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カチカチの常識を粉々に(3)

「だー、もう、いいわよ。じゃあ、これは私がもらうから」


 がしっと抱き着くように鍋を確保するとテーブルの上に戻す。

 流石に私もこのまま放置はできないから、もう少し水を足してなんちゃってわらび餅にでもしようかな。料理長も手を突っ込んでいるけど、火を通せば大丈夫でしょ。だいたい料理人の手がついたくらいでうだうだ言ってたらお寿司とか食べれないっての。


「え、えっと。お取込み中でしょうか?」

「ん?」


 振り返ると恐る恐るといった感じでキッチンの入り口から声を掛けてきたのは、私が料理長に拉致られる前に声を掛けたメイドさんだ。

 その手には氷の入った桶がある。


「あー、忘れてた」


 片栗粉でロニー君の常識の壁は打ち破れた気がするから、必要なくなったかもしれない。


「えっと、ご迷惑でしたか。お二人がこちらの方に向かったと聞いたので、こちらに持ってきたんですけど」

「ごめん。そういう事じゃなくて……」

「アイカさん、さっきのアレですよね。氷を使ってジュースを凍らせることができるっていう」

「見たい?」

「はい」

「おお、なんだ。そいつは聞き逃せねえな」


 ロニー君の言った言葉に料理長まで興味津々と目を輝かせる。


「あの、私はどうすれば……」

「ああ、そうね。第二キッチ――じゃなくて、別にここでもいいか。持ってきてくれてありがとうございます。そこのテーブルに置いてもらっていいですか」


 はい、と片栗粉鍋の隣にほとんど同じ大きさの桶に入った直方体の氷が乗せられた。この世界の氷は昔ながらのやり方と同じで冬場に作った氷を氷室と呼ばれる洞窟で保存して一年中販売しているのだ。もちろん、向け先は貴族や大商人といったお金持ちである。

 ちなみに水の精霊術を駆使しても氷は作れないらしい。


「えっと、とりあえず砕いてもらっていいですか」

「どのくらいの大きさがいい」

「出来る限り細かくしてくれると助かります。砕いたものを……そうですね、こっちの鍋に入れてもらえれば」

「おう、任せろ」

「お願いします。私はちょっと第二キッチンからオレンジジュースを取ってきます」

「僕がいきますよ」


 料理長がハンマーとノミのような物を使って氷を砕き始め、ロニー君はキッチンから出ていった。第二キッチンでやるつもりでオレンジを絞っていたのでそれを使わない手はない。勿体ないしね。

 それじゃあ、と私は鍋の中にガラスの瓶を入れてその周りに料理長が砕いた氷を入れていく。さらに掻き混ぜやすいように大きなスプーンを差し込んだ。


「鍋に蓋をして振った方がいいのかな」


 まあ、掻き混ぜ式でダメならそれで行ってみようか。と、準備していたところで「戻りました」とロニー君が息を切らせて駆け込んできた。

 絞ったジュースを受け取ると、鍋の中に入れたガラスの瓶に少量入れて蓋をする。


「そんなんじゃ凍るわけがないだろ」

「僕もそう思います。ただの水でも無理ですよね」

「まあ、そう思うわよね」


 水よりオレンジジュースの方が凍りにくいことはこっちの世界でも常識らしい。確かに氷の温度は0度なので、水ですら凍らせることはできない。


「でもね、ここに塩を入れると話は別なのよ」


 小学生のころにやったよね凝固点降下。まあ、いまだに原理はいまいち理解できないのだけど、氷に塩を混ぜると温度が下がるというあれだ。


「塩? それで何で凍らせることができる」

「まあ、見てなさい。ここの塩貰うわよ」


 保存容器に入った塩をざざっと鍋に投入する。


「ば、馬鹿野郎。さっきの片栗粉といい使い過ぎなんだよ。幾ら貴族の家だからそんなに……」

「入れたものはしょうがないじゃん。諦めて」

「諦めろって、お前……」


 だって、塩は入れれば入れるほど温度を下げられるんだから仕方がない。かんばればドライアイスよりも下げることもできたはず。

 マランドン王国は海に面しているから塩田がある。だから、物凄く貴重ってことはないけども日本みたいに安いわけじゃない。


「じゃあ、ロニー君は鍋が動かないように抑えててくれる」

「はい」

「行くよ」


 ロニー君が鍋を抑えて、私は中心の瓶が動かないように左手を添えて右手に持った巨大スプーンで塩を入れた氷を混ぜる。

 スプーンを入れて右回し、氷を動かしたところでスプーンを差しなおしてさらに右回し。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐーるぐる。ひたすら回す。


 ひたすら回していると、塩氷の鍋からひんやりした冷気が広がっていく。


「なんか、だんだん冷たくなってきました」

「私も」


 ガラス瓶を抑えるのがちょっと辛くなってきたくらいで、鍋を直接抑えているロニー君の手はもっとキンキンに冷えているはず。

 ぐんぐん塩氷を回して回して、さらに回したところで手を止めた。


「ほら」


 と、私が左手で抑えているガラス瓶を持ちあげて振ってみるけど、オレンジジュースの液面は揺れない。


「お、おい。ちょっと見せてくれ」

「僕にも」


 テーブルに置いたそれを二人が覗き込む。わざわざ揺れ動かさなくても凍っているのは見ればわかる。「お、おおお」とまるで冷気を吐き出すように声を震わせる。


「どういう事なんですか」

「あー、私も詳しくは知らないけど、氷に塩を混ぜると温度が下がるのよ。塩は入れれば入れるほど温度が下がるの」

「だからあんなに大量に……だが、すげえな。いや、これはマジですごいぞ。確かに塩を使い過ぎるのが問題だが、貴族のパーティーじゃ折角冷たいものを出してもすぐに手を付けてもらえないこともある。夏場なんかじゃ、氷を皿に入れていてもすぐに溶けちまうからな。だが、こうしてれば冷たい状態を長持ちできるってことだろ」

「そうね。それに蓋の閉まる鍋とこの容器みたいなのが作れたら氷菓を作ることもできるわよ。あー、でも、こっちにバニラってあるのかな」

「ばにら?」

「あー、ないんだ。ないよね。まあ、無くてもいいか。牛乳と卵と砂糖と何か甘い香料があればいいのかな。はちみつでもいけるかな。そういうのを混ぜて、同じようにすれば冷たいお菓子が作れるのよ。まあ、これから冬に入るし需要はないだろうけど」

「そ、そうだな。だが、今度作ってみよう。しかし、いいのか。簡単に新しいレシピを俺にくれちまってよ」

「もう今更だし、それに目的はロニー君だからね」

「そうですね」

「うん、どういうことだ?」


 私とロニー君の間で交わされたアイコンタクトの意味を知らない料理長が凍ったオレンジジュースから目を離して顔を上げる。


「僕の中の常識を壊すのがアイカさんの目的だったんですけど、もう本当にものの見事に壊されましたよ。人が液体の上を走るとか、氷で氷を作るなんて、あり得ないですもん」

「常識を壊すか。俺の中の常識もこの氷柱みたいに粉々に砕かれちまったな。今でも自分の見たものが信じられねぇ」

「信じられなくても目の前に起きたことは事実よ。ロニー君も分かったよね。私ができるって言っているんだから、必ずできるのよ。例え一般的な常識に当てはまらないことでもね」

「はい!」


 ロニー君の目に自信がみなぎったのは、その輝きを見ればわかる。

 まあ、いま見せたのは結局のところただの物理現象だから、ロニー君にやってもらいたい事とは違うのだ。ちょっとした詐欺なんだけど、信じるって大事だよね!


「あー、ところでアイカ」

「どうしました」

「ここで使う食材にしろ調味料にしろ、すべて旦那さまに必要な量を申請して調達してる。もちろん、多少の誤差はあるが俺の今日の予定に、これだけの片栗粉や塩を使う予定はなかった」

「そう。それは大変ね――。よし、ロニー君、いまの常識を打ち破れた感覚を忘れないうちに戻って再挑戦しましょう」

「え、え、いいんですか?」

「ほら、急ぎぐよ」

「おい、おい、待てよ」


 ロニー君の手を引いてキッチンから出ようとすると、後ろから料理長の手が伸びる。だけど、私はその手をひらりと躱す。叫び声が聞こえるけど気にしない。

 私は振り返らない。前だけを見て進むのだ。

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