733 欲張りな願い
「おーいアクア、いるか」
「お父さん。ここにいるよ」
話が一区切りついたとみるや、タカハシのおっさんはアクアを呼んだ。
「悪ぃ見えねぇ。もっと近くに来てくれや」
「うん。今行くから」
返事をして駆け寄るアクアに、場所を譲って見守る。血溜まりの床に両手両膝をつき、身を乗りだして顔を近づけた。
「おいバカ。服が汚れちまうだろぉが。見える位置まで来てくれりゃぁ、立ったままでいいんだよ」
「服の汚れなんてどうだっていいよ。そんな事、言うために呼んだんじゃないんでしょ」
アクアが小言を言いながら、タカハシのおっさんの兜を脱がした。痩けた頬と蒼白の顔色が露わになる。
「ありがとなアクア。俺のちっぽけな意地に付き合わせちまって。戦いは怖かっただろ、死別はもっとツラかっただろ」
血に汚れて震える左手をアクアへ伸ばしながら感謝と謝罪を口にする。アクアは両手で優しく包むように握りながら、首を横に振った。
「うんん。私だってお父さんの役に立ちたかったから、へっちゃらだったよ。頼ってくれて、凄く嬉しかった」
取り繕う笑顔がいたたまれないのに、惹き付けられる空気感を生み出している。目を逸らせないし、逸らしちゃいけない。
「ははっ、そっか。アクアはやっぱりいい子だわ。末は大臣か深海魚だな」
「もぉ、褒め方ヘタなんだから」
今の、褒め言葉だったのか。
「ごめんな、かっこ悪ぃ父親で。情けなかったろ、見てて恥ずかしくなかったか」
「そんな事ない。ご立派ぁ、だった。お父さんはいつだって、最高に優しくてかっこよかったから。血の繋がった娘じゃなかったら結婚したいぐらい。きっとチェル様だって押し退けてたよ」
「よせよ。そんなにも愛されてたら照れるじゃねぇか。しかし結婚か、純白の花嫁姿も見てみたかったぜ」
「お父さんってば勿体ないな。チェル様ならどんなウェディングドレスだってかわいかったのに」
「アクアの姿も、だよ」
「え」
急に話の中心に持ってこられて、動揺で青い目を見開いた。
「アクアの選んだ気に食わないヤローが前にいて、花嫁の衣装に身を包んで幸せそうなアクアの手を取ってヴァージンロードをエスコートする。死に際だってぇのに、人間はどこまでも欲張りでいけねぇわ」
タカハシのおっさんから父親としての願いが湧き上がる。
「なぁアクア。最後のワガママを聞いてくれや。俺達の後を追わずに、人生を謳歌してくれ」
「お父、さん」
「俺、今更だけどよぉ。子供に生きててほしいんだ!」
涙を流しながらタカハシのおっさんが愛娘へと訴えかける。
「アクアだって体験してきてツラい事はわかってる。俺だって、子供が死んじまう事があんなにも苦しいなんて思ってもみなかった。もうイヤなんだ、あんな思い。例え俺が死んじまった後ででも。だからっ」
アクアに包まれている左手を更に伸ばし、やわらかな頬を赤に汚しつつも添えながら、タカハシのおっさんは伝える。
「生きてくれ」
消えかけていた願いが、アクアの心へ沈んでゆく。
「お父さんのワガママ。全部私に押し付けないでよ。そんな風にお願いされたら私、断れないよ」
アクアが確かに手放していた生を、父親の願いが繋ぎ止める。
「ありがとな。大好きだぜ、アクア」
「私も、大好きだよ。お父さん」
涙の願いに涙で応える。
想いが通じ合っているのに、胸が締め付けられるほど悲しかった。




