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メルベの苦悩

「――というわけだ」

「なるほど、そういう事だったのですね」


 エズラ子爵からの説明を受けたメルべがそう締めくくった。

 いや、感想それだけなの。ロニー君がイーレンハイツ公爵家の跡継ぎとか結構衝撃的な話だったと思うけど。

 子爵が紅茶を一口含んで話の続きに入る。


「それで片栗粉の生産工場の手配はどうなった」

「はい。工場の準備にすでに取り掛かっており二週間後には完成する予定です。従業員の面接、必要な道具の発注も済ませています」

「ふむ。順調か。工場の場所はどこになった」

「北西の工業地区の一角にあった製糸工場の跡地を使わせていただけることになっております」

「あそこか。敷地としては十分だな。空地もあったと思うが、いまの建屋を邪魔しない形でガラス工房を設置することは可能か」

「ガラスですか……。もしかして、それが温度計に必要なのですか」

「ああ、ユーデンハイムから職人を二人連れてきている。彼らと連携して必要なものの手配も進めてくれ。それから――」

「まだ、あるのですか」


 メモを取るメルべの手が止まり顔をあげる。

 トークスがいなくなったしわ寄せがすべてメルべに来ているのだ。今までもあった通常業務に加えて、片栗粉の生産工場の指揮を取っているらしいのでそれだけでも多分過剰業務だろう。さらに温度計の生産となればブラック企業も真っ青になるくらいの仕事量になること請け合いというのに、子爵はまだ仕事を押し付けようとしているのだから、メルべが顔を引きつらせるのも仕方がない。


 子爵邸に入った翌日に執務室に呼び出されたのが今の状況だけど、ここに私たちがいる必要あるのかな、とロニー君と二人顔を見合わせる。

 全く無関係とは言わないけども、工場建設の話とかは私たちにはどうでもいい。と、思っていると子爵の顔がこちらを向いた。


「石鹸工場に行きたいんだったか」

「あー、そんな話してましたね。すっかり忘れてました」


 温度計で満足していたみたいだし、それ以上の商品開発に関しては不要だと思っていた。


「忘れるなよ。確かに現時点でも十分と言えるが、まだまだ発展の余地があるのだろう」

「それはそうですけど、失礼ですけどこれだけの設備投資をしてお金の方は大丈夫なんですか。いまのところは支出ばかりで収入はありませんよね」


 いきなり工場を二つも建設してお金が回るのかっていうのは当然の疑問だよね。貴族と言っても下級の爵位であるエズラ子爵じゃ限界もあるでしょうに。


「そういえばアイカは出納帳も読めるのだったな。原価管理もできぬ愚か者でないのは有難いが、アイカの作ろうとしているものは費用が掛かりそうなのか」

「うーん。どうだろう。石鹸工場で現物を見ないと何とも言えないかな」


 私が欲しいのはグリセリンだ。

 石鹸を作れば大量のグリセリンも出来る。生産する工程にもよると思うけど、地球と同じような歴史を辿っているとしたら、たぶん灰汁に油脂を混ぜて作っていると思う。そしてできたグリセリンにはそれなりに不純物が混ざっている。

 それをきれいにするのにどのくらいの手間が掛かるのかが鍵となる。


「結局、見なければわからないわけか。だったらまずは石鹸工場への見学など、アイカが実験するのに必要な環境を整える必要があるのだろう。そこら辺をメルべとともに話し合ってくれ」

「で、ですから、私はもう手いっぱいでして」

「人がいないんだ。仕方がないだろう」

「人がいなくなったのは私の所為では」

「ほう、俺が悪いとお前もいうか」

「ええ、言いますとも。何も殺さなくてもよかったでしょうに。トークスに問題がなかったとは言いませんが使える部下だったのも事実です。それにアイカさんも指摘した通りお金の問題もございます」


 ほら、やっぱり問題なんじゃない。


「それがどうした。何もすぐにそっちも始めると話しているわけじゃない。まずはサンプルを作ってからだな。そうしなければ幾らかかるのかもわからんだろう。費用が掛かりそうなら、片栗粉と温度計の生産が乗ってからでも問題はあるまい。

 トークスはいなんだ。いまさら何を言っても仕方がないだろう。分かったらすぐに取りかかれ。俺はレムリア伯爵に挨拶に行ってくる」


 その傍若無人な振る舞いに呆気に取られていると、部屋の主が文字通り出ていった。信用しているんだろうけど、私という部外者を置いて執務室から離れていいのだろうかという疑問がわく。メルべさんはいるけども。


「はぁ、もう。なんでいつも私ばっかり……」

「ああ、それはご愁傷さまです」

「何で他人事みたいに言うんですか。元をたどればアイカさんの所為でもあるんですからね」

「人を雇ったりできないんですか」

「言うまでもない事ですが、教育を受けている人間というのは貴族の子弟だけなんですよ。後を継ぐことのできない次男や三男などから優秀なものを雇うことはできますが、我々がやろうとしていることの意味を理解しています?」


 信用の問題ってわけか。

 トークスさんがどのくらい仕えていたのかわからないけど、少なくとも片栗粉の商談のためにルーデンハイムに連れていくくらいには信頼を得ていたはずなのだ。それだけ信頼を得た人間ですら裏切る。

 そして、今の状況で他所から人を入れるというのはリスクが高いってことか。情報を実家にでも持ち帰られれば事だもんね。


「はぁ、メルべさんの抱えている仕事をいくらか回してもらってもいいわよ。といっても私たちは自由に外には出れないから、帳簿つけたりとか出来ることは限られていると思うけど」

「ほんとですか」


 責任をちょっとだけ感じた私がそういうと、メルべさんが目を輝かせて私の手をガシッとつかんだ。そこまで必死になられるとちょっと引く。


「え、ええ」

「ありがとうございます。それでは早速ですが鍛冶ギルドに登録する温度計の設計図を起こしてもらえますか。私にはさっぱりわかりませんので。それから、ガラス職人の方と話をして必要なものの洗い出しをお願いします。それを作っていただければ、片栗粉工場で道具の生産を引き受けてくれた工房に連絡をしますので発注をお願いいます」

 

 ちょっと、メルべさん。

 一つ二つならいいわよ。思いっきり仕事を振ろうとしてない。それ、子爵が言ったことをそのままシフトしてきたよね。確かに私にできそうな仕事だけどさ。


「原料の方も私には何が必要かわかりませんので、洗い出しをお願いします。レムリアとユーデンハイムでは勝手が違うかもしれませんが、ガラス職人の方に大まかな相場を確認していただけると助かります。えっと、それから――」

「ちょ、ちょっと。ストップ。そんなにたくさんは無理です。手伝うとは言ったけど、それほとんど丸投げじゃないですか。私には商品開発の予定もあるんですからね」

「何言っているんですか。まだまだ五万と仕事はありますよ。あっと、大事なことを忘れていました。アイカさんの孤児院ですけど」

「いや、私の孤児院とか存在しないからね。まあ、言いたいことはわかりますけど」

「で、その孤児院なんですけど、自給自足の方も上手くいってますし、魔神教からの補助金で立て直しは出来そうです。それどころかアイカさんの始めた古布を再利用してのバッグ作りの方を正式に鍛冶ギルドに登録して、生産を始める段取りになってます。とはいえ、子供たちだけでは生産が追いつかないので別途人を雇ったり作業場の建設を始めようとしているのですが、あいにくとそこまで手が回っていません。

 孤児院に関してはアイカさんに任せていいですよね」

「いやいやいや、良くないわよ。良いはずが無いでしょ。一体どれだけの仕事を私にさせようとしてるんですか。そりゃあ孤児院の件に関しては私も思うところあるし、子供たちにもまた会いたいと思いますけど」

「ですよね。じゃあ、お願いしますね」

「えっと、聞いてました? 私の話。無理だって言ったんですよ」

「ああ、そういえば孤児院で思い出したんですけど、古布の再利用バッグと同じようなものでサンダルなるものがレムリアの靴屋で作られていたみたいですが、あれもアイカさんの差し金ですよね」

「差し金って随分いいかたに棘を感じるんですが」

「でも、アイカさんが技術提供してますよね」

「ええ、まあ」

「お蔭で古布バッグの特許を取るときに大変苦労しました」

「え?」

「ああ、ただの愚痴です」


 ただの愚痴ですって、何よそれ。

 メルべさんが崩壊してる。

 孤児院で試食してた時もそうだったけど、メルべさんって時々できるビジネスマンの仮面がはがれるっぽい。仕事のしすぎかな。

 いや、うん。

 私たちがレムリアを出てからの日数を考えたらどれだけの仕事を処理してたんだって言うくらいだというのはわかるし。それを捌けるだけ優秀だったんだと思う。


 愚痴をこぼせたので一息ついたのか、メルべは紅茶に手を伸ばした。一口含むと味がいまいちだったのか、テーブルにあったはちみつをたっぷり入れて掻きまわす。

 疲れているときって甘いもの欲するよね。

 目の下の隈もすごいし。


「ふぅ、一息つきました。それじゃあ、続きを話しましょうか」

「は、さっきのでおわりじゃなかったんですか」

「何言っているんです。まだ半分もお願いしてませんよ?」


 メルべの狂気に満ちたような笑顔を見て、私の背中を大量の汗が流れ落ちた。

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