カルトラッセ(1)
手紙に目を通したカルトラッセは見覚えのある字に笑みをこぼした。
「すぐに人を向かわせろ」
「では、その手紙はやはり」
「本物だ」
執務室を出ていく部下の背中を見送り内心思う。
愚かな弟だ。
ルーデンハイムから忽然と消えたロニトリッセの行方は杳として知れなかった。
手を尽くし領内を当たっていたが、まさか他領に隠れていたとは想像もしていなかった。まだ成人前ということもあり社交の場に顔を出す機会の少ないロニトリッセの人脈は薄い。
その中にエストリア領に頼れる知り合いがいるとは思わなかったが。
「どうでもいいか」
重要なのは、そこに弟がいるということ。
エストリアの貴族の元に身を寄せるロニトリッセは、助けを求める手紙をルーゼン伯爵の元へと寄越した。
「くっくっく」
久しぶりの手にした朗報に気分の高揚を感じたカルトラッセは棚から20年物の蒸留酒を取り出すとグラスに注いだ。
琥珀色の輝きが美しい。
熟成された豊潤な香りが鼻孔を刺激して次に喉を潤す。安物の蒸留酒はただ喉を焼くだけで味わいに欠ける。だが、これはどうだろう。
はちみつのような甘さに燻製のようなスモーキーさとそれから――
コンコン。
ノックの音にカルトラッセの表情が曇る。
外を見ればまだ空は赤く太陽も活動をしている時間帯。公爵の地位を引き継ぐために深夜を過ぎても仕事に追われている毎日を思えば、日も沈む前に自分の時間を持てるはずがないことくらい分かっている。
それでもと思わずにはいられない。
折角の朗報だったのだから。
「入れ」
数々の葛藤をグラスに入ったアルコールとともに飲み込むと、短くそれだけ言った。ドアが開いて現れたのはさっきの手紙を持ってきたのと同じ部下。
なぜか彼の部下の手元には別の手紙が握られている。
カルトラッセの元に運ばれてくる書類や手紙の数は毎日数えきれないほどなので、それほど珍しい話ではない。
だが、わざわざ彼が一通の手紙を持ってくるというのは特別な場合に限られる。
「カルトラッセ様」
「どうした」
嫌な予感を裏付けるように部下の額には汗がにじんでいる。
「こちらをご覧になってください」
差し出された手紙はルトラーダ伯爵あてのもの。
だが、その字に見覚えがあった。
「まさか……」
慌てて中を開けば文字だけではなく内容までも見覚えがあった。否、あり過ぎた。ほんの少し前に読んだものと瓜二つの内容。違いはほんの僅か宛先と滞在先の二か所のみ。
「くそっ!!」
ぐしゃりと音を立てるほど激しくカルトラッセは手紙を握り潰した。
自分が怒鳴られたわけでもないのに部下はびくりと背筋を伸ばす。そして恐る恐る顔色を伺うようにカルトラッセに尋ねる。
「どういたしましょうか。部隊の編成は済みましたが……」
「貴様はバカか。こんな手紙がルーゼン伯爵だけでなくルトラーダ伯爵の所にまで届いている理由がわからんのか!」
思わずカルトラッセは声を荒げてしまった。
手紙の内容もさることながら、あまりにも頭の鈍い部下を前に我慢が出来なかったのだ。
「……手当たり次第に助けを求めているのでは。それだけ追い詰められているという事でしょう」
そう答えた部下の顔を見るカルトラッセの顔からは表情が消えていた。そこにあるのは呆れだけ。普段なら彼の傍には優秀な腹心ともいえる部下がいる。だが、この日に限っては別件で外に出ていたのだ。
「ルーゼン伯爵への手紙は理解できる。あそこの娘はロニトリッセの婚約者だからな。だが、ルトラーダ伯爵に手紙を送るのはあり得んだろ。馬鹿でもなければ手当たり次第に送ればどうなるかぐらいわかるだろう」
「カルトラッセ様の元へ情報が入る」
「その通りだ。事実こうして手紙が本物か確認してきているのだからな」
ロニトリッセの行動をトレースするように頭が回転を始める。
弟が無条件に信用できるのは母方の実家であるニーレンバーグ伯爵家のみ。もちろん、そこを頼る可能性が一番高いためカルトラッセは十分すぎるほどの手を打っている。
そして次が先にあった婚約者のいるルーゼン伯爵家。しかし、結婚することによって利害関係は生まれるが、現時点ではほぼない。
現在の状況を見て後継者争いにロニトリッセが勝つと考えるほど政局を読めなければ貴族としてとてもではないがやっていけないだろう
それほどにロニトリッセの行動は些か軽率だと思われた。
ルトラーダ伯爵家も同じでロニトリッセを支援する理由がない。ゆえに、こうして両伯爵家共に流れのあるカルトラッセに連絡を寄越しているのだ。
カルトラッセの知るロニトリッセは甘さはあれど、頭の回転は決して悪くはなかった。であれば、闇雲に救援の手紙を書いたとは考えにくかった。
つまり手紙の内容以上の理由があるのだろう。
「手紙の送付先がニーレンバーグ伯爵家のみであれば、まず間違いなくただの救援を求める手紙だろう。だが、こちらが邪魔をすることは織り込み済み。ゆえに他伯爵家に手紙を書いた。いや、それだけでは不十分だな。ニーレンバーグ伯爵家にこちらの手が回っていると考えるだけの頭があれば、他の伯爵家にも手が回っていると考えるのが普通だろう。その状況でなお救援を寄越せる伯爵家を探している? いや、弱いな。そもそも、一通でもこちらの手に渡れば、滞在先がバレるのだ。もっとも、二つの手紙で滞在先が違う以上、ブラフなんだろう。つまりはどこに救援が来るかで、味方となる伯爵家を振り分けるつもりか?」
「でしたら、部隊を複数用意しますか」
「いや、そんなことをしても無駄だな」
部下の提案を一蹴する。
そもそも、カルトラッセの元に話が漏れないという前提ならば、違う滞在先を手紙に書く必要はないのだ。どこの伯爵家が救援隊を出したとしても、どこから来たのか判断ができるからだ。尋ねた先で判断するなどという手間を取る必要がない。
そしてカルトラッセの元に話が漏れていると想定しているのなら、伯爵家すべてに届いた手紙を確認して、滞在先が異なるならすべてに人を派遣すればいいだけだ。
「いや、だが、逆に一か所だけに人を派遣すれば、ロニトリッセ側に付いた伯爵家があると思わせることができるのか?
どうやったのかわからんが、エストレア領内のどこかの貴族家に世話になっているのは確実だろう。
手紙に使用されている紙、蜜蝋どちらも一般人が手にするものではない。そもそも手紙通りに救援を送ったとしても、それをロニトリッセが知るすべがなければ意味がないからな。少なくとも滞在先として書かれている家とつながりのある所にロニトリッセはいるのだろう」
「ではいかがいたしますか」
「まあ、ロニトリッセの味方になり得るのは、真っ先に手紙を寄越したルーゼン伯爵家というのは皮肉な話だが間違いないだろう。よし、ルーゼン伯爵家には手紙通りに救援を出すように指示を出せ。間違っても他の伯爵家には何もさせるなよ。
それから他領では動きにくいが、滞在先に上がってる貴族家とつながりのある家を探す部隊を派遣しろ」
「は」
命令を受けた部下が頭を下げ、退室しようとするのをカルトラッセは止める。
「ところでアルバートの方はどうなった?」
「ルーデンハイム以降は連絡が……」
「そうか」
舌打ちするとグラスに残った蒸留酒を一気に煽った。
さっきは豊潤な味わいを感じたはずのそれがなぜか苦く感じられた。




