「まさか」
「どのような手段で妖獣を使役していたのか不明ですが、たまたま懐いたというわけではなく、そうする方法を知っているようです。しかも、此度連れてきたのは5尾、ゼロスでございます」
「本当か!!」
「信じにくいのも事実ですので私自身の目で確かめてまいりました」
「……モリスが見たというのなら本物だな」
カルトラッセは初めてアルバートと会った時のことを思い出していた。力を貸す代わりに便宜を計ってほしいという、ただの平民の言葉だと無視できなくなったのは、仲介した人間が3尾を連れていると証言したことが理由だった。
大っぴらに兵部を動かせない時分に、個として最大級の力を持つ手ゴマを手に入いれることができれば、その道の選択肢が大いに増すことが考えられた。
犯罪者であることはすぐにわかったが、そんなデメリットはあっという間にかすんでしまっていた。
「もう一度、チャンスを与える価値はあるか」
「5尾ともなれば、前回のような奇跡は起きないかと」
ゴレイク討伐の最中に起きた事件としてゲナハドを投入したものの、集まった兵や狩人たちによる思わぬ反撃でロニトリッセは逃げおおせたという。その後、そのゲナハドは奇しくもカルトラッセの派遣した部隊により討伐と報告が上がっていた。
しかし、3尾と5尾では脅威度の格が違う。
偶然などで討伐できるような化け物ではないのだ。
一種の天災でありサウザンドレイク卿の治める街が一つ壊滅したのは僅か数か月前の出来事。多少の個体差はあれどもゼロスの危険性については疑いようもなかった。
「妖獣を使役する方法についてアルバートは何と言っている」
「切り札ゆえにそれに関しては口を割りそうにありません。無理矢理聞き出そうにもゼロスを傍らに従えられては」
「確かに」
妖獣を従える方法を教えてしまえば、自分の利用価値がなくなると理解していればおいそれとその情報を明かせるわけがないのだ。ただの愚物であればともかく、アルバートは決して間抜けではなかった。
「愚鈍なものは使いにくいが、頭が回るものもまた使いにくいものだな。だが、決して悪い話じゃない。もっともそれだけの駒があっても、街中にいられては手が出しにくいな」
「ですが――」
「分かっている」
モリスの言をカルトラッセは遮り頷いて見せた。
ロニトリッセが恐怖におののき隠れているのであれば、それでもよかったのだ。公爵会議で正式に認められれば、もはやロニトリッセが何を口にしようとも意味を為さないのだから。
だからこそ、目的も容易に想像できるというもの。
「ロニトリッセが俺に対抗するとしたら公爵会議をおいて他にない。俺としても可愛い弟を手に掛けたくはないからね。そのまま潜んでいてくれればと願うばかりだよ」
カルトラッセの目は冷たく暗い光を宿していた。