719 増える敵
急接近からの横薙ぎが空を切る。確実に真の魔王チェルの細い胴体に当たる位置だったというのに、幻を斬ったかのようにすり抜けた。
「なっ!」
「あら、いきなり女性に斬りかかってくるなんて無粋な男ね。コーイチの方がよっぽどか男前だわ」
正面から悠々と耳元まで近付き、からかうように囁いてきた。甘美な香りに死の臭いが混同する。
「うっ、うわぁぁぁぁあっ!」
「いやだわ。闇雲に剣を振るものではなくてよ」
振り払うように放った一撃は、フワリとした優雅なバックステップで躱される。
「トップインフィルノ!」
「いい魔法ね。こうやるのかしら」
ワイズが迷う事なく上級魔法をブっぱなすも、瞬時に模倣し相殺。通路が煙に包まれる。
「マジ、かよ」
状況にチャンスを見出したクミンが煙の中を突っ切って、大剣を華奢な真の魔王へ振り下ろした。
「はぁぁぁぁぁあっ!」
「不意打ちなんて身も蓋もなくてね。視界も空気も悪いし、換気をしようかしら」
そよ風が吹き抜け充満した煙を運んでゆく。クリアになる通路の真ん中で、真の魔王チェルが手のひらで振り下ろされる大剣を受けていて。
「ワシの一撃を軽々しく受け止めるなんて、冗談じゃないよ」
「私のセリフね。こんな重たいものを受け止めたら、繊細な手のひらに傷がついてしまうわ」
大剣の重ささえ感じさせない佇まいで微笑を浮かべる姿は、優雅であるが故に底知れない力量差を思い知らせてくる。
「あっ、あっ」
エリスなんかは恐怖に圧されて弓を手にする事すらできていない。
「お父様を討伐し、コーイチを討伐する勇者がどんなものか体験させてもらったわ。名に恥じぬ志と力ね。もう満足よ。魔王を討伐しに向かいなさい」
真の魔王チェルは受け止めていたクミンの大剣をゆっくり下ろすと、通路を譲るように壁際へと身体を寄せた。まるで自分は無関係だというかのように。
「ボクは、魔王を討伐しに来たんだ。今ここで、宿命に終止符を打つ!」
剣に勇者の力を溜め、ブレイブ・ブレイドの準備をする。真の魔王は油断しきっていて妨害をする様子もない。
舐めているどころか、敵とすら認識されていない。けども、勇者として逃すわけにはいかない。
「その剣、私に向けるつもりかしら。だったらやめておく事をオススメするわ。敵が増えてよ」
「何をふざけた事を。最初から敵は真の魔王チェル、おまえ一人だったじゃないか。おまえさえ討伐すればタカハシ家をこれ以上傷つけなくてよくなる。全て終わ……なっ!」
つぅっと、ボクの首筋に後ろからトライデントの刃先が添えられた。
「アクア、何バカな事やってんのよ」
「バカな事をやってるのはジャス達の方だよエリス。チェル様を魔王と間違えて襲っちゃうんだもん。さっきまではチェル様も戯れてたから文句言わなかったけど、これ以上チェル様を殺そうとするなら私、敵に戻るから」
振り向くと、感情の抜け落ちた表情が。虚ろな青い瞳が、ボクを捉えて放さなかった。
「言ったでしょう。敵が増える、と」




