730 大誤算
おっと、この出血量はそろそろマズいな。もう充分に痛い目をみて、戦いなんてこりごりに思っている頃だろう。
ボクは最後に残っていたエリクサーを取り出し、悶え苦しんでいるタカハシのおっさんへと近付いた。
「そっ、ソレは」
「見た事あるんじゃないか。フォーレが作ったエリクサーだ。家の方から拝借させてもらった」
「おまっ、本物の勇者が俺の家から勇者行為なんてしてんじゃねぇ」
勇者行為とは何だろうか。アクアの方を見てみると、ハッとした表情を浮かべているし、心当たりがあるのかもしれない。けど今は治療が最優先だ。
「もう魔王ごっこも懲りただろう。今治すから、もう暴れたりしないでくれよ」
右腕の傷口にエリクサーをドボドボとかける。
グラスとの戦いで効力は体感済みだし、死の淵にいたクミンでさえ回復が間に合った超一級品。もしかしたら引き千切れてしまった腕でさえ、再生するかもしれない。
「クっ、ククっ」
タカハシのおっさんから引き攣った笑いが漏れる。思惑通りにいかない事に悔しさを感じているのか、はたまた助かる事に対して心の奥底に眠っていた生への執着が蘇ってきたのか。
エリクサーをかけきって数秒。タカハシのおっさんの腕は、何の変化も起きずに出血し続けている。
「治らないだと。まさか、くっ!」
急いで勇者の力を研ぎ澄まし、残っていた一発分の力を注ぎ込む。
間に合え、間に合え、間に合え。
「キュア・ブレイブ!」
どんな強力な毒やアレルギーをも吹き飛ばし、致命傷をまとめて回復させる究極の回復術を個人一人に注ぎ込む。
間に合った。いくらなんでもキュア・ブレイブなら大丈夫だ。完治できる。
しかし。
「ウソだろ。ジャスのキュア・ブレイブで治らないなんて」
ワイズの呟いた結果が、ボクの目の前で横たわっていた。
そんな、バカな。
「ククっ、ハハハハっ。ゲホっ、ゲホっ。残念だったな勇者ぁ。俺に回復アイテムや回復魔法の類いは効かねぇんだよ。ようやく一矢報いてやったぜ。ハハハっ、ゲホっ」
むせ込み涙を流しながらヤケになったようにタカハシのおっさんが嘲笑う。
「回復が効かないなんて聞いた事ないよ」
「ちょっとアクアどうすんのよ。このままだと、本当に」
クミンが驚愕の声を上げ、エリスが動揺しながらアクアへ訴えかける。このまま治せなければ、タカハシのおっさんは死んでしまう。
ボクじゃ、助けられない。また、アクアから家族を奪ってしまう。
「あっ、ああっ」
罪悪感に駆られながらアクアの方を振り向く。取り乱した様子もなく、ただまっすぐにボクたちを、いやタカハシのおっさんを見守っていた。
覚悟なんて、とっくに決まっていた表情だった。
「俺が弱すぎるせいなのか、はたまたイッコクの人間と身体の作りが違ぇのか、回復の類いは一切受け入れなかったんだよなぁ。あのフォーレをもってしてもお手上げだったんだぜ。今使ったエリクサーなん、俺の傷ひとつ治せない失敗作呼ばわりだかんな。効能、凄ぇんだけどなぁ」
死に際の傷さえ治してしまうエリクサーが失敗作だなんて。けどフォーレからしてみれば、一番治したい相手を治せない、失敗作。
息を荒げながら呟くタカハシのおっさんは、遠い天井を眺めながら赤の水溜まりを広げつつあったのだった。




