カチカチの常識を粉々に(2)
「あ、でも、もう一つアドバイスするなら、レモンを絞りかけても美味しいわよ。さっぱりするから幾らでも食べられるの」
「ほう、なるほどな。早速試してみるか」
料理長がキッチンにあったレモンを一つとると、半分に切って絞りかけた。それを口にしてもう一度「ほう」と唸った。
「確かにアイカの言う通りだな。片栗粉の製法と言い、本当にすごい娘っ子だな」
「片栗粉というこの粉もアイカさんが作ったんですか」
「なんだ。坊主は知らんかったのか」
「ぼ、ぼうず!?」
「まあ、そうだよね。ロニー君とはルーデンハイムで知り合ったから、孤児院で子爵に片栗粉の製法を売った時はいなかったもの」
「そうなのか? だが、二人は姉弟じゃ」
「ちがうわよ」
私にこんな美形の弟がいるはずないっての。まあ、でも赤の他人が一緒に旅している状況は普通は考えられないからそう考えるものなのかも。
「ん、とすると最初にいたあの男のほうか」
「あー、そういうんじゃないけど……ってロニー君どうかした?」
さっきからロニー君が不思議な顔をしてる。私と姉弟扱いされたのが嫌だったとか。流石にそんな失礼なこと考えてないわよね。そんな思いを乗せて顔を覗き込むと、なぜか頭を掻きながらにへらっと笑った。
「あ、いえ、その、ぼうずって言われたのが新鮮で」
「え、そこ? あ、いや、まあ、そうなのかな」
公子であるロニー君を坊主呼ばわりする人っていないよね。いたとして近親縁者か、他の公爵くらいかな。
「それでアイカさんの作ったっていう粉なんですけど、小麦粉とは違うんですか」
「まるで別もんさ。揚げ物の衣にすれば、小麦粉とは違うサクッとした食感が生まれるし、水に溶かして火にかけるとトロミが生まれる。それとジャガイモと混ぜたときの食感も面白い。いろいろと使い方を検討しているが、料理の幅が広がったよ」
「すごいですね」
「そうなのよ。片栗粉って本当にすごい魔法の粉なんだからね――あ、そうだ」
氷をわざわざ買ってきてもらわなくてもよかったわ。片栗粉でも面白いことができるんだから。
「どうかしたんです?」
「うん。ちょっとね。料理長、ここの片栗粉使っても」
「アイカの頼みを断れるわけがないだろ。また、新しい調理法か?」
「ううん。違うけど面白いものを見せてあげる」
鍋に片栗粉をスプーン一杯じゃなくてボウル一杯入れると、そこに水を入れて掻き混ぜる。
「お、おい。そんなに大量に使うのかよ。貴重なものなんだぞ」
「いうほど貴重じゃないわよ。減るもんじゃないし」
料理長も片栗粉の製法は知らないらしい。それに水に溶かしただけだから元に戻るよね?
水と片栗粉の割合は片栗粉の方が多くしているので、もうドロドロである。
「でね、この鍋には溶かした片栗粉が入っていると思うんだけど、ここに……そうね、さっきのレモンを落としたらどうなると思う」
「どうって、沈む以外に答えがあるんですか?」
料理長も反対意見はないようで、うんうんと首を縦に振っている。
「まあ、そう思うよね。じゃあ、実際に実験してみましょう――。ロニー君、そこのレモンを落としてみて」
「はい」
ロニー君が籠に入っていたレモンを一つ取り出すと、何が起きるのかと不思議そうにしながらも片栗粉を溶かした鍋の上で、レモンから手を離した。
真っ白などろどろ液体の上に落ちたレモンはそのままずぶずぶと沈んでいった。
「え?」
予想通り過ぎて逆にびっくりしたロニー君の目が大きくなり、料理長は呆れたような顔になる。だけど、これは予定通り。
「まあ、そうなるよな」
「これでよかったんですか」
「うん。これはこれでいいのよ。それを踏まえて、次の実験の前にそこのナイフを借りていいかしら」
「あ、ああ」
料理長から受け取った小さなナイフを私は刃を上にして片栗粉液の中に沈めた。柄の形状が角型だから倒れないので、刃が上を向いたままになる。
「あ、あの、なんか嫌な予感がするんですが」
「ふふ。さてここからが本番なんだけど、果たして人は水の上を歩けるでしょうか?」
「何言ってるんですか、そんなことできるわけないでしょ。なんでその鍋を床に下しているんですか」
「ここで使っているナイフは毎日砥いでいるんだ。切れ味は本物だぞ」
私が片栗粉液の入った鍋を床に下し、靴を脱ぎ始めたのを見たロニー君が怯えたような声をだし、料理長もまさかそんなことしないよなと言い聞かせるように声に緊張が含まれていた。私はそれらを無視して屈伸を始める。
「じゃあ、いっくよー」
「ま、待って下さい。アイカさん!!」
「お、おい、よせ!!」
二人の制止の声を振り切って、私は助走をつけて鍋に向かって思い切り右足をツッコんだ。その瞬間、足の裏が感じるのは液体じゃなく個体のような跳ね返り。その感触に身を任せて素早く右足をあげて左足を叩きつける。
右、左、右、左。
「う、嘘」
「どうなってる?」
「ふふふっ」
私は笑い声をあげると、足踏みをやめて一歩前に着地した。驚愕に言葉を失う二人に、私は足を拭いて今度はゆっくりと片栗粉液に手を入れると、中からナイフを取り出した。
タネも仕掛けもありませんってね。
「ねえ、ロニー君。あなたの常識は壊れたかしら」
「壊れましたよ。壊れましたから、こんな危ないことは止めてください」
「ふふ、別に危なくはないんだけどね。ロニー君もやってみる?」
「い、いや」
引きつった顔で首が左右に振られる。
「まあ、いきなりは怖いか。とりあえず触ってみてよ。それで多少は理解できるから」
テーブルの上に戻した鍋に、ロニー君が恐る恐る片栗粉液に手を入れる。その手は何の抵抗もなく沈んでいく。
「どろっとしてますけど、ただの液体ですよね。なんで、沈まなかったんですか。レモンは普通に沈みましたよね」
「立つっていうよりも私が小走りしてたのわかるでしょ。つまりね――」
ロニー君が手を入れているところに私も手を入れて片栗粉液をギュッと握りしめて水面から出して見せる。それを何度も握りながら掌の中でクルクルと動かしていると、液体のはずのそれは塊となって掌の上に存在する。
「え?」
「この液体はね、素早く力を与えると固体みたいになるのよ。だから、こういう風に何度も握っていると形を作るんだけど、握るのを止めるとほら――」
固まっていたはずの白い塊が再び液体に戻り、どろりと私の手を零れて鍋に流れ落ちる。その様子を見ていたロニー君が同じようににぎにぎと手を開けたり閉めたり、独特の感触を確かめた。
「ほんとだ。確かに液体のはずなのに握ることができます」
「ね。そういうわけだから、素早く足を動かせば沈むことなく走れるのよ」
「だ、だからってナイフを下に沈める必要はないじゃないですか!! 心臓が止まるかと思いましたよ」
ロニー君が今日も絶好調で叫んでる。もちろん、私だって失敗が怖いから、ナイフは真ん中に置いて、その両側で足踏みしてたんだけどね。ロニー君には悪いけど、抜かりはないのだ。
「おれも触っていいか」
「もちろん」
さっきからそわそわしていた料理長がとうとう我慢しきれなかったようで、鍋に手を入れた。そして見せる反応はロニー君と同じだ。
「なんというか、気持ちがいいような気持ち悪いような妙な感触だな」
「わかる」
子供のころの泥遊びを思い出すような感触で、大人になると中々こういう感触は味わうことがない。それに不思議な感触って好奇心が刺激されてワクワクするのだ。
「すげえ面白いものを見せてもらったが、減るもんじゃないって、こうして俺たちが手をツッコんでるし、アイカに至ってはこれの上を裸足で走ったよな。もう使えないんじゃないか」
「あーあーあー、まあ火を通せばいけるんじゃない?」
「馬鹿か! 旦那様の食事にそんなもの出せるか!!」
「あー。それなら私たちの夕食に使ってよ。ロニー君もさっき言ってたあんかけとかいももちとか興味があるでしょ」
「それはありますけど」
私の足に目線が落とされる。
いや、水虫とかないからね。毎日お風呂入らせてもらってるしきれいだよ。
失礼しちゃうなもう!!




