ちょっと落ち着いてください
あらすじでも書きましたが、ストレス発散にノリとテンションで書いたのでふわっと楽しんでいただけたら幸いです。
「────というわけで、お前は嫁だ」
「この暑さで頭沸いたの?」
記入済みの婚姻届を掲げてドヤ顔を披露しているのは、普段は表情筋が死滅していると評判の上司である。その上司に対する口調じゃないのも承知の上で言わせてもらおう。
「アセトフェイン宰相閣下、その冗談はいくらなんでも笑えません」
「何を言う。お前が署名捺印したんだろう?…いっておくが私は本気ださもないと豚と婚姻させられた挙げ句に有り金すべて無駄に浪費されてしまう」
「………それと私とのご関係は」
連日の酷暑続きで魔法省は対策に追われている。採決の書類を貰ったら帰るだけのはずが何故か上司の上司である宰相に『嫁認定』されてしまったのか。
「私好みの顔と性格は品行方正。勤務態度も真面目で魔法省の五指に入る実力者であり、現在恋人も婚約者もいない有能な女性と言ったら君以外にいないだろう?」
「宰相の好みなんて知りませんけど」
「その艶やかな夜明け前の藍色の髪と薄氷を思わせる涼やかなブルーの瞳にミルクのような白い肌。鍛えた身体はきっと、その分厚いローブの下で魅惑的な曲線を描いているんだろうね?」
「………。話聞いてますか」
私はそれなりの実家とそれなりの容姿です。そして普段は魔法省支給のローブその下は戦闘時に備えてシャツとベスト、ズボンに膝下のブーツと色気の欠片もない格好です。一応鍛えてはいるのでコルセット無しでもいける腰回りではありますが。
「魔法省特命課リリア・アメトリア伯爵令嬢。君は私の理想で、救済の女神だよ────あぁ、ほら陛下の許しも得られたしこれで晴れて夫婦だね」
「ちょ!勝手に書類を転移させるのは違法ですよ? 私は了承しておりません」
というか、魔法省内でもそこまでポンポン使える技術ではないのに。紙なんて薄物、形状を整えたままなんて尚更繊細な技術を使う。
「……言っただろう。この国の宰相である私が人としての生を無事全うできるか否かが掛かっているんだ」
だから、何をそんなに慌てているのかと聞いているのに。
『表情筋が死滅しているが、あの美貌は見ていて飽きない』…そう、長官が評する文官というより武官よりの精悍な姿形をなさっている宰相様は、やつれた様子をみせていた。
「昨夜から来ている隣国の姫には会ったかい?」
「いいえ。酷暑の対策を練っておりましたので」
「あの豚王女、あろうことか私を『夫にする』と言い出しやがった」
────あ、読めた。
「重婚離婚に厳しい宗教法を盾に逃げるおつもりですか」
「そうだ……アメトリア伯爵令嬢には大変申し訳ないが」
申し訳ない、というその表情は変わらずだけれど不思議と金色にも見える瞳は、柔らかな印象を受けた。
「………別に結婚願望ないので『人助け』ですし。ただ私は仕事を続ける許可とそちらのお宅の『奥様業』が極端に少ないことに目を瞑っていただければ」
「君が気に病む事は一切させない。───陛下からの覚えめでたき魔術師を離職させる狭量な者など直系にいないから安心してくれ」
さて、このくらいでいいか。
「でしたら私に否やは御座いません。『宣誓』をなさいますか?」
誓いの女神への宣誓。魔術師の婚姻は繋がれていく血脈を悪しきモノから守るため、代々行われる。
「────私は願ったり叶ったりだが……良いのか?」
「……丁度よい具合に上司も来てますし?」
司祭位も与えられている背後の魔法省の長官は、50代には見えない若々しい御方である。普段の穏やかな表情に楽しげな色が見えた。
「おやおや。色気も何もない婚姻署名ですね」
「………ユンディール、事情を知っていてそれか」
「可愛い部下を選んだ審美眼と甲斐性、そしてそれを承諾したアメトリア執政官に免じて私が立ち会いましょうか」
パチン、と指を鳴らすだけで周囲と隔絶される結界。
互いの左手を合わせて組み、額を合わせる。
「『いと尊き女神の名のもとにヴィクトール・フォン・アセトフェイン並びにリリアーナ・ローゼン・アメトリアそなたらは一生涯を共にする事を誓いますか?』」
「『我、ヴィクトール。リリアーナを妻とし生涯愛し慈しみ剣となり盾となり守り抜く事を誓います』」
「『わたくし、リリアーナ。ヴィクトールを夫とし生涯愛情と安らぎを……また、共に闘う者として支え合う事を誓います』」
婚姻の宣誓を女神が聞き入れると左の手の甲にそれぞれに花の宣誓紋が刻まれる。キラキラと輝くそれは、見たことのない紫の星のような形をしていた。
「────キキョウですね。『女神が聞き入れて下さった事に感謝を捧げます。その花のように気品に溢れ、誠実で、変わらぬ愛を育む二人の行く先に幸多からんことを』」
花を注視していてその瞬間を忘れていた。
「……っ…」
額が離れ繋いでいない右手で顎を掬われる。掠めるように触れた少し冷たい唇と美形のドアップに、完全に思考を停止した。……だって、あの表情筋が死滅している筈の宰相閣下が蕩けるように微笑んでる!!
「おやおや…相変わらず君の顔に表情が乗ると視界の暴力ですね」
切れ長の紫の瞳が、優しくこっち見るだけで真っ赤になってる自信がある。
「───リリア…?」
「……っ、は、はい!!」
キュッと、宣誓紋が刻まれたばかりの繋いだままの手に力を込めて引き寄せられる。そのままクスリ、と微笑む宰相様は私のその花へ─────
「……いつ、私の寸法が…」
「制服の寸法と…君の父君が懇意の仕立て屋から情報を教えてくれた。──やはり、よく似合っている」
暗い色合いのわたしがあまり着ない淡いブルーを基調としたマーメイドドレス。正面の膝上からスリットが入り、数段のフリルで肌は隠されているが、いざとなれば蹴りを入れられる程動きやすい。胸元もそこまで開いていなくて着なれないドレスでも気持ち的に楽ではある。……私の胸元より麗しい顔が普段より柔らかな雰囲気をまとって微笑んでいれば、そちらに目がいくに決まっている。
「ヴ、ヴィクトールさま?わたくし達、まともにお話ししたのは昨日が初めてですわよね?」
何故ドレスも宝飾品も出来ているのでしょうか。互いの瞳の色を交わしたような一対のブレスレットは、手の甲の宣誓紋を強調するように左手でキラキラ輝いておりますし。何より首に掛けられたネックレス、下手したら国宝級なのでは……。
「────黙秘だ」
都合が悪くなると口をつぐむらしい。眉間のシワが増えると辺りの空気も冷え込むので、腕を晒している身としては寒くて困る。
「それはおいおいお話して貰いますが────いらしたようですわね」
ヒールなど履けず、よく自分で歩いているなと思う巨漢。女性な筈ですが身長は私と変わらないと思われるのに、幅が…
「ヴィクトール!どういうことよ!?私を妻にするのでしょう?その娼婦のような醜女から離れなさい」
娼婦というのはやや出ている左膝下の事でしょうか。下品ではない仕上がりですけどダメですか蹴りやすそうで良いのですよ。ヴィクトール様ご満悦で侍女達からも好評価でしたのに。鼻息荒く汗だくの王女を視界に入れてため息を吐いた『夫』の一言が最悪をもたらすとも知らずに呑気に構えていた時でした。
「私の女神に何を言う。豚め」
────外交問題とか関係なく、会場から音が消えました。冷え冷えと響く美声は、魔力を帯びていなくても周囲を黙らせる異能でもあるのでしょうか。やだ、研究してみたいかも。
「ぶ、ぶたですって!?」
「失礼。王女殿下があまりに肥えすぎて人として認識できませんでした」
そんな邪な事を考えているうちに、あと数メートルという所まで王女が迫ってきます。確かに長身のヴィクトールと比べれば低い身長とピンクのフリルでコテコテに着飾ったそれは豚にみえなくもないですが…迫力が恐ろしくて思わず周りにバレない隠密防御壁をヴィクトール様と私の周りに展開してしまいました。
「この通りリリアーナと結婚の宣誓を終えておりますゆえ誰に何を言われる筋合いもございません」
「───慌ててそんなもの二人で彫って誤魔化そうとするなんて、恥を知りなさい」
昨日今日で現れていたらそうですよねぇ。淡い水色のドレスは私の瞳と同時に宰相閣下の髪の色とも合わせてあるので、横やりを入れたのは王女殿下だと貴族達は思っているでしょうが。呆れたように、長官も前に出てきます。……皇帝陛下はまだいらしていないようですね。
「───失礼ですが、その二人の宣誓は魔法省の長である私が立ち会いました。皇帝陛下の御許しもあります。女神の宣誓を冒涜するなど王族とはいえ無礼が過ぎますなぁ」
「う、うるさいわ!」
いえ、そもそも宰相と結婚なんて話どこから出てきたのですか。隣国のいかなお荷物王女といえど、この美形の嫁になるなら噂くらい出てきそうなのに。
「─────お前が黙れ無礼者。ここが自国だと思ってるのか」
「…な、宰相ごときがわたくしにな、ななんという口を利くのだ!!」
このまま真っ赤になって叫んだら持病か何かで倒れそうなんですが。
「あのー王女殿下、ちょっと落ち着いてください。お身体に障りますわ」
「うるさいわ!醜女!!」
我慢できずに声を掛けたが、火に油だったようです。
「……黙れ。目がついているのだろう。リリアーナの何処が醜女だ。豚に教えてやるのも不毛だが仕方ない。よく聞け」
冷え冷えとした声が、何処か恍惚とし始めました。
「夜空を模した髪も澄み渡る空の色の瞳も美しいが、リリアーナの無駄なく鍛えたしなやかな曲線美!細い腰!それに映えるドレス姿は本来なら自分だけが見ていたいのに、家と仕事の事情で仕方なく夜会に出席しているというのに。貴様は何なんだ!?リリアーナの女神のような慈愛に満ちた微笑みの顔も術式を展開する時の凛々しい姿も私は愛しくて愛しくて堪らん。勿論、見た目の麗しさは勿論だが、性格は清貧勤勉。女性にして五指に入る優秀な魔術師だぞ!!」
「………貴方もちょっと落ち着いてください」
何を語りだすのです。
王女殿下すら黙り込んでますよ。ドン引きです。……宰相閣下というイメージが崩れかねませんから、落ち着いてください。
何より周りの生温かい眼差しが痛いです。普段死滅している表情筋を緩めて恍惚と語らないでください。美形のそんな表情を見て被弾してしまった年若い方々が失神しそうです。既婚者の方々は、とても憐れなものを見る目を向けて来ますし、そういう私もヴィクトール様が腰を支えて下さってるから何とか立ってるだけです。
「リリアも怒りなさい!あんな豚に言われて何とも思わないのですか!?」
「……ヴィクトール様が私の代わりに怒ってくださっているので特に言うことは無いと言いますか…」
言うだけ無駄と言いますか。
「………っ…かわいい」
「〜〜〜〜っ、は、離して!」
「そうよ!ヴィクトール!!そんな醜女ではなくわたくしに抱擁なさい!!」
いやいや。貴方はそろそろ外交問題になっている事実を受け止めてください。
「醜女醜女と、たかが小国の王女ごときが余の血縁になんたる口を利くのだ。」
…………。
「───親愛なる皇帝陛下、あなた様が一番落ち着いて下さいませ」
「そこのリリアーナ・ローゼン・フォン・アセトフェイン公爵夫人は、我らが最愛の妹セレスティーヌの忘れ形見ぞ。末の皇女故に忘れる阿呆な輩も多いようだが、セレスティーヌは皇族に連なる者であり、有事の際、その血脈であるリリアーナも必然的に皇位継承権を有しておる」
現在、皇女のいない皇家の憂いとならんように、本人の魔法省での活躍もあって関係性を公にすることはなかったがな。
にこやかに微笑んでいらっしゃる御年60近い皇帝陛下の爆弾は、落としちゃいけないものでした。ええ。宰相夫人ってだけで重いのに、皇族縁なのもバレてしまいました。うげぇ。
「────さぁて、宰相夫人であり末席とはいえ皇族に属する女性を罵倒したのだ。そなたらの国は覚悟出来ているのかな?」
「あ、あ……」
…赤く染まった顔から徐々に血の気が引いていきます。……まぁ、皇帝陛下の覇気に当てられればそうなるでしょう。父と皇帝の陰でのやり取りを見て育った身としては何とも感じませんが。
「お前を連れてきた外交官とやらは何処へ消えた?余が直々に鉄槌を下してやろう……それとも無駄に肥えたそなたが受けるか?」
『何を』とは言っておりませんが、皇帝陛下の鉄槌と言えば軍人でも将校クラスでないと受けきれない拳のことです。我が国では常識ですが、この王女様知っているのでしょうか。
「………ちょっと落ち着いてください。陛下、私の妻が侮辱されたのです。制裁していいのは私の筈」
「いえ、どちらかと言えばもう国に返してあげましょうよ。あんなに震えてらっしゃいますし」
何より関わり合いになっていると面倒が次々と起こりそうですし。宰相と皇帝が手を組んだら止められるのは軍部の方だけですが………ダメですね。軍部の最高指令官、私の父でした。良い笑顔で剣の柄を握りしめているのが見えました。詰んだわ。
「───悪い事は申しませんわ。早く国に帰られた方がよろしいかと」
収拾のつかない国のトップ達を落ち着かせるのが私か。他の貴族達は距離を保って逃げるか傍観している。長官は楽しんでいるようにも見えます。
「……な、ななん」
「もう一度言いますね。帰りなさい。今すぐに……でないとわたくしでも止められませんわ」
わたしを抱きながら皇帝と口論している宰相。
皇帝の後ろで今にも剣を抜きそうな大隊長。
壇上で一人、殺りそうな目で王女を見る皇帝。
それぞれを一巡した王女殿下は、来たときとは比べ物にならない速度で走り去って行きました。……本当に何をしにきたのやら。
王女殿下を見送った後、未だに言い争う国の3柱を見て頭痛がしてきました。……結婚にも旦那様にも不満はありませんし、特殊な生まれなのも許容して生きてきました。それもこれも、愛情と手助けをしてくださる方々のおかげだと自覚はしておりますが、これはいけません。
なので少々本気だします。
「──────ちょっと落ち着いてくださいっ!!!」
「「「っリリア?」」」
「ヴィクトール様、『夫』であるならもう少し節度をお持ち下さいませ。お父様、感情を表すのは未熟者の為さることでしてよ。皇帝陛下、母もわたくしも陛下の愛情を深く受け止めておりますが、それとこれとは話が別です。……三人とも自分の職務と責任をキッチリ自覚してこなすまで、わたくしは魔法省に寝泊まりします。面会も一切お断りしますのでそのおつもりで」
「……私をそんな目で見るな。阿呆どもめ」
一番の権力者は、間違いなくリリアーナ・ローゼン・フォン・アセトフェイン公爵夫人である。3柱をまともに人道的に仕事させられるのは『皇国の慈悲』たる彼女しかいない。魔法省長官は、無理やりにでも結ばせた婚姻が、良縁であると確信して淡く微笑んだ。
時に夫へ怒鳴りながらもリリアーナとヴィクトールの夫婦仲は睦まじく、三男四女と賑やかな家庭を築きその子供達も優秀な両親の影響か後の世に名を残す偉人ばかりである。
子供達は、宣誓紋『キキョウ』の花言葉通り『変わらぬ愛』を貫く両親(主に父)を生温かく見守り、『誠実で気品』ある政治手腕を敬愛した。アセトフェイン家の封蝋印や家具に星を象った花がよく用いられるのは、母を愛した父の想いだと贔屓にしていた工房主へ伝わっている。
また、魔法省発案とされる術式にも星のような形が多発するのもこの年代より少し先である。おそらく、アセトフェイン家の誰かの手によるものだと推測する。
────かつて皇国には四柱が存在した。
いと高き皇帝の身ながら平民を雇用し時に対等に語り合う程の人格者であった『グランセル皇帝』。
まず、武術に優れ軍略を駆使し平和をもたらした『アメトリア大隊長』。
諸外国に皇国の権威と知的財産の高さを知らしめ美貌でも知られた『ヴィクトール宰相』。
その3柱が溺愛し、庇護し慈しみ続けたのは国民ではなく1人の女性だったという学者がいる。貴族の手記から得たある夜会のエピソードは、本来ならば学術的根拠に乏しいとされるが、同年代の複数の貴人の手記にそれは描かれている。何より。
リリアーナ・ローゼン・フォン・アセトフェイン公爵夫人は、当時の女性貴族では稀有な優秀で慈愛に満ちた魔術師であった。彼女の献身により三柱は生涯、人道的に執政を行えていたのだ。────ゆえにリリアーナ夫人が没後、彼女の墓には名にちなんだ百合と薔薇の花が後継達によって毎年品種改良を加えながら植えられ続け、公爵家の有する庭を埋め尽くす勢いで増えていったとされ、近代に残る『リリアナ・ローズ植物園』の礎となった。
その植物園は一般に公開していない公爵家のみ入れる場所が存在するらしい。そこだけには、決して手を加えてはならない家訓が存在する。薔薇と百合の壁に守られるように紫の星の花弁を揺らす花に囲まれた墓石が2つ寄り添うようにあり、数日違いで埋葬された墓石に刻まれた名を見た後継者達は先祖の残した手記の真意を納得せざるを得なくなる─────
だって、ヴィクトール様とリリアーナ様、二人で並ぶ墓と花達を守りたいがために彼は、人じゃない何かになって今も彼処を守ってるとか、精霊と契約して永遠に守らせてるから潰そうとする血縁は容赦なく没落するとか、言われてる。
だからきっと、現実ではない何処かでいつもの会話をしているに違いない───
『ちょっと落ち着いてください』
『いいや、リリアーナと子供達の優しさを踏みにじる愚か者にはこのくらいが丁度いいはずだ!』
『…そんなことばかりしてるから、女神様に呆れられてるのだわ。落ち着いて、話し合って下さらないの旦那様?』
『……』
『そなたら、ほんに変わらぬ夫婦よの』
加護、与えすぎたかと後悔する女神の姿が天界の隅にあるとかないとか─────
…………おわり。
老後、リリアーナが流行り病で先に亡くなり、看取ってすぐに後追い自殺し天界に乗り込んで暴れたヴィクトールが面倒で女神が二人とも特例として加護を受けた年齢の姿で精霊にした。という裏があったりなかったり。