ナナフシ
本屋さんの店内を散策していると、
「肩に『ナナフシ』がついているよ?」
突然背後からそんな言葉を投げかけられた。
肩を見返るとちいさな緑色のナナフシが本当に付いていた。
ナナフシの細い胴体を指でつまみ、ながめ、本棚の上へと放り投げた。
声の主にお礼を言おうと振り返ると、そこにはダレもいなかった。
「――と、まぁそんなことがあったんだ」
向かい合い、いっしょに昼食を食べている友人にかいつまんで話をした。
目の前でザルの茶そばをすする友人は、その話を聞き終えると、
「それは『肩にナナフシがついたことを教えてくれる妖精』だね」
「ずいぶんとまぁピンポイントな」
ボクは鼻で軽く笑い飛ばした。
いちおう、あのときのことを思い返してみるが、妖精らしきものはいなかったと思う。
そばにワサビを乗せ、つゆにネギを放り込み、友人がふたたびクチを開く。
「もう一度肩にナナフシをつけて、声をかけられている途中に振り返れば見られるんじゃないかな」
「なるほど、でもナナフシがみつからなそうだけど」
「これでいいんじゃないの?」
と、緑色をしたそばの一本を箸でつまみ、ボクの肩に投げ乗せた。
一秒、二秒……十秒、さらに数秒経過するがなんの反応もない。
そのあいだに、友人がそばをすすり、租借し、飲み込んで、
「どう?」
ボクは黙って首を振った。
「ちょっと長すぎたのかな」
今度は短めのそばを投げる――が、ボクは首から上だけを動かしてクチで受け止めた。
つるつるとした食感でクチのなかにお茶の風味が広がる。
友人は短くちいさな感嘆の声を上げ、音がたたない程度の拍手をする。
「ん?」
食事に戻ろうとした友人が突然声を上げる。
イスを引き、自分のスカートを見回し始め、そして、なにかをつまみ上げた。
茶そばのようにも見えたが、それはナナフシだった。
ボクが捕まえ放したものよりも前足が短く、触覚が長い。
「私の後ろになにかいる?」
友人の周りを見渡す。
「なにもいないけど」
捕まえたナナフシをテーブルのうえに置き、友人が箸を手にして目線の位置までもち上げた。
細くゆっくりと息をして、なにかに集中するそぶりを見せ、
「フッ!」
ちいさく息を吐きなにもない空間を箸でつまんだ。
「わっ」
箸の先で声がした。
見ると、ちいさな男の子が胴体を箸ではさまれている。
十センチ程度で四頭身弱、背中から四枚の薄い羽が生えていた。
顔つきからも体つきからも幼さが感じられる。
友人はそれをつまんだままテーブルの上までおろしてくる。
「これが『肩にナナフシがついたことを教えてくれる妖精』?」
驚くボクの問いに友人は首を振り、
「この子はその相方の『スカートにナナフシをつける妖精』ね」
「相方ってことは――」
「二匹でマッチポンプのイタズラをしているのよ」
ボクたちの会話を聞きながら、妖精は箸から抜けようとジタバタもがいている。
ふいに友人がボクへ目配せをしてくる。
妖精に感づかれぬように視線だけでたくさんの指示を送ってきた。
――だいたい理解できた。
うなずくことでそれを伝えると、友人は静かに笑みを浮かべる。
疲れきった妖精が肩を大きく上下させていた。
ボクは指先にちいさなそばの一片を乗せ、妖精の眼前に突きつけた。
荒い呼吸のまま動きを止めて、そばを見て、ボクを見て、そばを見る。
警戒しつつ手に取ると感触を確かめはじめる。
そして、ひとくちだけかじった。
美味しいということが確認できたらしい。残りを一気に食べてしまう。
クチいっぱいにほおばる姿がとても愛らしい。
食べ終えたのを確認して、今度は二センチ程度のそばを上から差し出す。
右手でつまみ上げたそれを、妖精の手が届かない位置で左右に振ってじらした。
カラダを伸ばし、腕を伸ばし、妖精は顔を上に向け、大きくクチを開いている。
すかさず左手指先に乗せたワサビのかたまりを正面からクチのなかへ押し込んだ。
妖精は動きを止め、一呼吸置き、激しく悶絶し始める。
カラダを友人の箸で押さえられ、クチをボクの指で押さえられているため、顔をそむけることも吐き出すこともできない。
真っ赤な顔でポロポロと涙をこぼし、必死でボクの指をどけようとしがみつく。
そんな抵抗も皮膚に爪を立てることすらかなわない。
飲み込もうにも大量の刺激物を胃もノドも受け付けてはくれないだろう。
「そういえばさー、ワサビって生でかじっても大丈夫なんだよ」
「へー、かじったことあるの?」
「まっさかー」
そう言って友人はケラケラと笑い、ボクもつられて笑う。
そんな人間の残酷を、ザルのうえで茶そばに擬態したナナフシが見つめていた。




