#02 プロローグ2
プロローグはもう一つで最後にして、本編を動かし始めたいと思います。まだ獣耳幼女の名前が公開できなくてすみません。
木製の小屋戸口に黄昏の気配が満ち始めた。夕汐の穏やかな凪は遠くとおくまで扇いでいる。
先程まで、気持ち良さげに自身の頭を撫で続けさせていた膝上の幼女からは、すやすやという寝息が聴こえてくる。表情から察するに獣耳マッサージはどうやらお気に召してくれたようだ。
手持ち無沙汰になった掌は、彼女の濡れ烏のような艶やかな青みがかった黒髪を優しく手櫛で梳いていた。……柔らかい、きもちいいなぁ。
こうして穏やかな時間を過ごしていたお陰で、だいぶ心にゆとりを取り戻すことができた。……気がする。自分に起こったことが非現実的であることに変わりはないが。いや起こってしまったのだから現実的なのか?
僕は自身の何の変哲もない両脚を眺めながら、この場所で意識を取り戻す前、日本での出来事を追憶する——
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雑多な書類が四方を埋め尽くし、汎用機材も精密機器も御構い無しの混沌とした作業机の上、1人の青年が3面ディスプレイにかじりつき、2種のキーボードを10本の指で一心不乱に叩き続けていた。
「——こっちのボードの設定……ネットワーク接続よし。これで、125台目の攻略完了ぅぅぅ。……あと400台以上も残ってるんだけどね……ははは。ったく、ゼミの準備を全て押し付けやがってあの教授」
「おっ、学習ルーチンが終わったよoh……エラー吐いてやがる。くそっ、デバック仕直しかぁぁぁ。これで何回目だ? ……おうち帰りたい」
「——並列演算システムのユニットテストは……よっしゃぁぁぁぁぁぁぁ、AC!!!これで後は統合テストとUI側の結合・操作テストが通ればなんとかなるな(白目)」
「…………残り5日、1週間をいつのまにか切ってたのか……」
青年を除いて誰もいないはずの研究室兼倉庫部屋は、今日も青年の独白や発狂と打鍵の円舞曲に充ち満ちている。
そろそろ1ヶ月になるだろうか。青年は年末の上旬からここにある程度の食糧、着替え、レジャー用寝袋を持ち込んでいた。そうして始まった自身が所属するゼミの目眩がする膨大な雑用から火消し、同僚の共同研究のプロトタイプ開発、果ては教授の仕事の大半を受け持ちこなしていた。最近では、学内ネットワークの管理保守・セキュリティ強化作業を打診されている。……色々つっこみたい。
「東方ぁ! 俺の仕事はどうなってんだ、コラァ!! さっさと終わらせろ、この寄生野郎!!!!! ったくとろくせぇ底辺だ」
「おい、底辺。れいの件はどうした。クソなブロガーどもを適当に黙らせる簡単な作業だろ? さっさとネット上から消せ、頼んだぞ」
「おーい、底辺くぅん。俺らのプロジェクトの件どうなってんの? え、まだ終わってない? 頼むよー、それがお前の生きがいだろう(笑)」
彼が所属する研究室の連中はたびたび進捗確認と評しては、青年を好きなだけなじって満足すると去っていく。仕事を増やして帰っていく日もある。〈底辺〉というのは青年の立場や扱いからいつ頃からか呼ばれ始めた使い勝手の良い渾名である。
この異様な状況を外部の第三者が見れば知れば、青年にすぐにでも止めるよう諌め、最終的にはこの異常地帯から連れ出そうとするだろう。しかし、それでも青年にはこの状況を乗り切る以外に術を持ち合わせていなかった。
青年が現在所属する研究室もとい学院は、彼の複雑な家庭事情から学費諸々の免除など特例処置を適用し、その代償として一般の学生より制約のある立場として学院に通うことを許可されていた。そのため多少行き過ぎても理不尽な学院側の要求を飲むしかない。逆らえば青年は居場所を追われるだけだ。身寄りが皆無な青年にとってそれだけは避けたかった。
もともと、ここの学院の理事長は青年の母親と友人関係にあり、色々と便宜を図るよう往々に手を回していた。しかし、理事長のそうした行為に対し、学内の政敵、反派閥が妨害をしかけられ、結局青年の立場は今の社畜もとい学院の奴隷と化していた。その反派閥のトップが青年が所属する研究室の教授である。抗うことさえ許されない。
(——理事長、都子姉さんは今頃 NYで国際協同学会の準備に追われているんだろうなぁ。はぁ、姉さんお手製クリームシチューが恋しい…)
都子姉さんは母さんと旧知の間柄だった。それが、母さんが3年前に癌でなくなってからは、よく僕の面倒を見てくれていた。将来のことも心配してくれて、自身が理事を任されている学院に呼んでくれた。学院に入学してからは色々辛い時期もあったがそれも何とか乗り切って頑張ってこれた。まぁ、最近は互いに忙しくて連絡もチャットで済ませていたけど。やっぱりこういう心許ない状況に長期間いると恋しくなるものだ。……早く会いたいなぁ。
…………
……
今日は師走も大晦日。東京の街並みは年末最後の日であっても変わらず、上空からの眺めはネオンに照らされ、無機質な楼閣郡をパステル調に染め上げる。彼方此方では、年跨ぎに向けたカウントダウンフェスの準備やそれに押しかける大衆の大波で騒然としていた。
——都会の華々しい大晦日から切り離された暗闇の一室では、青年があいもかわらず発狂と狂喜を繰り返し、円舞曲の最終曲に差し掛かっていた。
「…………ん、次」
「——ちっ…………」
「………………ぐぉぉぉ」
「ひゃはははははははははは」
「」
「」
「」
…………
……
「——ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ………」
終曲の合図だったのか、長いながいために溜めた息を腹の底から吐き出した。ぐらりと上体が傾き、そのまま机につっぷす。そうして、おもむろに机下の簡易冷蔵庫から3秒飯を取り出し、1秒に満たない瞬きよりも早くそれを腹へ下す。
「……っっっっっ疲れたぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁっぁぁ」
街でのカウントダウンが終わるよりも早く作業を完遂することができたようだ。
「よぉ————しっ! これから一丁海岸まで初日の出拝みにいきますかぁぁぁ!!うははははははは!!!」
青年のテンションバロメータはとっくのとうの昔に振り切り壊れていた。
倉庫中に散らかったゴミを適当にあしらい、着替えを備え付けの簡易洗濯機に放り込み、防寒着を着込んでバックパックを背負う。そうして意気揚々と学院の駐輪場へと向かう。
そこには姉さんに入学祝いだと譲ってくれた、国内最高ランクに匹敵する中型バイク、サギタ400XZが僕を出迎えてくれた。この相棒のスペックの半分さえ未だに引き出せていない自分が不甲斐ないが、それでも国内各地にこいつと一緒に旅をしてきた。いや、相棒が僕を連れて行ってくれたのか。
「今日は日の出まで時間がないことだし、犬吠埼辺りで妥協するか。今日も頼むぞ、相棒」
…………
……
都心を出発しそろそろ6時間にさしかかる。やはりデスマ明けの身体に長時間の走行は応えたようで、青年は途中途中、休憩を挟みながら海岸を目指して来た。そして先程、千葉の朝陽駅横を通り過ぎ、今は海沿い間近の286号線を飛ばしていた。地平線に目を向ければ境界線が白み始めていた。
(これなら良い頃合いに着きそうだなー)
鼻歌交じりに海沿いを突っ走る。暫くして横からの微かな陽光が数段階暗くなった。
(ん……? 雲に遮られたのかな)
ふと、地平線に目を向ける。海は穏やかに凪いでいるようだった。
(なんだ、気のせいか)
が、突如として大地が蠢いた。
青年は動揺しながらも冷静さを心がけて車体を制御し、なんとか横転させずに路上にとめることができた。
だが、青年の努力を嘲笑うかのように大地は脈動する。路上は地球からあふれんばかりのエネルギーに耐えきれず亀裂を伴い始める。
「やばっ、これ震度7以上あるだろっっ! うわぁぁぁぁ」
青年は動けなかったが、相棒に必死に捕まり守るようにそこに蹲る。
…………
……
どのくらい時間が経ったのだろうか。青年にとっては永遠ともとれるような感覚に苛まれたが、しかし現実にはそれほど長くは続かなかったようで大地の怒りは少しずつなりを鎮めた。
「た、助かった……。えらい目にあったなこりゃ。これじゃ初日の出は諦めるしk………………………
意気消沈とした気持ちで日の出る方向へ顔を向けた先で、青年は言葉を失った。
今まで穏やかに凪いでいた無限にも等しい海水が地平線まで姿を消していた。だが、それほどまでの大量の膨大な海水が消えるはずがあるわけがない。
数刻前、地平線より上は宵闇に淡く白み始めていた。それが、今は、青黒く空の彼方まで貫かんと巨壁となり大地を覆い隠さんとしていた。
「は、、ははは」
乾いた笑みが口元からこぼれ落ちる。
「に、げなきゃ」
今日はきっと、生涯で死の恐怖を感じた忘れ難き日になるだろうと青年は、半ば傍観者のような気持ちをこの状況の中感じていた。
(……悠長にそんなことを考えてる暇ないだろ!!!)
急ぎ、相棒に跨ろうと身体を動かそうとする。
「え?」
そのときになってようやく青年は、自身の身に、正確には両足に起きている事実に意識が向いた。
先程の地割れで両足が挟まり、右足は路上が崩れた瓦礫に挟まり動かせず、もう片方はどう考えてもおかしいな方向へ捻れていた。
その時になって漸く麻痺に侵された身体に痛覚が戻り始める。
「うああぁぁぁあぁぁ?!」
「い、いだぃぃぃ」
「ああ、ぐぞぉっぉっっっおおぉぉ!!!!!」
これまで感じたことのない激痛が足先の神経から太もも、腹、胸、首、そして脳へと響き続ける。
あまりの激痛にすぐ様アドレナリンが分泌され始めたのだろう。徐々に激痛は引き始めたが、青年は意識を失う手前であった。
青年の身体に絶望の巨壁が闇黒い影を落とす。
(——まさかこんな死に方を迎えるなんて思ってもみなかった……母さん、姉さん。ごめん、僕は約束を果たせそうにないや。こんな息子でほんとご……め………………………………………)
朧げな意識の中、身体が濁流に押し潰され、飲み込まれ、身体がバラバラになるような感覚を最後に、青年の意識は途絶えた。
主人公の彼、本当は大人しい子なんです。
ただ、ちょっとデスマってほら、、人を変えるってことでこのような描写にしました。
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拙い文章に目を通して頂きありがとうございます。
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