94 グラスの一日 その2
朝の鍛錬を終わらせると昼飯、昼寝となる。子供の頃はよく休むことも大切らしい。
休むなら全力だ。ベッドに身体を横たわらせて、回復に努めなければ。隣のベッドのシェイなんかは横になった瞬間に寝息を立てた。
恐らく鍛錬の疲れと、休む大切さをかけ合わさったうえでのスピードだろう。
その意味ではエアも尊敬できるところがある。
ベッドに入ってすぐに寝入るスピードは脅威といってもいい。
逆に悩ましいのがシャインだな。
女の子を口説くことに矜持を持っているのはわかるのだが、眠る時間にうるさくされては堪らない。
間接的に聞くだけで耳障りだ。直接口説かれている側はもっとだろう。
ほら、フォーレの怒りに触れてマヒを食らった。
もう少し、落ち着きを持ってくれればいいのだが。
昼寝から目覚めれば昼の鍛錬となる。今日は十日に一度の母さんの日だから、直々に鍛えてもらえる。
父さんに手を引かれながら、母さんの待つ広場へと向かう。
やわな手だ。小さいし、握っているだけで貧弱さが窺える。力比べをすれば間違いなく俺の方が強いだろう。
普通に考えれば、父さんに従う理由なんてないんだよな。
「どうしたグラス。何か悩み事でもあるのか」
不意に父さんが止まると振り返った。タイミング的に、思っていたことがバレたのかと焦る。
「いえ、特には。なぜ、そう思ったのですか?」
「なんとなくかな。グラスにしては進むのが遅かったし、手の握りもぎこちなかったからな」
そんな些細なことで心情を。やはり父さんは、力とは違うかけがえのない何かを持っている。チェル嬢をも救うかもしれない何かを。
「さすが父さんです。がっ、なんとなくって言葉が死んでいますよ」
指摘すると、頼りなく、ははっと笑った。
「仕方ねぇだろ。たいして自信がなかったんだから。でも、何か悩んでんのはホントなんだな」
「えっと、その……」
言えない。父さんが従うべき人間なのかを疑っていただなんて。
たいした言い訳も浮かばずに俯いていたら、ポフっと頭を撫でられた。
「言いにくいことならムリに言わなくてもいいさ。でも言いたくなったら教えてくれや。最弱の俺でも、少しは父親をやりたいからな」
父さんはしゃがんで俺のことを黒い瞳で覗き込むと、ニカっと笑った。
尊い。傍にいるだけで安心できる存在。いつもやさしく気をかけてくれる人間。やさしさについ、身を委ねたくなる。だから、守りたい。
なんだ。俺はいつも自然と感じていることに、バカな疑問を抱いていたのか。
「何をバカなことを。父さんはいつも父親をできていますよ。これからもよろしくお願いします」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。コイツめ」
張りつめていた肩の力を抜いて、素直に感謝を伝える。すると無遠慮に髪をワシャワシャと撫でられた。
楽しそうな笑顔も相まって身体が暖かくなる。
ヴァリーの考えもよくわかる。この笑顔は最後の最後まで自分の手で守りたい。
「そうと決まれば早く母さんの所へ行かねばなりません。俺は、もっと強くなって父さんを守りたいから」
「やる気になるのはいいけど、ほどほどにな」
握りコブシを突き上げてやる気を示すと、なんともやるせない笑顔が返ってきた。きっと、父さんなりの心配なんだと思う。
母さんの所に行くと早速、父さんと母さんがいがみ合った。
二人とも嫌いじゃないはずなのに、どうして仲良くできないんだろうか。でもこれが家族の形なんだろうな。
やがて話が終わると鍛錬に入る。母さんのトレーニングメニューは隙がなく、無駄もない。
時間をフルに使って鍛えられている感じがするから好きだ。身体はムチャクチャ悲鳴を上げるのだがな。
父さんは部屋のすみで悲惨そうに眺めている。確かに傍から見ていると過酷に見えるのかもしれないが、充実しているから心配しないでと伝えたい。
そんな余裕はないのだけれど。
やがて父さんは、見ているのに飽きたのかキョロキョロとしだした。
こっちに集中していないなら、今が母さんに疑問を聞くチャンスかもしれない。
「母さん、少しいいですか」
俺は息を切らし、身体を火照らせながら聞いた。
「なんだグラス、トレーニング中に。集中力が足りないぞ!」
母さんはライオンの顔を険しくさせて叫んだ。いくら親子とはいえ、トレーニング中は別だと叱ってくる。
怖くて足が竦む思いだ。だが、聞いておかないことには、頭のなかにわだかまりを残してしまう。
「すみません母さん。ですがどうしても聞いておきたいんです。この前言っていたあの方とは誰ですか」
母さんがのどを詰まらせて、視線を逸らす。よっぽど言いにくいことかもしれない。
「教えていただきませんか。俺はここ十日間、気になって鍛錬が身になっていないんです」
切実な悩みだ。俺から鍛錬を取ったら、何も残らなくなってしまう。
「いくらグラスでも教えられない。それほどまでに重要なお方なんだ。すまない」
母さんが謝るほどの重要人物。そして機密事項。余計に気になってしまうが、いくら探っても絶対に教えてくれないだろう。
「わかりました。俺にはきっと、雑念を振り払う力が足りないのですね。トレーニングは心身共に鍛えてこそ。時間はかかるかもしれませんが、メンタルも育って見せます」
コブシを握りしめて母さんに宣言する。
「グラス……一つ。大切な者を絶対に守るという、強い意志を持て! さすれば強靭な肉体と精神を手に入れることができるだろう!」
大切な者を守る。聞いた瞬間に、やさしげで頼りない笑顔の父さんが浮かんだ。
あぁ。凄く簡単で、とても難しいことだ。でも、決意は固まった。
「はい、母さん!」
「うむ、いい返事だ。では特訓を再開するぞ」
「はい!」
母さんはうんうんと納得して頷いた。期待してくれている。ならば息子として、応えることが義務だ。
一人で無理なら姉弟を頼ればいい。特にシェイならば、メンタルの鍛錬を数多く知っているはずだ。
俺は悩みを持ったまま、強くなる決意をするのだった。




