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精霊の導き

 もうすぐ冬が来るというのに、その場所はまるで春のような柔らかな日差しに包まれ、花が咲き乱れ濃い緑が空を飾っていた。

 力強い大木は大地に太い根を張っている。

 鳥のさえずりが森をにぎわし、蝶々がひらりひらりと花から花へと飛び回る。

 

 そんな深い森の中を女性が一人歩いていた。とてもじゃないが森を歩くような恰好とは思えないきれいな服を身にまとい、服から覗く手足は細く白い。

 危険な野生の獣がいるかもしれないというのに、護衛もいなければ本人に戦う力があるとは考えにくい。


 慣れた様子で森の奥へ奥へと進んでいくと、陽光がスポットライトのように当たる小さな広場で立ち止まった。

 すると不思議なことに、地面から大きな植物がにょきにょきと成長し人が腰かけるのにちょうどいい高さで大きな葉を広げた。


「失礼いたします」


 誰かに話しかけるように女性が口にすると、どこからか「どうぞ」という声が返ってきたような気がする。彼女が座る場所を確かめて葉っぱの椅子に腰かけると、視線を戻した時には妖艶な姿のものが正面に立っていた。


『子は光を浴びているのか』

「ふふっ、ええ、おかげさまですでに成人しました」


 口はぴくりとも動いていないのに不思議なことに声が聞こえてくる。それに応えた女性は、ほんのわずかに微笑した。目の前にいるのは人ではない。いわゆる精霊と呼ばれる存在なのだ。

 人の姿を取っているのは、対話をするために合わせてくれているのに過ぎない。

 超常の存在だというのは先ほどの一言にも現れている。精霊の質問は元気になったのかと問いたいのだろうと、彼女は返事を返したがそれすらも確かではないのだ。

 そもそも女性――精霊教徒の教皇という職にある彼女の子が病気をしたのは随分と前のこと。まだ、息子が幼い時分だったのだ。それをまるで数日前、あるいはひと月やふた月前の出来事のように話されては調子も狂うというもの。


『そうか』

「あの、お話というのは」


 教皇がいつものように朝の祈りを捧げていると、精霊の導きを受けたのだ。明確に言葉を聞いたのではない。それでも呼ばれているということが本能的に分かって、こうして精霊の棲家に足を運んだのだ。

 常春のようなこの場所はこの世のどこかにあり、この世のどこにもない場所。

 精霊の導きがなければ決してたどり着くことのできない場所。

 鬼獣も妖獣も危険な獣がいないがゆえに、教皇は一人で森の奥まで歩いてこれるのだ。もっとも、護衛がいたとしても招かれざる者が立ち入れる場所ではないのだが。


『穂が落ちた』

「……」


 教皇は続きの言葉を待ったが、精霊の声はそれで終わった。人と同じ姿をして対話する意志を示していても、根本が異なるのだ。犬と人が意思疎通出来ないように、精霊と人が意思疎通するのは困難を極める。

 それでも長く一緒にいれば相手の考えが多少は理解出来るものだ。それでも精霊の言葉は難解を極めた。


「何か悪いことが起きたのでしょうか?」

『契りが破られる』


 穂というものが何を意味するのか分からなかったが、落ちたという言葉からは悪い印象を受けた。加えてわざわざ呼ばれたということが、いやな予感を感じさせていた。

 そう思って聞き返したのだが、精霊の答えはもっと理解を超えていた。

 昔からマナが豊富で力があり教皇となった彼女は精霊ともっとも多くの言葉を交わした人間の一人であるが、きちんと意思の疎通ができたと思ったことは一度もない。

 できるのは推測することだけ。


「私たち人と精霊との契約のことでしょうか」


 精霊が契りというものは一つだけ。遥か古の時代に人と精霊とが結んだ契約のことだと教皇には伝えられている。

 マナを精霊に渡す代わりに精霊の力の一部を借り受けるという契約。洗礼を受けるというのは、その契約書にサインをするようなもの。

 だが、その契約に違反も何もないのだ。

 少なくとも禁足事項があるという話を教皇は伝え聞いてなかった。


『黒が訪れている』

「……魔神教徒の事でしょうか」


 一つの言葉も理解しきれていないのに、精霊の話は教皇を置いて先へと進む。

 宗教組織としてみれば、精霊教、聖光教、魔神教と三つあるが精霊にとって区別はない。そもそも、マナを対価に現象を引き起こすという事象が同じであるように古の契約は一つきり。それは教皇含め知るものはどこにもないが、精霊はその性質毎に色で区分されることがある。例えば火の精霊と人が呼ぶものを赤と言ったりするのだ。

 そして魔神の力であれば黒と呼ぶ。


「魔神教徒がまた何か企んでいるのでしょうか。ニーグスの時のように」

『あれは問題でもない』


 精霊が個人名に反応することも不思議であるが、数千の人間が死ぬような戦争を起こしていても精霊の側からすれば問題にならないというのであれば、その精霊が問題とするものは一体何をしたのだろうかと教皇は思う。

 そもそも、精霊の言葉が一つのことを話しているのかすらわからない。


 喉が渇く。

 何が起きているのかまるで見当もつかなかった。だけれども、自分の知らないところで何か起きているのではないかという不安と恐怖に胸が締め付けられる。

 

『飲め』


 つたに絡まった筒状の葉っぱが目の前に差し出された。中には透明な液体が入っているのが見えた。人が客人にお茶を勧めるように、教皇の喉の渇きを察して精霊も同じことをしているのだ。


「ありがとうございます」


 礼を言ってウツボカズラのようなそれを手に取って中の水を飲めば、仄かに甘い果汁のようなものが喉を潤した。


『契りが破られる』


 話が元に戻った。

 だが、水を飲んで少しだけクリアになった教皇の頭が高速回転する。

 精霊が話しているのは三つのこと。契りが破られ、穂が隠れたということ、そして黒が訪れたということ。

 つまり、誰かが契約違反をしたということなのだろう。

 その誰かは魔神教の誰かなのだろうか。


「人のしたことであれば、我々で何とかします」


 何が起きたのかが分からないけれども、契約違反を理由に太古から続く契約が切れるということにでもなればこの世界がどうなるのかが分からない。人々の生活に精霊の力は欠かせない。いまは精霊工学なるものも生まれ、ますますの発展を始めている。

 渇きを覚えたところで水をくれたということは、まだ取り返しはつく。そもそも契約を切るつもりなら呼び出したりはしないだろうと考えた。


『黄が付いている』

「ありがとうございます」


 教皇は立ち上がると深々と頭を下げた。

 土の加護を受ける教皇にとってその言葉は希望そのものだった。やはりまだ間に合うと確信する。

 頭をあげたときには精霊の姿はどこにもなかった。

 

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